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2010.06.10

不寛容が覆う社会

1段落目から2段落目にかけて、まったく同感で、3年前ほどになるのかな、このブログではないけれど、同じような切り口で「社会の平和を問う」視点で、少し長めのものを書いたことがある。

3段落目の首相交代と「こらえ性のなさ」の関連性への展開には同意できないけれど。

不寛容の広がりに、私は強い違和感を持って生きている。

***
◇不寛容が覆う日本の将来(2010年6月9日 東京新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2010060902000095.html
 電車が突然止まった。どこかで誰かが線路に飛び込んだらしい。人身事故を知らせるアナウンスに車内がざわつく。乗客が一斉にケータイを取り出し、先方に「遅れる」と連絡を入れ始めた。電話やメールのやりとりに交じり、舌打ちやため息が漏れ聞こえてきた。

 いつから日本人はこんなに不寛容になったのだろう。のど元に刺さったトゲのように、人の死にさえ顔をしかめる不寛容が社会全体を覆っているようだ。失敗や挫折、過ちを決して許さない。そんな苛烈(かれつ)な社会のパワハラに追い込まれ、自ら命を絶つ犠牲者は毎年三万人を超えている。

 四年間で四人の首相が交代した。確かに、トップリーダーとしての資質の欠如は国を危うくする。課題山積の日本なのだ。即座に結果が出なければ当然、お払い箱である。ただ、それは取りも直さず、日本人のこらえ性のなさの表れのようにも映る。生き牛の目をくじる成果主義が、リーダーをじっくりと育て上げるおおらかさを社会から奪い取っているかのようだ。

 横笛の人間国宝の宝山左衛門さん(88)は、かつてインタビューで「音に本当に精神が乗るのは六十五歳をすぎてからです」と語ったという。戦後日本にはどんな魂が宿るのだろう。死にゆく人が生まれる人より多い時代だ。せめて、人の死を悼む寛容を取り戻せれば、もう少し生きやすい社会になるのかもしれない。

 (大西隆)

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