「上から目線」の政党は、必要ない
今回の参議院選挙で、明確にいまの憲法を守り生かすという政党の議席が減った。
得票数も得票率も。
社会民主党は、大阪で一定の人気があり、次期党首と目されていた辻元衆議院議員が離党の意向を固め、さらに又市副党首など複数の国会議員が福島みずほ党首と幹事長の辞任を求めたという。
一方の共産党も、「党綱領と大会決定にたちかえり、今回の選挙戦について、政治論戦、組織活動などあらゆる面で、どこにただすべき問題点があるか、前進のために何が必要かについて、党内外の方々のご意見・ご批判に真摯に耳を傾け、掘り下げた自己検討をおこなう」などとしている。
共産党は、議席が増えなくても、あるいは減っても、今までは自分たちの方針は正しいが、力が足りなかったというような姿勢だったはず。共産党が支持されない問題点は多々指摘されてきたはずで、これまで何をやってきたのかとさえ感じる。
今回の選挙の報道と結果で私が思うのは、護憲政党に、新しさ、ワクワクする期待がないということ。
タレント候補がいいとは思わないけれど、それに対する候補さえ立てることができていないのではないか。
というよりも、自身の政党が、国民にどう思われているのかの調査・検討を客観的に行わないまま、政権や与党の評価や世論調査の支持率の下落などの追及を行ったところで、どれだけの説得力を持つのかということは指摘したい。
私はこのブログでも、ずっと書き続けている。
外に変化を求めるときに、自身が変わらなくていいのか、「変えろ」「変われ」という掛け声を、変わらないままの人や組織が言ったところで、評価はむしろマイナスにならないかと。
意外性、おもしろさ、人間味と多様性が見えないのでは、政党や組織は生き残ることさえ難しいはず。
共産党のあのポスターに、「多様性」「魅力」を感じる人がどれだけいただろう。
「みんな違ってみんないい」などと外には言いつつ、最初から最後まで議論の特徴や過程が公開されず、結果として、みんないっしょという北朝鮮ばりのイメージが持たれていることに気づいていないとすれば、もう先はない。
社民党も、幹部の責任追及、辞任を求めるのなら、誰が党首になり、どのような政策を掲げるのかを言い始めなければ。どんなリーダーシップをとるのか、政策や党首像がみえない。
なにか、マイナス方向での護憲政党の動きは、さらに議席を減らすかのような、つまらない動きにしかみえない。
両党が安定雇用の政策と掲げているなか、不安定雇用や低賃金にあえぐ若者に支持される、わかりやすさと内外への透明性こそ重視してほしい。
内向きへの批判が行えない、結論は最終的にあるのは当然でも、過程に多様な意見・議論が見えないのなら、どこかの国と同じ。
と思われてしまったら票にならない、議席を得られない。
という分析をおそらく、社民党も共産党も行ってこなかったのではないか。
私たちこそ正しい。
でも、どう思われているのか、それはなぜなのか。
それを杓子定規でとらえて、こたえて、理解しない人を「質が低い」とか、投票に行こうとしない人を「無知は罪」とか、関心のない若者を「権利意識が低くて教育がダメ」などと、切り捨ててこなかっただろうか。
上から目線は、むしろマイナスでしかない。
なぜ投票に行かないのか、なぜ○党に入れたのか、というところから出発しないと、有権者や世論に寄り添えないのではないか。
その姿勢がなければ、護憲だけ叫んでも、つまらないし、共感されないだけではないか。
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