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2006.03.29

電車と化粧と私と女

通学に3年、通勤に7年、最寄り駅からの電車の朝はもう10年。

そんな春を迎えた朝、いつものように通勤電車に。

ギューギューの急行ではなく、各駅停車を待って乗り込むと、

私は車両内の角に立ち、スポーツ新聞を開きました。

いつもの朝。

ところが、いつもと違うことが。

私の隣に目をやると、20代後半と思われる女性が立ったままで化粧を。

左手にコンパクト、右手で目元をキラキラ光らせる動作を繰り返して。

各駅停車なので、停車・発車を繰り返します。

彼女、開くドアの前に立っていて、停車してドアが開いて人が乗り込んでくるまで化粧をやめませんから、その化粧女のインパクトは抜群。

のはずなのですが、それほどの違和感を示す人もいなくて。

あきらめつつ、私の目はスポーツ新聞へ。

乗り換えの駅まであと2つ。

電車は発車したあと、ギューという金属音と大きなゆれがあわさった急ブレーキをかけました。

「イテェ」

私、車両の壁にぶつかりましたが、それよりも肩をぶつけてきたその彼女による痛みに、思わず声をあげてしまいました。

両手で化粧してマスカラ、いやいや、両手で化粧してますから、急ブレーキに無防備だったわけです。

体格がかなりいい女性。車両のスミッコで逃げ場のない私にドンと痛みが。

急ブレーキの原因説明のアナウンスのあと、電車は発車。

踏み切りがおりているにもかかわらず、線路を渡った人がいたそうで。

「すみません」の一言もないので、彼女を見やると、なんと化粧を続行中。

で、私、状況を冷静に考えました。

急ブレーキで彼女の右肩ではなく、その右手がぶつかっていたら、私の目元、キラキラになっていたはずだと。

電車の中で見ず知らずの女から化粧をされてしまう、

そんな危険性があったわけです、はい。

そこで私、きっちり注意をと、

「あんた、顔をきれいにする前に心をきれいにしなさいよ」なんて言う勇気はなく、

森昌子復帰を報じるスポーツ新聞に目を戻し、なにげない日常へ帰ってしまったのでした。

気、弱いです。。。

声をあげましょう、なんてこのブログでさんざん書いてる私。

今回、あげた声、「イテェ」だけですから。

いままでも電車内のことについて、書いてきましたが。

電車と化粧と私と女。

電車で立ってスポーツ新聞読んでる感覚なんでしょうね。

【ブログ内関連記事】

「電車子ども」に見た大人社会のいま(2005/4/7)

電車に子どもがいない(2005/2/7)

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コメント

朝のラッシュの時間や,帰りの混んだ電車で,化粧している人いますよね。立ちながらしている人もけっこういます。すごい執念!でも回りのことが見えていないってことですものね。そんな人に声をかけるには勇気がいりますよね。きついにおいもたまりません。でもなんにもいえないわたしです。トホホ。

禁止されてない事はやって良いとおもってるんでしょうね。やだな。
おりがみの感覚ではお化粧するところを見られるのは、裸をみられるような感じ。
素っ裸でパンツを探しているのを見られたら・・・。ねぇ?

tamyさん。

>「あんた、顔をきれいにする前に心をきれいにしなさいよ」なんて言う勇気はなく、
 それは言わないほうが正解、なのかも知れません。言った途端、返り討ちにあってしまったら!? 被害者がさらなる、被害に遭う、そんなことになるよりは、事が起きなくてよかったのかも。
 何で、電車の中で、化粧するんでしょうね。彼女にとって、それほどまでに自分が自分でいる場がない結果であったりして。日々ストレス溜まっている中、必死に生きていたりして……。日々のわずかなくつろぎの時間、それを乱されたら、逆切れ必死。
 そうした逆切れの背景は、彼女自身にあります。たまたま、急ブレーキと遭遇しなければ、tamyさんとの衝突事件も無かったわけですし、加害者意識が、あったのかどうかさえわかりません。彼女自身、電車に怒っても、運転手に怒ってもどうなることでもないですし。
 一言が欲しかった、tamyさんの気持ちもわかりますが……、というより、それだけで済んだことなんでしょうけど。


おりがみさん。

>おりがみの感覚ではお化粧するところを見られるのは、裸をみられるような感じ。
 これは、世代の感覚の違いなのかもしれません。
 今なお、タバコのポイ捨ては、恥ずかしいことではないようですが、その時代の人間同士の摩擦や衝突など、同世代間、異世代間との関わりを通じて、その時代のモラルも形成されているものと思います。そういう意味で、当人に対して言うべきことを言うことは大事なのですが、前記のように、そこしか、自分がないほどに追い込まれている若い世代は、本当に壊れてしまうほどに危ういのかもしれません。

家に電話をかけて、話したい人でなくその家族とまず話をさぜるをえないような状況も携帯の普及でほぼなくなりました。商店街の衰退、スーパー・コンビニの一般化で、買い物でも話す必要がなくなっています。電車でも人々の姿や風景に関心を持たず、音楽を聞いたり、メールチェックや携帯ゲームに夢中でいられます。

狭い道を譲っても、頭を下げない。ぶつかってもあやまらない。そんな傾向がありますね。

また、「痴漢に注意」とか「ごみは決まった日に出しましょう」とか、さまざまな文字表示が住宅街にも増えたように思います。声がなくなり、警戒は文字表示とビデオカメラという今日この頃。

便利さと忙しさの裏で失っているもの。忘れないでいたいなと思います。新しい年度も始まったなかで、声のかけあい、大切にしたいです。

 すみません。読み返していたら、僕の考えと反対のことを書いてしまっていました。訂正させてください。

> そうした逆切れの背景は、彼女自身にあります。たまたま、急ブレーキと遭遇しなければ、tamyさんとの衝突事件も無かったわけですし、加害者意識が、あったのかどうかさえわかりません。彼女自身、電車に怒っても、運転手に怒ってもどうなることでもないですし。

「彼女自身にあります。」は、「彼女自身の生活(労働を含めた)の実態の中にあるのではないでしょうか。」に書き換えたいと思います。

 これは書き加え過ぎなのですが、「彼女自身」が第一義的責任を負うのはあたりまえですが、彼女こそが悪者であるとの考えでは僕はありません。その背景から探るべきことであると思っています。
 社会のおける例外的な事件、という事にしておく間は、その背景にある問題にとりくむことはできません。

 電車の中での「お化粧」を突き詰めていくほどのことではないでしょうが、直接に、個々の事情をつかむことができるわけではない中では、一般論としての当たり前の行為をするしない、そうした場面に遭遇したそれぞれの反応(しないことを含めての)であって、すぐに反応して失敗する人、もいるわけですから、僕は、その局面における、僕の反応で、自分を責めることはしないでおくことにしています。

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