私が彼女を好きなわけ
○○って、こうなんだろうな。
という先入観。
それを打ち破ってくる人にひかれる。
私は、歌手の川嶋あいさんが大好きで。
幼少の頃から、歌う姿をほめる母親に支えられ。
スナックなどの繁華街や、有名演歌歌手のステージで歌ったり。
父親が亡くなったあとも、好きな母のために上京。
ほり○し学園では、上○彩さんらと同期。
でも、まったく売れずに事務所からも解雇。
路上で歌い、見つかって高校もかわることに。
そんな彼女と出会い、学生たちが支え。
「路上の天使」とよばれる存在に。
フジテレビ系「あいのり」の主題歌「明日への扉」(のちに90万枚)でのデビューが決まったとたんに病弱だった母親が急死。
帰省すると、実は彼女の知る父母は血のつながりはなく、
実母に育てられ、その後事情があって児童養護施設で育ち、
引き取られたことを知る。
そして今、彼女はひとり。
路上で知り合い、支えてくれた学生たちが事務所を立ち上げて。
ひとりじゃなく、日本のファンと、地球を世界をみつめる。
途上国の学校や児童養護施設の建設にも力を入れて。
24歳にして語学留学。
彼女の自伝は、書籍に、漫画に、映画に、アニメに。
この表現者の、1ヵ月後のコンサートが待ち遠しい。
先入観やレッテルでなく、人をみつめる目を大切にしたい。
ずっと生きていても、数百人ほどにしか出会えないのだから。
川嶋あいオフィシャルサイト
http://www.kawashimaai.com/index2.php
川嶋あい ひとこと
http://ameblo.jp/kawashimaai/
【取材最前線】取材相手に学ぶ
(2010/7/15 SANKEI EXPRESS)
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/music/100715/msc1007151114002-n2.htm
取材相手から学ぶことは多い。年上でも年下であっても年齢は関係ない。「幼いころの教育が、人にとって一番大切だと思う。だから世界の貧しい国に小学校を建てたいのです」。全国ツアー中の歌手、川嶋あいさんは取材でこう答えた。まだ24歳。しかし、壮絶な苦難を乗り越えてきた彼女の言葉には心を揺さぶる魂がこもっていた。「海外では250万円あれば小学校の校舎を1校建てられるんですよ」。歌手としてメジャーデビューを果たした彼女は19歳の時、初めて小学校の校舎をアフリカ・ブルキナファソに寄贈した。以来、カンボジア、リベリア、東ティモールなどに贈り、今春、7校目となる校舎をバングラデシュに寄付した。
実母は出産後間もなく亡くなり、彼女は養護施設で育つ。3歳の時に養父母に引き取られるが、10歳の時に養父が、16歳の時に養母が亡くなり、天涯孤独となった。しかし、歌手になるという養母と交わした夢を実現するため、単身上京。たった一人で渋谷で路上ライブを行い、夢をかなえた。
なぜボランティアを?
「母は毎年、クリスマスが近くなると荷造りをしていたんです。幼い時は何をしているのだろうと思っていましたが、後になって養護施設の子供たちにクリスマスプレゼントを贈っていたのだと知りました。そんな母の姿を見て育ちましたからね」。世界の子供たちに校舎を贈る活動は、彼女にとってごく自然の行為なのだと理解できた。
一人で路上ライブを行う彼女を見つけ、サポートを申し出たのは今の音楽事務所を立ち上げたスタッフたち。当時、ボランティアの大学生たちだ。両親を失った彼女は高校時代、1カ月8000円で暮らしていた。穴の空いた靴下をはき、たった2枚の白いシャツを交互に着替えて路上で歌う彼女の質素な生活を後になって知った若いスタッフたちは涙を流したという。
夢を手にしたが、まだ24歳。「時にはぜいたくしたいと思うときもありますよ。そんな時は母を思いだし、自分を戒(いまし)めるんです」。来月(8月)20日は8回目の母の命日。毎年、この日は東京でライブを行い、母の遺影に歌をささげる。母から学んだ魂を忘れぬために。(戸津井康之/SANKEI EXPRESS)
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