黒焦げの三輪車が語る 原爆が奪ったものは日常と希望、いのちだった
8月4日から6日までは広島で、7日から9日まで長崎ですごしてきました。今日は長崎の原爆が投下される予定だった(煙と雲による視界不良のため、第二候補地の長崎へ)北九州市小倉にいます。
原水爆禁止世界大会への参加が主な目的でしたが、関連企画以外で印象に強く残ったのは、8月6日に広島平和記念資料館で見た「三輪車、鉄かぶと」でした。何度も資料館には行っているのですが。
爆心地から1.5キロメートルのところで、ふつうに遊んでいた子どもが・・・。この三輪車がなぜ焦げてさびているのか、乗っていた子どもはどうなったのか、夏休みのいま、多くの子どもたちに知ってもらいたいです。
〈三輪車、鉄かぶと〉
*広島平和記念資料館展示解説より
鉄谷信男氏寄贈
爆心地から1500m 東白島町鉄谷伸一ちゃん(当時3歳11か月)は、三輪車乗りが大好きでした。あの日の朝も、自宅の前で遊んでいました。その時です。ピカッと光り、伸一ちゃんと三輪車は焼かれてしまい、伸一ちゃんはその夜死亡しました。お父さんは、たった3歳の子を一人お墓にいれても、さびしがるだろうと思いました。そこで、死んでからも遊べるようにと伸一ちゃんの亡骸(なきがら)とこの三輪車を一緒に自宅の裏庭に埋めたのです。
それから40年が過ぎた1985年の(昭和60年)の夏、お父さんは、伸一ちゃんの遺骨を庭から掘り出して、お墓に納めました。
伸一ちゃんとともに庭で眠っていたこの三輪車と鉄かぶとは、平和記念資料館に寄贈されました。
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