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2005.11.03

電車に乗って思うこと 

最近、電車の中でいろいろ感じる出来事が。

日曜の昼、電車に乗って帰ろうと、車内に入って出入り口の脇によけたところ、後ろから背中にかなり強く頭突きをされまして。60過ぎの会社役員と思われる人でした。

ドアは閉まって、発車したものの、隣り合わせで立った状態で、

「すみません」の一言もないので、冷静に言いました。

私「いま強くぶつかりましたよ。謝らないんですか」

男「ぶつかるところにいるお前が悪い。人が乗れなくなるじゃないか」

私「真ん中にいたわけじゃなくて、よけてましたけど」

男「お前、真ん中にいたのに何言ってるんだ」

がっかりしました。

私「あの、初対面で、私は敬語を使ってるんですが、お前という言い方はないと思いますよ」

私「それと、真ん中にいたっていうのは違いますし、あなたの後ろには誰もいなかったし」

私「あなた、かなり酔っ払ってませんか。日曜の昼から」

ここで、私は別の車両に移りました。最後の一言の前にフラフラしていることに気づき、前をまったく見てなかったということがわかりましたから。それでも謝らないんです。

大した話ではありません。でも、譲る姿勢がまったくないです。

最近は信じられない事件が相次いで、今の親の教育が悪いとか、学校の先生に能力がないとか、インターネットが子どもに悪い影響を与えているとか、そんな声が大きくなっているように思います。

ちょっと待てよと。

あんたら、評論家かよ。テレビのコメンテーターかよと、言いたくなります。

子どもたちはコミュニケーションがうまくとれない、なんて言う大人に、そもそも言う資格があるのかと、あったまにきます。

歳が3回り近くも下なら、「お前」よばわりして、絶対自分が正しいと言い張る。譲る気なんてさらさらない。会社じゃ、えらいんだろうけど。家でも、えらいんだろうけど。

数日前にも、電車で恐ろしい状況をみました。平日の午後7時くらいだったでしょうか。

混んではいたけど、満員でもないという電車内で、2歳くらいの子どもが泣き出し、お母さんが抱いてあやしていました。

そのお母さんに対して、とがった視線が向かい続けました。少し離れた私から見て、少なくとも3人は徹底的ににらんでいまして。

大してうるさくもない程度で、犯罪者を見るかのような厳しい視線。

余裕がちっともない電車はおそらく社会の反映。

子どもを迷惑な騒音としか見ることができない、まったくゆとりのない電車は、どこにすすもうとしているのでしょうか。

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コメント

おはようございます。私も同感です。日本人はお互いに謝らなくなりましたね。社会に優しさがなくなりました。謝らないことが強いことだと誤解している。若い人の方が、まだ日本人の遺伝子の力が残ってて、まだましです。35~75の大人が一番よくない。私もこの、良くない世代ですけど。嫌中朝韓感情も同じ社会心理だと思います。

本当に世の中ぎすぎすしてますね。
成果主義になり、働いていても自分の働きはいくらか。なんて
いつもいつも考えているのでしょうね。
周りとの協力が薄れ、みんなが一人ぼっちになってしまっているのではないでしょうか?

おつかれさんです。
アンパンチ、結構良かったと思うよ。

それにしても、頭突きですんでよかった・・。気をつけてね。

電車の話題を拝見したのは、2度目ですが、2度目も、書き込みます。

>最後の一言の前にフラフラしていることに気づき、前をまったく見てなかったということがわかりましたから。それでも謝らないんです。
 この状況からすると、泥酔していて、頭突きをふくめて、本人は何もわかっていなかったことが考えられます。

 僕も、数年に一度でしかないつもりではありますが、朝方まで飲んでて、どこをどう帰ったのかわからず、しかし、目が覚めたら、ちゃんと、自分の布団の中にいた、ということはあります。携帯を落としたり、何かがあったことを予想される、膝や腕や、手の甲に怪我していたりします。マナーの議論以前、なのかもしれません。もちろん、弁解の余地はありませんが。

なんというか、上手いこと言えないんですが…
マンガ「サトラレ」で、似たようなシーンを見た憶えがあります。
コミュニケーションが正確であれば、人は間違いを起こすことが少なくなるのかなぁ…

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