学校で起きたこと 3
中学1年の終盤、通知表の評価が低すぎたことがきっかけとなり、教室に鍵をかけて、英語の授業はボイコットの状態になった。ある生徒が鍵をかけたことは突発的で、相談や計画があったわけではなかった。
次の英語の授業が始まる直前、ボイコットについて今思っていることを自由に書く自習になるらしいことがわかった。「思っとること、全部書こうや!」、13歳の小さな反乱にむけて10人近くで固い確認がされた。8割の生徒はいつも不満を口にしていた。あとの2割も同じ思いを持っていたと思う。別の教師の監督のもとにそれぞれが自由につづった。作文提出後の休み時間、「ぜったい許せんよね!」という声が一気にふきだした。「ちゃんと書いたやろ?」と聞くと、「当たり前やん!」という答えはみんな同じだった。
次の日の朝、担任の体育教師が連絡事項を口にした。「○○とTamy、このあと相談室に来るように」。相談室とは説教部屋として使われる場所のこと。でも、授業再開にむけてどうするかの話しあいだと思った。なぜ私なのかという疑問はありつつも、1人ずつ相談室へ。
英語の教師が待っていた。「あんた、これ何ね?」「こんなこと書いとるのアンタだけよ」。そんなはずはないという確信で、「みんな、先生のやり方もおかしいっち、言っとるよ。ボイコットは悪いけど、先生に悪いことはないん?」と言うと、1対1のやりとりは緊迫していった。他クラスとの比較を日常的に口にし、通知表のクラス平均を2にしたことに落ち度はないのか。生徒も先生も譲り合って解決していくべきと書いたことで、教師の怒りは高まっていた。
「みんなも同じこと書いとるはずよ」と再三言うと、相談室を出て職員室からレポートつづりを持ってきた。名前を伏せて見せられたレポートは、反省文ばかりだった。「悪かったと思います。これからは勉強に・・・」という異口同音の。ここで真実に気づいた。先生も悪いとしたのは私だけだったと。ボイコットと授業態度については反省はするが、生徒だけでなく先生も悪いと思うことは認めてほしい、そこだけは最後まで譲らずに私としての「反省」を示し、相談室を出た。呼ばれたもう1人は、ボイコットの経過を聞かれたようだった。
教室に戻ると、次の授業の前の休み時間だった。「Tamy、何っち言われたん?」と何人もが聞いてきたので、「ほかの生徒はみんな反省しとったのに、反省してないのがオレだけちゅーこと」と答えたと思う。「ごめん。親呼ばれたらいけんし、通知表もこれ以上悪くなったら・・・」。「お母さんと話をせんといけんね」「高校受験はテストの成績以外に内申書も大事なんやけど、知っとるんかね」、英語の授業で繰り返されるこの二言が効いていたのだ。怒られるからやめる、評価が下がるから変える、善悪判断のゆがみは「いい子」を表面上はつくっていったと思う。それほど、生活態度を評価する内申書の存在は、教師や親の予想以上に大きかった。
それから私は、ボイコットの首謀者的な先入観を持たれた。英語の授業は静かなほうだったのに。授業はやや落ち着きを見せて中学1年の幕は閉じた。担任から外れていたその教師が私の2年の担任になろうとは、まったく想像していなかった。
(つづく)
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