核兵器を廃絶していく上で内外のチェンジを
オバマ大統領が4月に核兵器廃絶の決意を初めてアメリカ大統領として示し、ロシアの大統領も目標として呼応した。
チェンジだ。
麻生さんは、党内事情で精一杯。
また、反核平和を求める運動体も、原水禁、原水協などと、バラバラのまま運動を強めようとしている。
バラバラの運動を完全に否定するつもりはないが、
来年5月に開かれるNPT(核不拡散条約)再検討会議がアメリカのニューヨークの国連で開かれるので多くの代表を一人約30万円かけて派遣しようという労働組合のよびかけに、私個人は消極的でいる。
もっと、ほかに、できることがたくさんあると思うから。
それだけがいまの変化をうけた国民的な行動なのか、その模索が必要な局面ではないかと。
◇三宅一生さん:「オバマさん、広島に来て」米紙に寄稿 被爆体験、初の公表
(2009/7/16毎日新聞朝刊)
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20090716ddm012040011000c.html
世界的ファッションデザイナー、三宅一生さん(71)が、広島の被爆体験を初めて公にしたうえで、米オバマ大統領に8月6日の広島訪問を求めるメッセージを米紙ニューヨーク・タイムズに寄稿、14日掲載された。オバマ大統領が核兵器廃絶への決意を語ったプラハ演説に触発されたためで、同内容の書簡を大統領にも送ったという。【松本博子】同紙電子版によると、三宅さんは7歳で被爆し、「赤い閃光(せんこう)と黒い雲、逃げまどう人々の姿が今もまぶたに焼き付いており、それから3年を待たずに放射線の影響で母を亡くした」と明かした。しかし「原爆を生き延びたデザイナー」というレッテルが張られることを恐れ、広島についての質問も避けてきたという。
また、北朝鮮の核問題や、核技術が拡散している厳しい情勢にも触れ、「ささやかでも平和への希望を見いだすため、世界中の人々がオバマ大統領に続いて声を上げなければならない」と呼びかけた。
三宅さんはフランスで服作りを学び、71年に米国ニューヨークで初めてのショーを開いた。三宅デザイン事務所(東京都)によると、これまで三宅さんは被爆に関する取材は一切受けず、今回の寄稿についても「気持ちは文面に言い尽くされている」としてコメントしなかった。
このよびかけに、唯一の被爆国に生きる私たちが応えてはどうだろう。
たとえば、井上ひさしさんらがよびかける、
世界平和アピール7人委員会
http://worldpeace7.jp/
がその一定の役割を果たして、
さらに著名な人々によびかけ人を広げ、
直接的な中心団体になるかどうかは別にして、
オバマ大統領の8月6日のヒロシマ訪問を緊急によびかける、
それがダメでも年内のヒロシマ訪問を求めるという、誰でもできるアピール運動、署名運動が街角で、ネット上で、オバマ大統領宛(アメリカ大使館を通しても)にできないだろうか。
大使館経由でできなくても、一定の声を集めて、7人委員会のメンバーが、その声を持っていって、訪米するなどの方策も。
とにかく、旧来型の運動だけではチェンジできないような気がする。
あらたに、だれでも、枠をこえて、今の変化を生かせるチェンジを内外に。
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» 閃光の記憶「核廃絶へオバマ氏との一歩」三宅一生さんの記事原文 [島内日記]
昨夜、慣れない翻訳をしている間に朝日新聞の『オピニオン』に原文が公開されてました(泣 誤訳をばかりで、自分の無能さをさらすのはまったく恥ずかしいのですが、笑っていただいて構いませんよ(トホホ 私にとっては、訳の出来不出来は問題ではなく、少しでも彼の思いにふ... [続きを読む]
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