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2006.02.18

映画「スタンドアップ」を観たというつながり

私がインターネットをやるようになって、8年はたったと思う。

その後、ブログを初めてからほぼ1年半。

ブログの開設前は複数のメーリングリストに意見や情報を流すことが多かった。そのメールを某巨大掲示板にそのまま転載されて、「アホ」などと批判・中傷されていることを随分たってから知って、地下3階くらいまで落ち込んだことがある。

ブログをはじめるようになって、意図的なわいせつトラックバックや、筋はともかくとして表現に心配りのない攻撃的なトラックバックやコメントもいくつかいただいている。

それでも、メールで直接励ましをもらったり、「読んでるよ」と直接言われるとがんばろうって思う。また、雑誌やブログで私の記事が紹介されたりすると、すごくうれしくなるのもブログの魅力のひとつ。

それらとは別に、最近感じたのは、偶然の共感&発信のうれしさ。

先日、映画「スタンドアップ」を観た感想をブログに書いた。全米初のセクハラ訴訟という事実をもとに描かれた、とても感動的な映画。

【ブログ内関連記事】

映画「スタンドアップ」 立ち上がるということ(2006/2/11)

おととい、届いたばかりの私の所属労組の機関紙を読むと、映画評の連載が同じ映画を取り上げていた。もっと組合活動や一人ひとりにひきつけた展開で。毎月楽しみにしているその映画評を書いた、ちょっと上の先輩役員が先に書き上げていて、偶然の一致。

また昨夜は、平和団体でいっしょに活動させてもらっている役員から、「ホテルルワンダ」など3つの映画をやりくりしてみたというメールが携帯電話に届いた。そのなかの3つの映画の一つが「スタンドアップ」。

先進的な発想を持つ、二回り近く上のその女性役員は私のブログを見たことがあるといっても、頻繁にみてるわけではないので、これも偶然。

自分の発信したこととつながりを確認できるブログは、偶然の共感や新たな視点を感じることもできる。

書こうと思ってもなかなか指がすすまなかったり、気持ちが盛り上がらずに書こうとさえ思えなかったり、一方的な嫌がらせをうけて書きたくなくなったり、いろいろですが、映画「スタンドアップ」の観た後のつながりも、「スタンドアップ!」とよびかけてくれている。

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コメント

 「スタンドアップ」のことをブログに書いたよ、といわれてから、ずいぶんたってやっと拝見できました!
 3つの映画とは「スタンドアップ」「白バラの祈り」「ホテルルワンダ」です。(観た順に) どれも時代もテーマも違うはずなのに、共通しているものを感じました。 それは、差別や偏見、暴力にどう対峙するか、、のりこえられるのか、、。60年以上前のドイツで(あるいは日本でと置き換えてもいいくらい)のできごと「白バラ」、80年代のアメリカ北部の炭鉱でのできごと「スタンドアップ」、90年代の(いえ、これはまさに現代の)ルワンダ(だけでないはず)、、、。いずれも身近なことにひきつけて、身につまされるおもいで観ることができるはずです。作品のもつ問いかけの質的な高さ、、深さが感じられました。声高なものいいでないこと、ごくふつうの日常の中から生まれる何かを描いていましたし、もうひとつのキーワードは「家族」だとおもいました。
 「スタンドアップ」や「白バラ」を見た後のなんという励ましをうけた感じ、、、をぜひとも誰かと話し合いたい、、と思います。

 

 こういうコメントを書くのは初めてなので、要領がわからず、途中で送信してしまったようで、、、。失礼しました。それで、つづきです。
 
 「白バラの祈り」は、当時の記録に基づいて、これまで製作されたものもあるが、より史実に近く描かれているそうです。それでもこれは確かに映画らしいフィクションだろうと思われる場面で、独房にとらえられた主人公の若い女性が見た夢のことを語るシーンがあります。(もしかしたら同房の人が記憶していた事実かもしれないけれど) とても印象的で、わが身は奈落のそこへ落ちながら、真実という「未来へ託すもの」を救い上げた、、というところです。

 平和ということを語るとき、私にとってこのような世代を超えて託されたもの、、、ということと、切り離して考えることはできません。
 「父と暮らせば」のみつえが、自分の生き残った意味に思いあたることや、「夕凪の街桜の国」の三世代の、、、生き残ったものたちへのいとおしさにあふれた
物語、、、に共通しているのも、そのことだと思います。

 スタンドアップ、、もアメリカで今このような作品が作られていることが注目に値すると思いますが、たくさん印象的なところがありました。なかでも、主人公のジョージーが法廷で過去を問いただされていく中で、息子の出生が本人に知られてしまう衝撃的な場面で、少年の彼をまずささえる知人の大人の男性のすばらしい対応があって、そして母である主人公の息子への愛情(観ているものにも、そのことが十分につたわってくる)が伝わったことに、安堵するのです。
(もちろん、ドラマの中心にある主人公の父親の変化などもグッときますが。)
 結局、人は何によって支えられ、つらぬくことができるのか、、、わが身にひきよせて、みな感じることになるのでしょう。

 差別、偏見、暴力にたいして非暴力で対峙するには、真の勇気がいりますよね。
 憲法9条は、究極の非暴力と真の勇気についても考えずにはおれない問題だと思います。(特別なものでなく、日常の中にあるものとしても)

 ずっと、長いこと考えてきたテーマのひとつに、最近光明をみたものがあります。
 それは「憲法24条は私的非暴力」(DVや性的差別と支配を否定)内在させ、「憲法9条は公的非暴力」(究極の国家間の暴力である戦争を否定すること)という関係を解明したものです。簡単に紹介したブックレット「憲法24条+9条」 (かもがわブックレット、中里見博著)があります。

 私的暴力を容認したり、みのがしたり、肯定するするものは、暴力の抑止力を是認することにつなりやすい、、ということです。
 「他人」(他国)の暴力を抑止するために、核兵器の抑止力を肯定・是認を、たやすくする 素地となるでしょう。  
 人類がなしうるおよそ最悪の暴力・破壊としての実相をくりかえし認識すると同時に、これらをくりかえさせないために、ひとり一人は脆く、か弱い存在のものが、どのようにしたら、尊厳をまもり互いに支えあえる存在となれるのか、、を

 スタンドアップでみせた大人たちの姿のように(反面教師もあったし)、ありたいものと思います。
 
 やさしいとは人を憂うと書き、これはまた優れているという意味なのだとも教えてもらいました。

丁寧な分析を含むコメントありがとうございます。コメントいただいた頃は、「ホテル・ルワンダ」をちょうど観たあとでした。
「白バラの祈り」はまだこれからです。観たらまたふれると思います。

映画から何を読み取るか、とても大切なことだと最近思うようになりました。

いろいろと励ましもありがとうございまっす。

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