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2006.05.07

体罰と本能と「ごくつぶし」

 「体罰は教育」。戸塚ヨットスクールの戸塚宏校長は、出所後も持論を展開している。

 報道によれば、戸塚ヨットスクールを支援する会の会長をつとめる石原慎太郎・東京都知事とも近く会談する予定で、8日にもその予定が決まるとのこと。

 戸塚氏は下記のインタビューなど、多い日で1日10件の取材があるという。

◆ホリエモン山より海においでよ…戸塚宏校長本紙単独インタビュー(2006/5/6スポーツ報知)

 戸塚氏の出所を契機に、体罰論争もテレビなどでおこなわれている。愛情をもっての体罰はOK、いやそうではないなどの論争が、戸塚氏の事件や持論とかみあっていないように思うが。

 「正しい体罰は質と量が大事で、バランスを間違えると、ただの暴力になる。あの事件では量の部分で間違っていた。そこは反省している」

 このように戸塚氏は語り、結局「やりすぎた」程度の認識でしかないようだ。

 「すさんだ世の中になった原因は何なのか。体罰を否定してきた日本の教育現場、そのイメージを作り上げたマスコミにも責任があると思う」という立場を示している。

 出所後のテレビスタジオ出演を何度かみているが、ヒステリックな対応や言質に、体罰の是非を論じる以前の違和感を、私は戸塚氏に感じてしまう。

 上記インタビューで持論が展開されているが、「ニートが生まれるのは反抗期がなかったから」なのだろうか。

 戸塚氏に共鳴する石原都知事は、フリーターやニートに信じがたい姿勢をみせている。

 石原都知事は東京都議会で、国の構造改革による格差拡大の実態と認識を問われ、「格差がいまだに危機的なものと思っていない」(2006年2月28日都議会代表質問)と答弁。

 また、東京都産業労働局が発行した「東京の産業と雇用就業」(2004年版)で、「拡がる若年者の賃金格差」と見出しを打って、拡大が予想されるとしたことについて問われたのに対し、「ニートとかフリーターのはんらんがまかり通る社会は、ある程度豊じょうになってきたからそういう甘えが出てくる(同代表質問)」と答弁。

 さらに「フリーターとかニートとか、私に言わせりゃごくつぶしだ、こんなものは」「フリーターの方がはるかに収入を持っている人はたくさんいる」(2006年3月14日都議会予算特別委員会)という認識を示している。

 「ごくつぶし」とは、「飯を食うだけで何のはたらきもない人」(辞書「大辞林」)。

 「ニートが生まれるのは反抗期がなかったからで、そこも本能の弱さと関係する」と言う戸塚氏は、「本能を呼び起こすために体罰を用いるんだ」と語っている。

 戸塚氏に違和感を持つ人は少なくないはず。が、その教育論に共鳴する都知事は3年前に308万票という大量得票で再選している。

 私には、ごくつぶしだなどと言える本能が理解できない。

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コメント

 施設での殺人事件は繰り返されているようですね。
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20060508k0000e040074000c.html

 昨年来日された、国連・子どもの権利委員会のドゥック委員長は、以下のスピーチを残されました。教育の場はもちろん、家庭においても、体罰、暴力が正当化、合理化されることがなくなることを願います。

以下、『子どもの権利モニター75=76合併号』より

4 身体的および精神的統一性の尊重
 子どもに対する暴力は、子ども(そして、すべての大人)の身体的および精神的統一性に関する基本的な権利を侵害する最も深刻な行為でありながら、不幸にして最も広まっているものです。この基本的な権利を侵害されれば、成長発達する権利、到達可能な最高水準の健康に関する権利および教育に関する権利などの他の権利もまた侵害されることになります。
 2001年および02年におこなった子どもに対する暴力についての2日間にわたる一般的討議を受けて、国連子どもの権利委員会が行なった勧告に従い、国連が今でも子どもに対する暴力についての調査を実施していることにも、問題の深刻さが示されています。
 日本からの若者を含む、全世界からの多くの子どもが、家庭、学校および施設における身体的およびその他の虐待に関する体験を寄せてくれています。
 国連子どもの権利委員会は、本条約の締約国のほとんどすべて、日本も例外ではないのですが、に対して、家庭およびその他の場所における子どもの虐待および遺棄を防止し、それと闘うために必要とされるすべての措置を取るよう勧告しています。
 体罰についても多くの議論がなされています。多くの親、その他子どもの世話をしている人、および教師は、身体的暴力を用いて子どもに懲戒を与えることが自分の権利または特権であると信じています。しかし、自分の夫にたたかれることを受容すべきだと信じる妻も、使用人にたたかれることを受容すべきだと信じる被雇用者もいません。なぜならば、顔、手およびその他の部位をたたかれることを含む身体的暴力に服従しなくても良いことは自分の権利であると正しく理解しているからです。それは身体的および精神的統一性に関する権利および人間の固有の尊厳を侵害するものなのです。権利の保持者である子どもは同じ権利を持っています。それ故に国連子どもの権利委員会は、締約国に対して、体罰を含む子どもに対するあらゆる形態の暴力を禁止するよう勧告しているのです。日本も例外ではありません。
 法律で禁止することは、子どもに対する身体罰という深い根を持つ慣行を止めるには十分ではないことを委員会はよく理解しています。例えば、日本では学校体罰は法禁されています。しかし、日本の若者が確認しているように、それは学校で広く用いられているのです。他の国でも同じことがあります。それゆえ、日本に対しても勧告したように、政府が、体罰の否定的影響についてのみならず、家庭、学校および施設における子どものしつけの積極的かつ非暴力的な形について、人々、特に、親、教師、およびその他の子どもをケアしている大人に知らせていくこと、それを体系に、そして、ターゲットをうまく設定して知らせていくことが重要なのです。

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