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2004年10月の記事

2004.10.31

【意見広告紹介】子どもたちに強制しないでほしいこと

 10月28日の園遊会で、学校現場での日の丸・君が代について「強制になるということでないことが望ましい」とした天皇発言について、ほぼ日刊イトイ新聞鳥越俊太郎の「あのくさ こればい!」第1262回の記事が興味深い。

 今日はもうひとつ、ぜひふれておきたい。
 10月30日の朝日新聞に、教育に関する意見広告が掲載された。「教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会」と「教育基本法改悪反対・『多彩な意見広告』の会」が賛同金をよびかけて、実現したもの。愛国心を盛り込もうという動きがすすむなか、国を愛することの強制と心づくりが近づいているという指摘に、もっと目が向けられ、耳が傾けられてほしい。

以下、意見広告掲載文より

***

世の中が悪いのも、子どもや学校の問題も、
ぜ〜んぶ「教育基本法」のせいにしてませんか?

教育基本法を変えて
「お国のために命を投げ出す」
子どもを作りたいですか?

今、教育基本法を変えようという動きが
急ピッチで進められています。
その理由を、ある国会議員が
「お国のために命を投げ出しても構わない日本人を生み出す」
ためだと明言しました。

また、
「できんものはできんままで結構
限りなくできない非才、無才には、
せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいい」
と発言した文部省の元教育課程審議会会長もいます。

これこそが、
教育基本法を変えようという人たちの本当の理由。

「愛国心」だって個人の心の問題であり、
国家から一方的に強制される問題ではありません。

教育が私たちのものではなくなり、
国会が完全にコントロール
できるようになってしまいます。

私たちが次の世代にどんな未来を手渡したいのか、
もう一度考えてみませんか。

【教育基本法前文より】
「われらは、個人の尊厳を重んじ、
真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、
普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を
普及徹底しなければならない。」

【呼びかけ人】
石坂  啓(漫画家)
大内裕和(大学教員)
小山内美江子(シナリオライター)
川田 龍平(人権アクティビストの会)
小森 陽一(大学教員)
竹下 景子(女優)
暉峻 淑子(埼玉大学名誉教授)
三宅 晶子(大学教員)
梅原  猛(哲学者)
大田  尭(教育学者)
落合 恵子(作家)
姜  尚中(大学教員)
高橋 哲哉(大学教員)
辻井  喬(作家)
灰谷健次郎(作家)
山田 洋次(映画監督)

【連絡先】
教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会
http://www.kyokiren.net
教育基本法改悪反対・「多彩な意見広告」の会
http://www.tasai.net
〒113-0033東京都文京区本郷5-19-6坪井法律事務所内
TEL/FAX03-3812-5510 メールinfo@kyokiren.net

教育基本法の改悪をとめよう!11・6全国集会
2004年11月6日(土)
場所/東京・日比谷野外大音楽堂 開場12:30 開演13:30 参加費/無料
出演者/ソウル・フラワー・モノノケ・サミット/ザ・ニュースペーパー(コント集団)/各地からの報告 他
集会後、この趣旨を広くアピールするためにパレードを行います。

2004.10.30

イラク人死者10万人以上 いのちの重さを考える

 今週24日、28日、29日と、外で話をさせていただく機会があった。1週間に3回というのは初めてで、もともと人前で話すことが得意ではないので、疲労感は強い。でも、大きな流れがすすみつつあるなかで、だれかが「それでいいの?」と警鐘を鳴らすことがやっぱり大切なのではと思い、続けている。福祉・保育とあわせて、反核平和団体の役員もつとめているので、戦争・平和の話を主題にすることが多い。

 イラク戦争を語るとき、学者らが報道をもとに集計している「イラク・ボディ・カウント」の数字でイラクの民間人の犠牲者数を言ってきた。私だけでなく、報道機関もここで出されている数を伝えることが多い。現段階で1万4千人から1万6千人とされている。

 しかし、昨日29日の朝日新聞夕刊は、イラク、民間人の死者「10万人以上」米学者ら発表 と伝えた。アメリカとイラクの大学の共同研究チームの推計として、イラク戦争開戦後のイラク人の死者数が10万人を超えたと医学誌で発表したという。多くは女性と子どもだったとも。

 今朝のニュースは重い。イラクで拘束された香田さんらしき遺体が発見と報じられた。
 ビンラディンは今日30日未明、アルジャジーラの映像で 「米同時テロを繰り返すに足る理由がある」などと大規模テロを予告した。
 ニュースの重さは、いのちの重さを示している。

 日本の子どもたちの心も平和ではない。小学校高学年の子どもたちについて、「4-6年の1割抑うつ傾向/小学生3300人調査 」(2004年7月複数の新聞が報道)という報告がこの国をいまと未来を映しているとしたら・・・。

2004.10.28

東京都に10の区市議会が保育を守れと意見

 東京都が保育施策を切り下げようとする中で、それに疑問・不満をもつ保護者と職員、園長など保育関係者で「とうきょう私立保育園ねっとわーく」というホームページとメーリングリストを開設・運営している。私も関わっている。保護者が増えてきて、メーリングリストの登録は50人になった。今度11月3日に第2回のオフ会を開く。

 5月に東京都の児童福祉審議会が「認可保育所ばかりに手厚い」として都の独自加算の見直しなどを求める報告書を提出した。6月から10月までに10の区市議会(墨田区・東村山市・羽村市・多摩市・立川市・東久留米市・清瀬市・北区・中野区・豊島区)がこの見直しに反対する意見書を東京に向けて議決。さらに増えていくことになりそうだ。東京都がこうした声に耳を傾けるか、問われている。

 とうきょう私立保育園ねっとわーくホームページ

2004.10.27

糸 ~ボランティアデビューから8年

 8年前の冬、福井県沖で、ロシア船籍のタンカー「ナホトカ」号が破断・沈没し、大量の重油が流出する事故が起きた。三国町沖を中心に海岸はヘドロのような油にまみれた。その後、地元周辺の住民や遠くのボランティアがかけつけ、その重油を手作業でとっていく人海戦術がとられた。

 私は当時、専門学校の学生だった。ふとみたスポーツ新聞に市民団体がよびかけているボランティア募集の記事をみつけた。短期のバイトが終わっていたので、バスで行く2泊3日のボランティアを申し込んだ。費用は1万円だったと思う。長靴を買い、近所の洋品店で雨ガッパの上下を生まれて初めて値切り、準備した。都内の駅に集まって、随時バスに乗って、悪天の福井へ向かった。

 初日は悪天候のため、作業は中止となり、どうしてここに来たのかという交流会をもって、いろいろな世代の話を聞くことができた。2日目になんとかできた作業は、岩のりを取り出すような細かいものだった。時期もやや遅かったので、漂着した重油の大半はすでに多くの協力のもとに除去されていた。私は両手で1・2回すくえるくらいの量をかき集めた。

 青年の家のようなセンターに泊まった中で、人のぬくもりを感じることができた。地元の人の歓迎に涙が流れたし、いっしょの部屋で過ごした人たちは善意のおしつけをしない、謙虚な人たちばかりで。ボランティアの中での道具の貸し借り・助け合いも随所にあった。みんな、何かの役に立ちたい、そんなまっすぐな気持ちにあふれていた。

 私は、市民団体・ボランティア団体に対して、それまで嫌なイメージを持っていた。やっている私たちは善だから、誘って断るのは善ではない、というような善意のおしつけを感じてきたから。そういう人や組織もあるのだが、人のあたたかさを大事にしている人と組織があることを知った。厳冬の1月の福井で、ほんとのあたたかさにふれることができたように思う。両手に1回か2回の量しか実際の役には立っていなくても、大きなものを持って帰ることができた。

 新潟県中越地震が起きているが、今の私は何もできないでいる。少しのお金を出すことくらいしかできない。忙しさを理由にする大人にならないことが学生時代の目標のひとつだったのに。福井でのボランティアデビューから8年が経とうとする中で、私は社会の冷たいギスギス感に陥ることが多くなっている。

 今月、Bank Bandというバンドが「沿志奏逢」(そうし・そうあい )というアルバムを発売し、ミスチルの桜井和寿さんが中島みゆきさんの「糸」をカバーした。人と人のつながりの希薄さと大切さ、いのちの尊さが「震災」によって浮き彫りになるなかで、この歌詞とメロディーに想いがあふれてくる。

2004.10.25

小泉さん、ターザンのあとに・・・

 新潟県中越地震の起きた23日夜、小泉首相は東京国際映画祭のオープニングセレモニーに出席していた。地震発生時の午後5時56分時点は、ホテルの廊下にいたという。地震が起きたというメモを見たのはあいさつが終わった6時7分。6時15分に「舞台あいさつの時にいないと悪いだろう」と映画館に移動。着席したあと、新幹線の脱線と余震の続報を知り公邸に戻ることを決めて、7時8分に映画館を出た。公邸に着いたのは7時27分だったという。

 1時間近く映画館にいたことを細田官房長官は「公務の範囲」とした。政府の全体の対応を批判する材料を私はまだ持っていないが、首相のリーダーシップは問いたい。防災大臣に指示しただけで、対策室にも入っていないし、すばやいメッセージも発しなかった。震度6強の地震は5時56分に起きたあと、6時12分、34分と続いた。7時8分での行動は遅すぎないか。避難生活を余儀なくされた人たち、救出を待つ人たちは、ラジオなどを頼りに不安を募らせている。政府がどう対応するのか、その具体的な策だけでなく、大丈夫という安心感が待たれているはず。リーダーシップが見えてこその。

 「震度6強の地震への対応」を理由に舞台あいさつをもっと早く中座しても、被害の大小にかかわらず批判は起きなかったと思う。スポーツ報知は2日続けて首相の対応について報道している(「小泉首相はそのときターザン」・ 「大丈夫!?小泉首相の危機管理」)。地震情報が入っていなかった状況でのあいさつ内容(ターザンの真似など)はともかくとして、その後の対応は適切でなかったと思う。

 田中康夫長野県知事は24日の報道番組で、
 「サッチャー元英首相は国内で飛行機が墜落したとき、ヘリで駆け付け遺族をなぐさめるなどした。このようにみんなを冷静に鼓舞するのは大事なこと。私も台風の被災地をヘリで回った」
 として首相の現地入りを求めた。迅速かつ十分な支援とあわせて、今こそ目にみえるリーダーシップを望みたい。

2004.10.24

映画人九条の会よびかけ人にリンク

 「映画人九条の会」結成呼びかけ人に、代表作や出版書籍などがわかるようにそれぞれできる範囲で、「映画人九条の会設立へ」のレポートのなかに、リンクをはりました。豪華なメンバーですね。

2004.10.23

「映画人九条の会」設立へ

映画愛好家ではない私も、映画が好きになりそうな動きです。
11月24日はのぞきにいきたいなと。

大江健三郎さんらがよびかけて発足した九条の会のアピールに応えて、
映画人九条の会」が設立準備中のようです。
映画を愛する方なら、映画関係者でなくても誰でも参加できるとのことです。

11月24日には、結成集会が開かれます。

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以下、転送
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各位へ

 ■「九条の会・アピール」への賛同と、「映画人九条の会」参加のお願い■

 拝啓
 いよいよ秋も深まってまいりましたが、皆様ますますご健勝のこととお喜び申し上げます。

 私たちは「映画人九条の会」準備会です。
 有事法制の成立、自衛隊のイラク派兵などとともに、いま憲法改悪の動きが加速しています。改憲を進める勢力の狙いは、憲法第9条を変え、日本を「戦争できる国」にすることにあると言われています。
 戦争放棄を謳った日本国憲法は、世界に誇るべき平和憲法です。憲法第9条こそ平和の礎であり、絶対に守るべきものです。
 平和でなければ、映画の発展はありません。戦前・戦中のように映画が戦争に利用されるようなことは、二度とあってはなりません。
 今年6月10日、井上ひさしさん、大江健三郎さんなど日本を代表する知識人9名の方々が「九条の会」を結成され、「九条の会・アピール」を発表して大きな反響を呼びました。この「九条の会アピール」には、私たちも大いに賛同するものです。
 そこで私たちは、映画人の中でも「映画人九条の会」を結成し、平和憲法擁護を広く映画人、映画愛好者に訴えていくことにしました。
 「映画人九条の会」の結成呼びかけ人には大澤豊さん(映画監督)、小山内美江子さん(脚本家)、黒木和雄さん(映画監督)、神山征二郎さん(映画監督)、高畑勲さん(アニメーション映画監督)、高村倉太郎さん(日本映画撮影監督協会名誉会長)、羽田澄子さん(記録映画作家)、降旗康男さん(映画監督)、掘北昌子さん(日本映画・テレビスクリプター協会理事長)、山内久さん(脚本家・日本シナリオ作家協会理事長)、山田和夫さん(日本映画復興会議代表委員)、山田洋次さん(映画監督)になっていただきました。
 「九条の会・アピール」と「映画人九条の会・結成と参加の呼びかけ」は、添付の通りです。
 「映画人九条の会」は、「九条の会・アピール」を広く映画人、映画愛好者に訴え、賛同を集めたいと思います。
 「映画人九条の会」は、日本国憲法第9条を守るという、この一点ですべての映画人、映画愛好者に参加と共同をお願いします。
 また「映画人九条の会」は、憲法改悪阻止に向けたイベントを企画し、映画人、映画愛好家に憲法第9条を守る運動を広げていきたいと思います。
 映画人のこうした活動は、憲法改悪の動きに対して大きなインパクトになるはずです。
 映画を愛し、平和を愛するすべての映画人、映画愛好者の皆さん、ぜひ「映画人九条の会」にご参加ください。よろしくお願い申し上げます。
                                      
    敬具

*「九条の会」アピールに賛同され、「映画人九条の会」に参加される方は、以下にお名前、ご住所等をご記入のうえ、メール等でご返信ください。
 また、参加者を広げていただく場合は、添付のB4サイズの「署名簿版」をご利用ください。
 締め切りは特に設けませんが、第一次集約は11月中旬とし、11月24日(水)18:45より東京・文京区民センター3Aホールにて、「映画人九条の会・結成集会」と記者発表を行う予定です。

*********************************

 私は「九条の会・アピール」に賛同し、「映画人九条の会」に参加します。

 お名前

 ご住所


 電話番号=
 Eメールアドレス=
 参加者リストを発表するときの肩書き(参加者リストは随時マスコミ等に発表していきます)
[                                        ]


 《メッセージ》


**********************************

*なお、映画人九条の会は、皆様の任意のカンパによって運営します。
  カンパ等の振り込みは、以下の口座にお願いします。
 【郵便振替口座】
  本郷一郵便局 口座番号/00140-9-278825 口座名/映画人九条の会

 *また、この呼びかけメール自体や、郵送にての呼びかけが重複することがあるかと思いますが、なにとぞご容赦ください。


 2004年10月22日

              映画人九条の会・準備会

 【事務局】
 〒113-0033 東京都文京区本郷2-12-9 グランディールお茶の水301号
 映演労連内 映画人九条の会事務局
 ℡03-5689-3970 FAX03-5689-9585 Eメール=ei-en@netlaputa.ne.jp

金八先生と「知恵遅れ」

 昨日22日の夜は会議で遅くなったのに、日本シリーズで1時間放送が延びたおかげで「3年B組金八先生」に間に合った。転入してきた生徒に知的障害があることを学級委員にしか伝えていなかったことで、他の生徒が納得しない。そこにその生徒の母親が子ども・子どもたちへの思いを語り、生徒たちもそのままを受け止めようとしていく。そんな内容だった。

 小・中学と、私の学年にも知的障害の生徒がいた。「ヨウゴ!ヨウゴ!」とからかえば、追いかけてくるから逃げる。日常的なことだった。「ヨウゴのくせに」と直接向かう言葉も「遊び」のなかで繰り返された。もちろん、みんながからかっていたわけではない。でも、あたりまえのようにあった。団地のなかの小中学校だったので、遊ぶ地域はせまかった。親はどんな気持ちでいただろうかと、今思う。

 中学2年の休み時間、「タミヤは○○くんとよく話しとるね」と担任から言われた。「あたりまえやん。ちょっと知恵遅れなだけやろ」と返すと、「何を言うんね!」と怒られた。知恵遅れという言葉にひっかかったようで、その言葉を使うなと言われたように思う。「知恵遅れやないと?」と言うと、手を出そうとしてきたので、「先生の方がおかしいやろ」と言って逃げた。全く理解のできないやりとりだった。

 本人が選んだわけでもないことで、差別されたり萎縮(いしゅく)しなければいけなかったり、「普通」でなく「特殊」に扱われることはおかしい。知的障害がどういうことなのか、まったく知らなかった。学校に期待しすぎる学校絶対主義ではないが、障害や離婚など、子どもに選択の余地がないことをすべて「普通」のこととしてとらえることのできる教育がもっとあるべきだったと思う。言葉狩りでは解決しない。

 エンターテインメントビジネス誌「オリコン」(10月25日号)は、この秋の連ドラのなかで「3年B組金八先生」への支持が中高生でトップだと伝えている。知恵遅れという言葉をあえて使ったこのドラマの今後の展開に私の期待は高まっている。

2004.10.22

川柳は 人と時代を うつすもの

 お~いお茶のペットボトルでみつけた「聞いていい日本はほんとに平和なの?」について書いたレポートに反響があったので、調子にのって、また川柳ネタで。

 第一生命サラリーマン川柳は新聞報道などもされて有名だが、2万3千句の応募があったそうで、さすがの作品がならぶ。ベスト10のなかで言えば、「父見捨て 子供プレステ 母エステ」が特に笑えた。13位に「オレオレと帰るコールにどちら様?」もある。

 1万4千の応募があったという全国有料老人ホーム協会の第4回シルバー川柳の入選作には、「おれおれと 名のって妻に すぐ切られ」と。上京して10年以上たつ中で、「介護され初めて気づく親不孝」は身にしみる。

 UFJ信託銀行の「遺言川柳」に寄せられた作品は6万をこえている。財産分与に限らない、辞書による「死にぎわに言葉をのこす」という意味では、「なみだより あせをながせと 母は書く」が印象的。

 買い物ついでにいくつかのコンビニでみてみると、「聞いていい日本はほんとに平和なの?」は、黄緑でなく深緑色の「おーいお茶 濃い味」のペットボトルによく載っている。

2004.10.21

父と暮せば 2 折鶴2万5千羽

 10月20日の朝日新聞夕刊は「映画に感動 鶴2万5000羽 『父と暮せば』上映館」と見出しを打った記事を掲載した。宮沢りえさん主演の映画「父と暮せば」を7月末から上映している東京・岩波ホールのロビー正面の壁が、2万5000羽の折鶴であふれていることを伝えている。観客数は5万人をこえたという。岩波ホールの職員が反核・反戦の思いを形にと、折鶴を折りながら亡くなった少女・佐々木禎子さんのことを思って、始められたもの。小さな思いが平和の願いを大きくしている。
 
 私も2度観た後、映画「父と暮せば」公式ホームページの平和への願い缶バッチを買い、小さく広げている。この映画をまわりにすすめることも私にできること。上映は12月17日まで。多くの人に観てもらいたい。

2004.10.20

ここも変だよ!石原都政 ~閉ざされた会議ばっかり開かれて

 石原都政になって、5年半。開かれた福祉、利用者本位が強調されている。大都市東京では働き方が多様化し、延長保育などは欠かせないものになっているが、子どもたちにとってどうなのかを置き去りにした論議では困る。

 開かれた福祉というが、密室的な審議会ばかり開いているのが石原都政の特徴だ。民間の保育所・福祉施設への補助の基本的廃止と保育の都の加算(保健師の配置や保育士・調理師の増配置など)の全面再構築を打ち出した委員会は、途中までその存在すら明らかにされなかったし、すべて準備が整ってから公開され、「提言」が出された。今後の福祉・保育のあり方を論議する児童福祉審議会や社会福祉審議会を傍聴できるのは、2年任期で3~4回の本委員会や総会のみ。傍聴ができない専門部会も含めた議事録がホームページに掲載されるのは、半年ほどたってから。情報としてほとんど生きていない。

 私は都合がつけば、この2つの審議会を傍聴しているが、開催告知が東京都のホームページに出されるのは、開催日の約1週間から10日前。傍聴希望が締め切られるのは、会議告知の2~5日後。開催日程も平日の日中が多いので、仕事を持っている人はまず無理。審議会自体が「開かれた福祉」でも「利用者本位」でもない。

 10月19日の夕方、東京都社会福祉審議会の総会の開催告知文書東京都福祉保健局東京都のホームページに掲載された。10月25日に開催されるこの審議会の傍聴希望者は21日までに申し込まなければいけない。しかも傍聴枠は5名。

 2年任期で10月25日から委員の構成が変わる。委員の基本的な問題意識をそれぞれが発言する内容と思われるが、7月には福祉サービス市場の形成にむけた報告がまとめられたが、福祉保健局のホームページの議事録には昨年12月までしか掲載されていない(10月19日現在)。前期の審議経過がわからないまま、新しい審議会の告知がされていること自体、「ダウト!」と言いたくなる。

 昨年12月22日の審議では、福祉サービス市場を形成するために、大量かつ安定的なサービス提供を民間法人(つまり企業)に期待し、社会福祉法人は市場になじまない分野でと、論点整理され、何回かの部会が開かれ、7月のまとめが出された。重要なことがコソコソと決められているということが大問題だと思う。結果に納得できなくても、過程を明らかにして決めていくというのは都政がやるべき最低限のことだと思う。小さな声が届かないまま、実質的な密室で大事なことが大きく変えられようとしている。

 また難しい話に。。。

2004.10.19

声を送れば妨害行為

 今日10月19日付の産経新聞は、今年4月に実施された公立保育所の運営費補助金廃止の影響を報じた。実際には国から支給された交付税などが前年度よりも多くなったのに、4割の自治体が運営費予算を削減し、うち1割は保育料を値上げしていたという厚生労働省の調査を取り上げた。

 ネット検索では、昨日10月18日付・しんぶん赤旗「なんと4割の自治体で保育所予算が減っていた」とする詳細記事以外にみつけることはできなかった。この問題に限っていえば、産経新聞としんぶん赤旗の指摘に強弱はあっても、方向性は基本的には同じだ。私立保育所運営費が同じ道へすすめば、この国の保育の行方が危ぶまれる。立場を異にする左右の新聞が共通の警鐘を鳴らしていることはもっと重く受けとめられるべきだ。

 しかし、地方六団体は三位一体改革推進ネットというホームページを16日に立ち上げ、地方分権推進苦情情報センターの改革案に対する反対・妨害等と思われる実態(10/1現在分)のなかで、一例として私立保育所運営費の一般財源化に反対する声が書かれている葉書が大量に送られてきたとして資料6に掲載している(いずれもPDFファイル)。産経と赤旗が報道した厚生労働省の調査が示す実態があるなかで、心配する声・反対する声を届けようとすることがどうして妨害行為なのか。

 保育・教育といった子どもにかかわる国の補助金(責任)が地方に投げられていいのか。何を守るべきかの国民的な論議もないままに。反対する声は何でも「抵抗勢力」なのか。いま、この国のあり方を根本から問わなければ。

 後日、もっとソフトにこの問題を書いてみたい。

2004.10.18

学校で起きたこと 3

 中学1年の終盤、通知表の評価が低すぎたことがきっかけとなり、教室に鍵をかけて、英語の授業はボイコットの状態になった。ある生徒が鍵をかけたことは突発的で、相談や計画があったわけではなかった。

 次の英語の授業が始まる直前、ボイコットについて今思っていることを自由に書く自習になるらしいことがわかった。「思っとること、全部書こうや!」、13歳の小さな反乱にむけて10人近くで固い確認がされた。8割の生徒はいつも不満を口にしていた。あとの2割も同じ思いを持っていたと思う。別の教師の監督のもとにそれぞれが自由につづった。作文提出後の休み時間、「ぜったい許せんよね!」という声が一気にふきだした。「ちゃんと書いたやろ?」と聞くと、「当たり前やん!」という答えはみんな同じだった。

 次の日の朝、担任の体育教師が連絡事項を口にした。「○○とTamy、このあと相談室に来るように」。相談室とは説教部屋として使われる場所のこと。でも、授業再開にむけてどうするかの話しあいだと思った。なぜ私なのかという疑問はありつつも、1人ずつ相談室へ。

 英語の教師が待っていた。「あんた、これ何ね?」「こんなこと書いとるのアンタだけよ」。そんなはずはないという確信で、「みんな、先生のやり方もおかしいっち、言っとるよ。ボイコットは悪いけど、先生に悪いことはないん?」と言うと、1対1のやりとりは緊迫していった。他クラスとの比較を日常的に口にし、通知表のクラス平均を2にしたことに落ち度はないのか。生徒も先生も譲り合って解決していくべきと書いたことで、教師の怒りは高まっていた。

 「みんなも同じこと書いとるはずよ」と再三言うと、相談室を出て職員室からレポートつづりを持ってきた。名前を伏せて見せられたレポートは、反省文ばかりだった。「悪かったと思います。これからは勉強に・・・」という異口同音の。ここで真実に気づいた。先生も悪いとしたのは私だけだったと。ボイコットと授業態度については反省はするが、生徒だけでなく先生も悪いと思うことは認めてほしい、そこだけは最後まで譲らずに私としての「反省」を示し、相談室を出た。呼ばれたもう1人は、ボイコットの経過を聞かれたようだった。

 教室に戻ると、次の授業の前の休み時間だった。「Tamy、何っち言われたん?」と何人もが聞いてきたので、「ほかの生徒はみんな反省しとったのに、反省してないのがオレだけちゅーこと」と答えたと思う。「ごめん。親呼ばれたらいけんし、通知表もこれ以上悪くなったら・・・」。「お母さんと話をせんといけんね」「高校受験はテストの成績以外に内申書も大事なんやけど、知っとるんかね」、英語の授業で繰り返されるこの二言が効いていたのだ。怒られるからやめる、評価が下がるから変える、善悪判断のゆがみは「いい子」を表面上はつくっていったと思う。それほど、生活態度を評価する内申書の存在は、教師や親の予想以上に大きかった。

 それから私は、ボイコットの首謀者的な先入観を持たれた。英語の授業は静かなほうだったのに。授業はやや落ち着きを見せて中学1年の幕は閉じた。担任から外れていたその教師が私の2年の担任になろうとは、まったく想像していなかった。

(つづく)

2004.10.17

スタート1ヶ月、継続は・・・

 ウェブログ「tamyレポート」、今日で開設1ヶ月です。2日に1回くらいはと思っていたレポート(記事)も23個に。無理せず、なんとかやってこれました。連日数十のアクセスをいただき、本当にうれしく思っています。私を直接知らない人とつながれていることで大きな刺激を受けています。また、年に何度かしか会えない人とレポートでつながることができるのもウェブログのおかげです。

 tamyレポートは、学生時代の恩師・ジャーナリスト亀井淳さんのホームページ(主に遠近法日録)や、ずぼらん共和国というホームページで発信を続ける保育士さんに刺激をうけて開設しました。

 主に福祉・保育、平和、学校、社会について書いてきました。出来事に対する私としての切り口を示そう、個人的なことからも問題提起ができればと、意識してやってきました。かなり飽きっぽい性格なのでどこまで続くかわかりませんが、まだ続けられそうです。

 かたいテーマが多い上、明るい展開も少ないウェブログになっていますが、できるだけ前から後ろからななめから、いろんな課題をみつめていきたいです。記事にコメントをつける機能もあります。ぜひアドバイスを、厳しい意見も含めていただきたいと思っています。

 書くことは好きで、書きたいことが決まれば早いのですが、中盤はテーマをどうするかで悩みました。でも1ヶ月やってみて、とにかく無理なく続けていくこと、「継続は力なり」という言葉は校長先生の話によく出てきたので使いたくないのですが、大事だなと。自分をきたえていくには、力がいると。体をきたえるなかで、筋肉痛に襲われながら筋力がついていくのと同じように。そうして力がついていくのかなぁと。

 最近はこのレポートをサラサラ書くことができるようになってきました。「継続はサラサラなり」、テレビCMでも流れています。みなさん、今後も継続したお付き合いを。コメントやメール、いただけるとうれしいです。

2004.10.16

都議報酬、時給1万5千円?!

 勤務先に近いコンビニのアルバイト時給は昼間800円。帰りに立ち寄る別のコンビニは深夜時給1000円で募集を出している。

 東京都の審議会に都議会議員が出席したときの報酬を、ネット検索で知ることができた。田中康夫・長野県知事が3年前の都議選で唯一応援した後藤雄一都議のホームページ(行革110番・世田谷)で。後藤都議が連日掲載している「パン屋の都政日記」の2002年9月30日付のレポートがその実態を明らかにしている。53ある審議会・評議会から2つのポストがふりあてられ、その委員・評議員の報酬は0円から2万9千円までとされ、2万円以上が40もあるという。この日記によれば、都議にも委員として報酬が支払われているという。

 私がほぼ毎回傍聴している東京都社会福祉審議会東京都児童福祉審議会も最高の2万9千円を支給しているという。社会福祉審議会には数名の都議が委員となっていて、この2年で少なくとも3回(2003年3月、12月、2004年7月)は出席しなければいけない会議がおこなわれた。

 1回2時間、発言時間も数分。それで2万9千円。時給は約1万5000円。明日の福祉・保育をどうしていくかという審議が、おいしい仕事でいいのか。2001年6月の産経新聞都議選特集記事によれば、議長の月給は134万、副議長121万、各委員会委員長112万、議員108万、一時金を含めた年収は議長2355万、議員1900万。ほかに、政務調査費として議員1人あたり月60万円が会派に支給されている。当時より年収は若干削減されているが、これに加えて報酬を受け取ることがなぜ必要なのだろうか。

 来年7月には東京都議会議員選挙が予定されている。ムダを省く努力をと、すべての候補者が選挙前に口をそろえて訴える。身近なムダに気づかない都議は大切なものを削ってしまうのではないか。そんなことにならないように、都議会と議員をしっかりみつめていきたい。

2004.10.15

聞いていい 日本はほんとに 平和なの?

 労働組合の会議は多くて長い。それぞれが持ち込む飲み物が違うわけだが、伊藤園の「おーいお茶 濃い味」ペットボトルを目にしたときは見せてもらっている。ペットボトルに第十四回の新俳句大賞の入賞作が掲載されているのだが、同じ俳句を3度見た。その作品のなかで「聞いていい 日本はほんとに 平和なの?」(17歳・佳作特別賞)に3度出合った。

 高校を卒業して、干支もまもなく一回り。上京して一人で暮らしていると、一回り以上下の世代とかかわることはほとんどない。たった17文字のメッセージ、子どもの視点のするどさに、あらためて驚かされた。私も子ども時代は学校の作文発表をがんばったり、新聞に投書をしたり、メッセージを何かで表現して発信したい思いが強かったが、その頃の方が感度と表現のインパクトはあったように思う。時がたつにつれて、どんどんなくなってきていることを実感している。

 いまペットボトルや缶に掲載されているのは第十四回の作品だが、伊藤園のホームページには第十五回の受賞分も掲載されている。今後順次、ペットボトルや缶へ。

 家族や勉強、恋愛ものも含めて、今の時代を新俳句はうつしだしている。全体の作品をみたが、戦争・平和に関するものも少なくない。第十五回の受賞作では、「てつのあめもうふらないで戦そう反対」(10歳・後援団体賞・NHK文化センター選)、「鉄砲の玉は全部どんぐりにして」(14歳・ユニーク賞)、佳作特別賞にも「戦争は子供のけんかによく似てる」(11歳)、「世界には地雷ではなく花の芽を」(11歳)、「初もうで世界平和を神だのみ」(11歳)、「自衛隊家族の気持ち吹雪かな」(北海道・12歳)、「八月の命の尊さ忘れない」(12歳)、「戦争を静かに止めよ天の川」(13歳)、「イラクまで届け平和を除夜の鐘」(16歳)など。

 「聞いていい 日本はほんとに 平和なの?」 このメッセージはまっすぐで、しかも深く濃い。逃げることなく、こたえていきたい。

2004.10.14

保育の意見広告、14日の読売と地方紙に掲載

 今日14日の読売新聞と地方紙(北は北海道新聞から南は沖縄タイムスまで、中日新聞は15日)に、私立保育所運営費の一般財源化に反対する意見広告(PDFファイル)が掲載された。全国保育協議会日本保育協会全国私立保育園連盟の3団体が1億円の募金をかけてのアピール。

 掲載広告でも「あなたのご意見をください」とよびかけ、子育て環境の整備を進める会のホームページアドレスが大きく出ている。どこに住んでいても少なくともこれだけは国が責任を持ちますというものを地方に投げることが分権なのか。児童養護施設の運営費や虐待対策関連の費用まで。しかも、全国知事会や市長会などが逆にリストをつくって提案している。厚生労働省の社会保障審議会の児童部会も反対する意見表明を7日におこなったばかり。昨日の所信表明で「やればできる」を繰り返した小泉首相。反対する人たちをいっせいに守旧派、抵抗勢力として扱うべきではない。何を守ろうとしているのかにもっと迫った報道が必要だが、何を守りたいのかという私たちの宣伝・アピールの力も同時に問われている。

2004.10.13

学校で起きたこと 2

 今週15日(金)からTBS「3年B組金八先生」が始まる。教師が生徒と向き合い、人としての関係が結ばれ強まっていく。すべてのシリーズをみたわけではないが、先生と生徒だけでなく、生徒間の信頼感が卒業にむかって高まっていく場面とその展開に、いつも心打たれる。

 授業が成立しない。中学1年の後半、英語の授業はそうなっていった。「このクラスはうるさい」「だけ(だから)、テストも悪いんよ(悪いのよ)」、英語を受け持つベテラン女性教師の言うとおりだったが、中学で初めて向き合う教科と教師への反発は私語や野次として大きくなり、授業は危機を迎えていった。

 2学期末、通知表にクラス中がどよめいた。確かにクラス全体のテストの成績は悪かったが、まわりに聞いても英語にかぎって「2」が多く、「1」も少なくなかった。5段階評価で、クラスの平均が「2」だった。これにはふだんおとなしい生徒も納得しなかった。教室は抗議の色が濃くなった。

 通知表受け取り後の英語の授業で、評価について「何でなん?」「うちのクラスだけおかしいやろ!」と抗議の発言が出たが、「自分たちの心に手をあてて考えればわかるやろ」ととりあわなかった。次の英語の授業に事件は起きた。教師が入ってくる気配を感じた生徒が鍵をしめた。「ボイコットするんやね?」。廊下に教師の声が響いた。教室には「あたりまえやろ」「帰れ」という威勢のいい声が響き、同時に微妙な空気が漂った。

 (つづく)

2004.10.12

学校で起きたこと 1

 私の中学は荒れていた。時がたつにつれ、後ろに空席が目立ち始め、中学2年になったときには、40人学級のはずが授業をうけているのは30人という状況に。タバコを吸うにとどまらず、屋上で花火があがったり、非常ベルが連日鳴ったり、状況は日々悪化していった。教師がビンタをはるなどは珍しくなく、今考えても異様な光景のなかで中学時代を過ごした。
 入学当初の先輩が卒業し、後輩が入ってきた中学2年時の担任は女性のベテラン教師だった。口うるさくうつる担任への反発はエスカレートし、廊下でむなぐらをつかんで威圧するなど、クラスの荒れは深刻になっていった。誰もとめず、隣の教師がかけつけることも多くなっていった。
 いま、全国的に少人数学級へ踏み出す自治体が増えている。東京都教育委員会は「基準については、児童・生徒の杜会性を養う観点から、現行の国の標準である40人とする」(2004年6月)という姿勢を基本的に崩していない。少なくとも小学校低学年は30人学級で、という声さえ届いていない。荒れ、体罰、学級崩壊、私の頃にすでに起きていた問題を解決していこうというメッセージは、施策として伝わってこない。

2004.10.10

今夜放送「わしも死の海におった~証言・もう1つのビキニ事件~」

 ドキュメンタリー番組が少なくなり、あっても番組欄の限りなく下の方(深夜帯)に格下げになっている。そんななかでも歴史と局面と人に焦点をあてつづけている番組がある。今日深夜(11日午前1時25分から日本テレビ系)に放送されるNNNドキュメント04は、50年前のビキニ事件を取り上げる。25分の枠で、どこまで何が伝わるか注目したい。

 以下、番組ホームページより

■日本テレビ系NNNドキュメント04
2004年10月10日(日)25:25~25:55/25分枠

   わしも死の海におった
~証言・もう一つのビキニ事件~
        制作=南海放送

 50年前、ビキニ環礁で第五福竜丸が被爆した。しかし、被災したと見られる船は第五福竜丸だけではなかった。その数、900隻以上とも言われている。そして、それらの船の乗組員は、ガンや心疾患などにより若くして次々と死んでいった。しかし、水爆実験で被災したとみられる人は、第五福竜丸の乗組員をはじめ誰一人、被爆者認定を受けて
いない。この事実は、50年間あまり知られる事もなく、時代と共に今や消え去ろうとしている。

 20年前、この事実に目を向け調査を始めた高校生や教師たちがいた。高知県幡多郡の幡多ゼミナールの高校生たちだ。今も続く調査。生存する被災船員から伝え聞く事実の重さを、若い彼らはどのように受け止めるのか。50年間、隠され続けた事実、戦争が引き起こす矛盾、そして核の恐怖を被災者と高校生たちの目を通して描いていく。

NNNドキュメント04ホームページ

サワーのジョッキとグラスの違いが教えてくれたこと

 労働組合と老舗の平和団体の役員として、運動全体のインターネットの活用が課題だと思っている。私がインターネットの威力を感じたのは、白木屋・魚民などを展開する大手居酒屋モンテローザグループについて。

 98年、白木屋に働く20代の女性社員が一方的な賃金引下げなどに納得がいかず、労働組合(東京西部一般白木屋分会)を結成。このあと、本社前での宣伝などとともに、告発ホームページが複数開設・運営され、実態が暴露されるようになった。新聞だけでなく写真週刊誌などにも取り上げられるなど、反響が広がり、不当労働行為が続くなかでも、不払い分の支払いなど一定の成果もあがった。

 さらに3・4年前、魚民や白木屋のサワーについて、ジョッキとグラスの値段が100円違うにもかかわらず、量がいっしょという事実が実証も含めて「魚民サワーのジョッキとグラスの飲み比べホームページ」で告発された。今はグラスのサワーはなくなったらしいが、このホームページをみて店で実際に検証してみる客も増えた。私もその一人で、確かに3年前は白木屋のジョッキのサワーをグラスにうつしかえても、あふれることはなく、普通に注げた。その結果を自前のホームページに書いたり、掲示板に書き込みをするなどで、事実は知らされていった。

 このごまかしがなくなったことはインターネットの威力といえる。労働組合・プロ野球選手会のホームページも、今回積極的に活用され、共感と認知度が高まった。この力を実際につかえなくても、世代をこえて少なくとも知ってもらうことが運動の側に求められている。共感を広げていく上で欠かせないと思っている。

2004.10.09

台風報道の裏側で

 史上最強といわれた台風22号は東京を通過し、そのピークは過ぎた。サッカー、F1などのスポーツの中止、鉄道、航空の運休だけでなく、がけ崩れ、避難など、影響は大きなものだった。JR新宿駅やお台場から繰り返される状況報道は、「傘を持てないほどの強風と暴風雨」を伝えたが、その裏側で何が起きているか、想像力を深める必要があると思う。

 少なくとも90年代最強といわれた今回の台風。90年代に増えたものは何だったのか。警視庁発表によれば、自殺者は15年前に比べ、1.5倍をこえる3万4千人と大幅に増加している。ホームレスについては、東京都が10月6日に「路上生活者概数調査の結果」を公表したが、ここ数年でカウント数の上では変わっていない。しかし、3年前には女性ホームレスは142人だったが、今回は193人と激増しているように、深刻さは増している。

 私の実感では、動ける人のなかでは駅や路上に定住しないケースが多くなっていると思う。年に十数度、新宿西口の都庁に通うなかでも、テントに住まず、屋内で風雨をしのぐ姿が目立つ。さらに、私は都心と市部の中間点にあたる地域に住んでいるが、帰り道の街道で、マンションのそばで休む姿やごみをあさる状況を目にするようになった。明らかに、その地域は広がっているし、カウントされない人も多いはず。

 東京都は自立を促す施設の整備をはじめたといい、その成果を強調している。さらに、公園でのテント住まいをやめさせる条例を全国で初めて制定する動きも都庁内にはあるという。自治体がカップ麺などの支給を「財政難」「自立支援への転換」などを理由に打ち切ることも主流になりつつあるようだ。

 今回の台風にしても、彼らはどうやって情報を集め、どう対処できたのだろう。「自立支援」の施策と情報は十分なものになっているのか。ボランティア団体の炊き出しが「財政難」を理由に縮小されるなか、公的支援のあり方がもっと問われるべきではないか。台風報道の裏側で、一番の被害者を「自己責任」で片づけないでほしい。

2004.10.08

平和な島を返してください

 1995年、米兵による少女暴行事件に怒りが広がり、10・21沖縄県民総決起大会に8万5千人が参加した。高校生・仲村清子さんの「平和な島を返してください」という訴え(演説文はこちら)がニュースで全国に放送された。あのときの反響、響きは何かを変えたのか。9年たってもヘリ墜落事件や戦闘機接触事件が起き、基地被害というあってはならない「日常」は何も変わっていないのではないか。

 仲村さんは現在女優修行中で、映画「カメジロー 沖縄の青春」や「軍隊をすてた国」に出演。完成したばかりの「マンゴと黒砂糖」という沖縄帰還者・戦争体験者の今に焦点をあてた映画では、ナレーションをつとめたという。彼女のホームページが今を伝えている。

 成長し変わっていく姿と、変わらない基地被害。沖縄にとっての「日常」と、私たちにとっての「非日常」。暴行事件という基地被害を背負わされた少女も今は成人している。変えようとしないこの国に生きる私たちは、「平和な島を返してください」という、ごく当たり前の求めに、こたえられていない。

2004.10.07

保育のお仕事

 9月にNHK朝の連続テレビ小説「天花」がおわった。保育士を主人公に展開したが、「人も米も心をこめていつくしむから育つんだ」というモットーは、十分に描ききれていなかったように思う。昨年は男性保育士を主役に、保育園を舞台にしたドラマ「よいこの味方」が放送されたが、こちらもイマイチだった。
 
 10月11日(月)午後7時30分から55分までNHK教育テレビで、「あしたをつかめ 平成若者仕事図鑑」という番組が放送される。保育士は高校生がなりたい職業の女子1位になっている。
 「10月4日から5週に渡り、高校生が将来就きたい仕事を取り上げます。人気職種の仕事の実際をまるごと紹介するとともに、時代の中で変化したこれらの仕事の最新情報にも注目してお伝えします」というこの番組の制作は地方局がおこなう。
 14日(木)午前2時25分から50分、16日(土)午前10時30分から55分にも再放送を予定。注目したい。

2004.10.06

祈り

 10月4日、嘉手納基地を離陸した米軍戦闘機が接触・緊急着陸する事件が起きた。50日前にヘリ事件が起きたばかりなのに。
 最近、普天間かおり「祈り」という歌を聴いている。NHK「みんなのうた」(6・7月)でフルコーラスが流され、7月の全日空「SKY AUDIO」でもオンエアされた。
 普天間かおりさんはこの「祈り」について「戦争、テロ、貧困、環境汚染、心の不安定・・・。世界はたくさんの問題を抱えています。私たちにできることは、足りないものは一体何なのでしょう。みんなの心が潤いますように。」とコメントしている。
 平和を願う、透明感のある声で「水をください 涙でいいから 割れた大地を潤すの 争いならば いらない」と、サビを歌い上げる。もっと多くの人の心に響けば・・・。

2004.10.03

4日のニュース23で龍一&桜井が反戦歌

 キャスター筑紫哲也さんについて、キレがないとか、突っ込みが甘いというような指摘を聞くことがある。私は基本的に彼のニュース23のつくり方に対する努力はすばらしいと思っている。「多事争論」の時間が短くなったなかでもタイムリーにピントをあてている。また、沖縄基地問題、イラク戦争についての踏み込みや扱う回数も他のニュース番組との違いは明らかだ。

 10月1日付のスポーツニッポンの芸能面に「ニュース23発!龍一&桜井が反戦歌」という記事が大きく載った。筑紫キャスターと坂本龍一さんが共鳴して、視聴者から日本語詞を募集して「WAR AND PEACE」という反戦歌が仕上がったという。4日のTBSニュース23で披露される。この記事には「戦争と平和」は筑紫キャスターが番組当初からこだわってきたテーマとある。ミスチルの桜井和寿さんや作家の吉本ばななさんもフレーズを提供。4日は元YMOのメンバーが93年以来のテレビ演奏を、生でおこなうという。番組ホームページ内に企画の詳細ページもある。

 スポーツニッポンのウェブニュースには書かれていないが、紙面には、
 作曲 坂本龍一
 作詞 おばあちゃんから中学生まで視聴者代表
     ミスチル桜井和寿
 プロデュース 筑紫哲也
 演奏 YMO
 と大きな字で打たれている。

 アメリカ同時多発テロで夫を失った女性、太平洋戦争で義兄が戦死した65歳の女性、14歳の中学生などのフレーズが曲に乗って、どうひびくのか、聴きたい。

2004.10.02

桃太郎斬り!

 切り口がおもしろい。学習の友別冊「日本国憲法改悪NO!」(全労連・労働者教育協会編)の松元ヒロ「憲法」誌上ライブの「桃太郎」。
 
 鬼の立場で考えてみると、島でふつうに暮らしていたら、桃太郎が突然攻めてきた。これは侵略行為だと。島に財宝はあったが、どこから取ってきたか鬼もわからない。財宝を持って帰った桃太郎が本当の持ち主に返した様子はなく、これは略奪行為だと。桃太郎の部下は、犬と猿とキジで、人間の友だちはいなかった。命がけの仕事の報酬はきびだんご1つ。最低賃金に満たず、違法だと。3人いれば労働組合がつくれる。「犬・猿・キジに組合結成をすすめましょう」とよびかけている。ここまでが松元さんの誌上ライブ。

 イー・こども・ドットコムというえほんサイトから絵本の「ももたろう」を読んでみると、「悪いことが嫌いな桃太郎は人から宝物を奪い取る鬼たちがすむ島があるときき、鬼退治に出かけることにしました」とあり、鬼イコール悪は聞いた話でしかないことがわかる。鬼たちは酒盛り中を襲われた。宝物を持って「帰ってきた桃太郎を見て、おじいさんとおばあさんは大喜びでした。それから皆、なかよく暮らしたということです」としめくくられているが、持ち主に返して喜ばれたというような話は出てこない。

 子どもたちの夢をこわすような話だが、現実に似たようなことが起きてはいないか。「世界一」のハチマキまいて、「大量破壊兵器絶対あり!鬼退治」のノボリをたてて、イギリスとスペインと日本を家来に。鬼の悪事もいろいろあるが、「まだ話し合える」という声を聞かないで中東へ。

2004.10.01

父と暮せば その1

 宮沢りえさん主演の映画「父と暮せば」をいろんな人にすすめている。私は4月の試写会と、7月31日の岩波ホールでの舞台あいさつで2度観ている。
 その舞台あいさつで、宮沢りえさんは透き通る魅力を発しながらこう言った。

 この日が迎えられて、本当に、こういう時に使うんだろうなあ「感無量」って、さっきちょっと思いました。去年のちょうど今ごろ撮影をしていたのですが、本当に、こんなに演じるということに対して不安になったり、落ち込んだり、自信を無くした作品は初めてです。それはきっと美津江という人の心の中に渦巻く感情の、今の私には想像もつかないような感情や、この作品の重さ、大きさ、そして原爆という恐ろしい、本当に恐ろしいものが美津江という人に与えた大きなもの、そういう大きな大きな壁に、去年の夏に私はおもいっきりぶつかっていたなあと思って、でも今日のこの日を迎えられて、その大きな壁にぶつかっていた事を、1人の人間として、演技者として良かった事だと本当に、監督、原田さん、そしてこの本を書いてくださった井上さん、そして、本当に心のこもったスタッフに感謝しています。今日見てくださった方の心の片隅にでも、ちょっとよくばりして、深く深く何かを感じていただけるような作品になったと思いますし、そうであってほしいと願っています。

 7月31日から12月上旬まで岩波ホールでは上映が続く。3度目にそろそろ行こうと思っている。この映画と宮沢りえさんが発するメッセージについてはまた追って書いていきたい。ちなみに割引券を持っていくと200円安くなることはぜひお知らせしておきたい。
 
 

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