電車に子どもがいない
東京に住んで、もう10年以上になる。それまで地方都市にいた私にとっての驚きは、電車に子どもがいないこと。電車だけではないが。
先日、夕方過ぎに山手線で移動中、めずらしい光景が。総勢10数人の外国人(ロシア系かな)が満員電車に乗り合わせ、その中の親子6人が私の近くに。座れた2席を囲んでなにやら会話。特にうるさくもなく、話は続く。そのかたわらにいて、気づいた。6人でいるのに、1人が話すとその話をみんなで聞いているということ。誰一人、話の途中で口をはさまない。保育園の年中さんから小学校4年生くらいまでの子どもたちがそれぞれ一生懸命話し、父母や兄弟はそれをうけとめる父母。うるさくしすぎないというマナーを守りながら。少なくとも電車のなかではなかなか見ることのできない状況だった。
普段、通勤で満員電車に乗っている。そこにはいろんな人の顔がある。でも、一人ひとりが「個室化」していて、化粧をする人、パソコンで仕事をする人、新聞を読む人、そこに本当の顔、生き生きとした表情はない。
満員電車という非人間的な空間は人間的な光景と両立しない。でも、非人間的な空間に慣れていくと、それが非日常であるはずなのに、日常となり、違和感がなくなっていく。
あたたかいエピソードになる光景に電車内でふれると、そんなことを考えることが多くなる。少子化問題がとりざたされるなか、電車内での少子化の深刻さにふれる人が少なすぎると思う。
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ブログ内関連記事をたどって、一年以上前のものに来てしまいました。
>一人ひとりが「個室化」していて、化粧をする人、パソコンで仕事をする人、新聞を読む人、そこに本当の顔、生き生きとした表情はない。
このことに、一年以上前から、問題意識をもたれていたんですね。
自分のブログで書けばいいことなのかもしれませんが、なかなか子連れの親の集団と遭うことも少なく、母子連れの乗客と出会うことも日常ではないことです。通勤電車に母子が乗っていて、その母子は、日常とは違う場にいるように見えるときは、近くにいく条件があれば、その様子を観察したいと思い、近くまで動きます。
というより、僕が家族で動くとき、決して陣取ることはないだろうところになぜか、立っているんです。乗客の降り乗りのときに、場合によっては子どもがミンチになりかねないところに……。
一人での通勤の時には、自分のみを守る、というより乗るべき電車に時には、負傷しながらも乗り込めばいいのですが……、その結果新しく下ろしたばかりのスーツのボタンを引きちぎられたり、ホームの駅員に押し込まれて、肋軟骨の損傷に遭い、一ヶ月痛い思いしたこともありますが、そうした経験があるから、家族で動くときには、危険な箇所をさけるのですが、その危険を知らない母子がいる……、一番の危険部位に何で!? と思いつつ、お母さんに声かけるのもはばかられ、危険な乗り降りの局面、壁となって踏ん張っています。そのいくつかの駅を過ぎて母子は僕の存在を知ることなく、無事に降りていくのですが、そのことがいいことなのか、「そこ危ないから、もっと奥に行ったほうがいいですよ」と助言(のつもり)の言葉を発するのがよりいいことなのか(というより、僕自身が、そういう言葉を発することが、苦手なわけなのですが)、発したからよりいいことになるのか、ならないのか、僕には、今のところ判断がつきません。
電車の中(校門ではなく)、子どもの圧死事件が生じたとき、誰が責任を負うのでしょうか。母親の責任、母親バッシングが始まるのは予想がつきます。周りの乗客が、僕がいてもいなくても、母子を守る、そこに居合わせた乗客の誰かができるのなら、そうした事故に至ることはないのですが……。どの局面でも、何とかできる、とは思えません。
公共交通機関が、なぜ、こんな危険な運行が日常的にできているのか、そのことが不思議です。超満員でも乗っけてくれる、交通機関の親切でしょうか? 定数は定数であって、例外的な事情の中、そうした局面はあり得るでしょうが、あくまで、例外的なことであるはず。それが日常である現実は何なのでしょうね。保育園の定員は、20%オーバーを受け入れても合法となったようですね。それで保育の質を保つことが可能なのか? それが、子どもたちの最善の利益にかなったことなのでしょうか?
超満員が日常の交通機関においては、何らかの事故がおきたとき、超々満員の乗客を代行輸送機関の手ではなく、足を借りたとしても乗客をより早く、目的地に送ることはできません。そうした事故がおきたとき、ホームで喧嘩がはじまるのは、何度も目撃しています。
投稿: SASKE | 2006.04.03 00:53