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2010年8月の記事

2010.08.31

貧困から子を守れ

早い学校は先週から、遅い学校でも今週から授業再開。

教職員組合の先生からは、給食がない夏休みにやせる生徒がいるという話を何度か聞いたことがある。

なんとかしようという人たちの集まり。私もなにかやっていく。

***
◇貧困から子を守れ 給食ない夏休み…げっそりやせる
(2010/8/29東京新聞東京版)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20100829/CK2010082902000024.html

 「給食のない夏休みにげっそりやせる生徒がいる」-。就学保障のあり方を考える東京弁護士会など主催のシンポジウム「貧困で子どもたちの可能性を奪わないで」が二十八日、千代田区の弁護士会館で開かれ、貧困に悩む高校生や教育現場から切実な例が報告された。 (井上圭子)

 パネルディスカッションに先立ち、埼玉県の定時制高校に通う母子家庭の男子生徒(17)が登壇。母が病気で働けず、自分と大学生の兄のアルバイト収入で生活費、学費、母の治療代を賄っている実態を語り「働いて学校を休むと授業についていけなくなり無気力に。人間関係もうまくいかなくなった」と、貧困の影響が精神的な面にも長く及ぶことを訴えた。

 パネル討論では、荒川区や足立区などで六年前まで三十五年間中学校の教員だった川嵜祐弘・荒川区教育長が「親が文字を読めないために生活保護のお知らせプリントを読めず、子どもが持ち帰る給食の残りのパンで飢えをしのいでいた」などと実例を挙げ、「どの子も平等に学べるよう社会全体で支援を」と提案した。

 「子どもの貧困白書」を監修した立教大学の湯沢直美教授が「子どもの貧困は影響が多岐にわたる。短期的には成長発達、長期的には就労や家族形成、社会的には他人への共感の薄らぎ」と指摘、授業料だけでなく修学旅行や部活費も含めた教育の無償化を訴えた。

 シンポジウムは十月に岩手県で開かれる人権擁護大会のプレイベントで、東京弁護士会、第一・第二東京弁護士会が主催。教員や学生、社会福祉士など約二百人が参加した。東京都は税収が多く一見豊かなようだが、生活保護に準じる「準要保護率」では全国上位二十位の八つを東京の区が占めるほど貧富の差が激しい。

 東京の三弁護士会は今後、シンポジウムの成果を受け、社会全体での支援体制を整える活動を進めていくという。
***

みんな笑顔にしたい「OMOIYARIのうた」

私からみなさんへのプレゼント。

90年代後半に「ひだまりの詩」が大ヒットしたル・クプル(現在活動休止)の藤田恵美さんが歌う「OMOIYARIのうた」。

藤田さんが子どもたちといっしょにつくりあげたという歌。

7月にはCDがリリースされ、音楽配信サイトや着うたなどでもダウンロードが可能に。

CDには楽譜もついて、合唱曲として広がって・・・。

いまの時代に欠けつつある「OMOIYARI」。

「♪倒れそうな人には そっと手を差し伸べて OMOIYARIは 心を温めるプレゼント♪」

こんなゆっくりな歌が好きな私の、

ちょっとやさしくなれる、一押しソングです。

こればかり聴いてます。

OMOIYARIプロジェクト
http://www.ponycanyon.co.jp/omoiyari/
※歌詞、試聴などあり

藤田さんは出てませんが、合唱の動画も下記に。

OMOIYARIのうた You Tube 幼稚園での合唱
http://www.youtube.com/watch?v=ccAOV-2qSY8

2010.08.30

救え幼い命:児童虐待の現場から

毎日新聞で興味深い特集の連載が始まった。

注目していきたい。

◇救え幼い命:児童虐待の現場から/1(2010/8/30毎日新聞)
兵庫・冷蔵庫に4歳男児遺棄、2年後に自首
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20100830ddm041040140000c.html

2010.08.29

9月5日、NHKスペシャル「消えた高齢者 広がる無縁社会」(仮)

この猛暑の夏、児童虐待死事件と、高齢者行方不明に感じたやるせなさ。

でも、薄々みんな気づいていたはずでは。

見ないようにしてきたのでは。

そう思えてならない。

注目の番組が1週間後放送される。

縁。

その糸を断つ風潮、政治、私たち・・・。

無縁に。

つながりがあれば、所得が低くてもビンボー。

ビンボーには笑いがあると思う。

つながりを断たれた貧困は・・・。

***
2010年9月5日(日) 午後9時00分~9時49分
NHK総合テレビ
*〔再放送〕9月7日(火)  午前0時15分~1時04分(6日深夜) 総合

NHKスペシャル 緊急報告 消えた高齢者
~広がる無縁社会~(仮) 
http://www.nhk.or.jp/special/onair/100905.html 

‘生きているか、死んでいるかさえ分からない’――所在不明の高齢者が相次いで発覚する異常事態。各地の自治体は今も毎日、住民基本台帳に記された住所地を訪ねて歩き、付近の住民から話を聞くなど調査を進めている。国は年金を受給しているすべての所在不明者の調査に着手した。
相次ぐ所在不明の高齢者。個別のケースを独自に追跡取材していくと、その多くが地縁や血縁など社会とのつながり失ったまま“無縁化”している実態が浮かび上がってきた。無縁社会は私たちの想像以上に、水面下で広がっていた・・・。
さらに、所在不明の高齢者に年金が支払われ続けているケースがいくつも明らかになった。取材のなかからは、親の年金を頼りに生活せざるをえない家族の深刻な事情が見えてきた。

番組では、所在不明となった高齢者の追跡取材と、独自のアンケート調査を軸に、‘無縁化’する高齢者の厳しい実態を浮き彫りにすると同時に、この先、安心して老後を暮らし、最期を迎えるために果たして何が必要なのか、国や社会のあり方を問う。
***

2010.08.28

うまくいかない日々の若者へ「3年後の都会で・・・」

8月20日、川嶋あいさんのコンサートへ。

感動の連続だった。

なかでも、スクリーンに映し出されたメッセージと歌のハーモニー。

You Tube 3年後の都会で・・・ 川嶋あい
http://www.youtube.com/watch?v=25zbkHKLMc0

その本人がこのコンサート会場にきているという紹介も最後にあった。

その彼の都会での姿、十数年前の私とも重なる。

ふるさとから離れて、一人で生きていくことがどれだけ孤独か、

そして、夢への距離が広がっていく実感のなかで、

失うものばかり。

そんな昔の自分と重ね合わせ、夢についての表現に心打たれた。

うまくいかずに悩んでいる若者たちへの歌。

みんな!、がんばれ。

もう若くもない私。

それでも、この動画を流して、

何度も曲を聴いて、そしてこの動画でのメッセージも心に刻んでいる。

繰り返すたびに、また聴きたくなる。

川嶋あいの、透明だけれど、深い歌声。

そして、いまの私の夢は?と問い返す。

明日へとがんばれる夢ぐらい持っていないと。

何歳(いくつ)になっても、夢を持つこと、忘れていたら、ダメだよね。

川嶋あいオフィシャルブログ「川嶋あい“ひとこと”」
http://ameblo.jp/kawashimaai/

2010.08.27

NHKスペシャル 徹底検証 大都市水害

数年前、年に1度の大きな仕事を終えて、打ち上げで飲みすぎて翌朝帰ると、ニュースが。

その仕事の夜、局地的な大雨で私の当時住んでいた地域に被害が。

地下にもフロアのあったDVDレンタル店。

被害のあと、大量のDVDが店の脇に山積み。

地下の駐車場、入り口が地下などの住居にもその水害が。

異常気象が指摘されているなか、

NHKスペシャルが9月1日、興味深い番組を放送する。

***
2010年9月1日(水) 午後8時00分~8時43分
NHK総合テレビ
〔再放送〕
2010年9月4日(土)午前1時15分~1時58分(3日深夜)
 
NHKスペシャル 防災の日関連 首都水没
~徹底検証 大都市水害~(仮) 
http://www.nhk.or.jp/special/onair/100901.html

最近、大都市で集中豪雨が頻発し、大規模な床上浸水が起きるケースが目立っている。被害が拡大する理由は、「想定を超える大雨に対し、都市は無防備で、ぜい弱である」ことが、専門家の研究で明らかになってきた。河川の氾濫に加え、都市特有の発達した下水道が氾濫する「内水氾濫」が同時に発生。重層化した地下空間に流れ込む水が、人々の逃げる足を止める。こうした現象が都市化とともに、増えているのだ。

今年4月、内閣府の専門調査会は、巨大水害が首都圏を襲った場合の被害について、初めて報告書をまとめた。そこには、荒川、利根川が決壊し、住宅が水没。ライフラインが停止し、最大400万人が避難を強いられる被害が想定されている。報告書をまとめた専門家は「決して絵空事ではない。早急に国が対策に動くべき」と語る。私たちは、都市水害にどう立ち向かえばいいのか。

番組では、都市を襲う水の姿を、調査報告書に基づきCG化し、徹底検証する。その上で、最悪のシナリオから人々を守る、事前の「広域避難」について考えていく。最新研究から首都圏水没のリスクを検証し、被害を減らすためにどうすればいいか、探っていく。
***

2010.08.26

生存って?

戸籍上、江戸時代生まれの人が「生存」しているという。

生きてないのに。

一方で、生きているのに、存在しているのに、

いないようにされている人、見て見ぬふりをされている人は、

問題にならないのかな。

厳しい生活なのに公的な支援を受けられていない人。

おかしくない?

「いじる」という「いじめ」 やるせなくて

まわりは何をやってたんだろうね。

学校側だけでなく、トモダチは。

私は、人よりもデコボコした、陽のあたらない道を歩いて生きてきたけれど、

気持ちは真っすぐでありたいと、思ってきたし、支えられたり、支えたり。

トモダチは「それはやりすぎ!」ぐらいは言ったのかな。

長いものに巻かれろが、古い日本文化。

いまの若者、古くない?

空気読め!とか。

空気読むより、流れを読めよ、そして、サインを読めよ!

でも、子どもはおとな社会をうつす鏡。

おとな社会で、真っすぐがんばることも、なかなか大変だけれど。

まだわかってないことがたくさんあるにしても、

真っすぐが通じないって、やるせなさすぎる。

教師も忙しいんだろうけど、「いじられキャラ」とか、レッテルはるなよ。

いじられキャラにみえるほど、繊細なんだから。

***
“いじる”という名のいじめ 命絶った「真っすぐな」中3
[スポニチ2010年08月25日 09:36]
http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20100825014.html

 刻み込むような強い筆圧の文字だった。「いじめられている友達を護れなかった」と遺書を残し、川崎市で6月、市立中学3年の男子生徒=当時(14)=が命を絶った。「真っすぐで正義感が強い子だった」と両親は悲しみに暮れる。学校は、周囲は、なぜ彼と友人を救えなかったのか。

 生徒は6月7日、自宅トイレで硫化水素を発生させ自殺した。そばにあったA4判の紙に、こうつづられていた。

 「困っている人を助ける。人の役に立ち優しくする。それだけを目標に生きてきました。でも現実には友達(実名)も護れなかった」

 「息子のこんな丁寧な字は見たことがなくて」。母親(44)は読み返すたび、涙があふれる。

 遺書には「友達をいじめた」と生徒4人の実名も書かれており、市教育委員会が調査委員会を設置。生徒が通う中学で「うざい」「死ね」と言ったり、ズボンを下ろしたりする行為があったと分かった。生徒もいじめられた友達をかばううち、こうしたいじめの標的にされたとみられる。

 母親は「今思えば、兆しはあった」と感じている。昨年10月の面談で「お子さんはいじられキャラですね」と言った担任の言葉。「いじるとは上下関係があるということ。学校が気付いてくれていれば…」と父親(46)は言う。

 今年3月ごろには「友達がいじめられている」と生徒が母親に漏らしたこともあった。「あなたとほかの友達で助けてあげなさい」と促した母親は「それで『自分もいじめられている』とは言い出せなくなったのかも」と悔やむ。

 生徒は野球部に所属し、友人が多かった。葬儀後、同級生らが毎日のように家を訪ねてくれた。「いじめを止めたら自分も対象になるから、何も言えなかった」と打ち明けた子もいた。

 母親は「今は『いじる』という言葉で、いじめを容認する雰囲気がある。苦しんでいる子は多いはず。どうか息子のようにあきらめないで」と願っている。

***

2010.08.25

児童虐待、シングルマザーのつぶやき、背景を

何か事件が起きたとき、また身近でトラブルがあったとき、その背景に迫ることがたいせつなのでは・・・。

ブログを始めてまもなく6年。その思いは日増しに強まっている。

あの児童虐待死事件。母親は責められて当然だ。

でも、保育所入所のこと、生活保護のこと、おそらく知らなかったはず。

20歳前後で離婚して、突然一人で子どもを抱えることになり、

専門的な資格を持たない人がどれだけの職業選択の自由を担保できるのか。

また、離婚当時は夫婦で書類を出したと伝えられているが、

子どもの育ちの確認は、公としてどうしてされないのだろう。

10代や20代前半で、結婚し、専業主婦になって、

事情でシングルマザーになったとき、仕事や生活に困るのは目に見えているのに。

終身雇用が崩れているいま、なければ生活の根幹にかかわる職業訓練や保育施設はどうして充実されないのか。

生活のために離婚できず、イヤでも婚姻状態を続けざるを得ないことが、また新たな虐待や事件、ゆがみにつながらないか。

このように書くと、考えすぎだとの批判もあるようだ。

それでも、考えすぎずにはいられない。

***
◇児童虐待 シングルマザーのつぶやき… 
(神戸新聞2010/08/24 11:55)

 「自分とあの人、似てるかも」。大阪市内のマンションの一室に、幼い姉弟が置き去りにされ、遺体で見つかった事件。逮捕された若い母親について、神戸市内のあるシングルマザーはつぶやいた。一人きりの子育てに行き詰まり、投げ出した責任はあまりに重大だが、どこかで自分自身と重ね合わせていた。「みんなしんどい。魔が差して逃げ出したくなるときもある。それを必死にこらえている」(黒川裕生)

 神戸市の田中初美さん(24)=仮名=は2年前に離婚し、当時1歳と3歳だった2人の息子を引き取った。おむつ替えや入浴、食事作り。毎日毎日同じことの繰り返しで、家から出ることもままならなかった。仕事に就けず、友人にも会えない。

 「子育てって面倒くさい」「さぼっても誰にもばれない」「子どもさえいなければ…」。そんな思いが頭をよぎるたび、自己嫌悪に陥った。

 「母親であると同時に、20代前半といえばまだ遊びたい盛り。『子どもが1番』と考えることで、ネグレクトしそうになる自分を必死に抑えていた。彼女も途中まではそうだったはず」

 西山育栄さん(26)=仮名=は今年5月に離婚し、1歳の長男と宝塚市で暮らす。息を抜けない育児やゆとりのない生活。将来の不安を抑えきれず、思い詰めてしまうこともある。

 「だからこそ、子どものために頑張れるのが母ではないか。子どもを置き去りにするなんて理解できない」

 西山さんは7月末から女性の起業スクールに通う。収入はハローワークの訓練・生活支援給付金と子ども手当などで、月約10万円で生活する。託児可能なスクールと出合えた分、負担は幾分軽くなったが、あらためて感じたのは、ひとり親への支援の乏しさだ。

 「経済的に行き詰まることの多いひとり親は、社会的な保障が頼みの綱。例えば、離婚届を提出する時点で、行政などから何らかの支援策を示されれば助かる人もいるはず」と訴える。

 厚労省の統計では、ひとり親の平均年収は全世帯平均に比べ著しく低い。特に母子家庭は200万円強で、全世帯の約560万円(2005年)を大きく下回る。子どもを預けて働きに出ようにも、都市部の保育所や児童養護施設は入所人員が定員に近く、すぐに利用できるとは限らない。こうした「負のスパイラル」が、虐待の一因となる危険性も指摘されている。

【家庭だけに委ねず 甲南大 森教授】

 わが子への責任感、「私がやらなければ」という意地。離婚後の子育てにはそうした思いが交錯するという。兵庫県の児童虐待防止専門家会議議長を務めるなど虐待問題に詳しい甲南大学文学部の森茂起(しげゆき)教授(55)は「ひとり親に見られる『できるだけ自分で』という覚悟は危険な側面がある」と指摘する。

 虐待は育児の負荷が引き金で起きやすい。「子育ては親がすべき」という思いが強いほど、周囲に支援を求めることにためらいを感じる傾向がある。シングルマザーの田中さんは実家に頼ることができず苦しんだ。「いつか育児放棄をしてしまうのではないか」という恐れが自分の中にあったという。

 森教授は「子育てを家庭だけに委ねるのではなく、ある程度は社会が担うように仕組みを変えるべきだ。平日は子どもを施設に預けて仕事に専念し、週末に会うような親子の形があってもいい。自立への後押しにもなり、良い関係を築ける」と従来の形にこだわらない子育てを促す。

 そのためには保育所や児童養護施設を増やし、NPO法人などが取り組んでいる地域の子育て支援の拡充が欠かせない。「隣人や親族との関係が希薄になる中、子育てを家庭だけに押しつけるのは酷。子どもを預けるのは無責任でも恥ずべきことでもない、そんな意識を皆が共有してほしい」とする。
***

2010.08.23

8月29日(日)午後4時から、NHK「色つきの悪夢~カラーでよみがえる第二次世界大戦」再放送

この半年くらいかな、カラーについて書いてきていることもあり、

番組を観ました。

さまざま、というか、それこそ色々な評価があるようですが、

ひとつの試みとして興味深く。

俳優などのコメントを含む構成やコメントに賛否あるようですが、それもカラーですから。

再放送が8月29日(日)に。

9月になれば、このような戦争と平和に関する番組、今年も激減する模様ですね。

***
NHK総合テレビ 8月13日(金)19:30~
再放送:8月29日(日)16時~

色つきの悪夢「カラーでよみがえる第二次世界大戦」
http://www.nhk.or.jp/frontier/color/index.html
第二次世界大戦を記録した膨大な映像を最新のデジタル技術を使ってカラー化。色鮮やかによみがった映像を見ながら、戦争を知らない若手人気俳優たちが語り合う。
人類史上最悪の“悪夢”だった第二次世界大戦。膨大な記録映像を、最新のデジタル技術を使ってカラー化した。色鮮やかによみがえる戦争の映像は、それが、今とつながるリアルな出来事だったという強烈なメッセージを投げかけて来る。今回、若手人気俳優たちが映像を見て語り合う。戦争を知らない彼らが、過酷な現実と向き合う時、いったい何を思い、何を感じるのか。【出演】溝端淳平、斎藤工、倉科カナ、中山エミリ、中尾明慶
出演
【ゲスト】斎藤工,溝端淳平,中尾明慶,中山エミリ,倉科カナ,【コメンテーター】柳澤秀夫,【司会】首藤奈知子,【語り】奥田民義
***

2010.08.22

暑いからこそ冷静に

最高気温がどうなった、

猛暑日がつづいているなど、

ニュースが連日。

疑問は日々ふくらんでいく。


寝苦しさの原因の最低気温がどうなのか、

また、ここ数十年の夏の最低気温の推移などは、伝えられていないのでは?

暑いなかでも、冷静に見なければ。

2010.08.21

「ありがとう」の5000人ライブ

2時間半。

最初から涙があふれた。とまらなかった。

劇仕立てで。

こんな構成とは思いもしなかった。

中盤は、「ありがとう」という命の言葉と歌に感謝して、

5000人の人たちと盛り上がった。

老若男女、幅広い層の、見ず知らずの人たちと。

8月20日、7年目という彼女の記念日に。

今まで生きてきて、こんなに感動した日はなくて。

そしてラストも涙が。

生きていく意味や自分をさがそうとして、

それがみつからなくても、

ヒントはいろんなところにあるのかなと思えた。

音、声を通したメッセージ、そしてスクリーンに映し出された、ふれたことのなかった言葉たちに。

たくさんの映像用のカメラが動いていた。

報道だけでなく、販売されるはずのDVDにもふれて、大切にしたい。

川嶋あいオフィシャルサイト
http://www.kawashimaai.com/index2.php

川嶋あい オフィシャルブログ「ひとこと」
http://ameblo.jp/kawashimaai/

2010.08.20

8月29日BSフジ午後1時から、川嶋あいのアニメ映画「8月のシンフォニー」

私がずっとこだわっている、歌手・川嶋あいさん。

8月20日には、コンサートにも、半年ぶりに。

さて、私個人のことはいいとして、8月29日には、午後1時からBSフジで、

川嶋あいさんをモデルに、彼女の生い立ちを記した本を原作に、

昨夏に劇場公開されたアニメ映画「8月のシンフォニー」が放送されるそうで。

テレビ初放送とのこと。

映画『8月のシンフォニー』公式サイト
http://www.8gatsu-eiga.com/

満足度の最高を5とすれば、

公開作品を劇場で観た私としては、4のオススメの作品ですが、興味深いものでした。

BS環境ある方は、ぜひ。

2010.08.19

お笑い番組でケガ3人目

私たちは、刺激を目に見える形で求めすぎていないでしょうか。

芸人がカラダをはった番組収録に臨んで、2度もケガしたのに、3度目ですよ。

ケガなく放送されたとして、何人の人が「おもしろいなー」と思えたのでしょう。

私は、練り込んだコントが大好きですけど。

オチまで待てない、我慢弱さ。

結果をすぐに求めすぎるなかでのワンフレーズ、ワンアクションへの欲求。

それが悪いとは言わないけれど、

その流れだけがすすむのなら、社会を、人を、コミュニケーションを浅くするだけだと心配してしまうのは考えすぎでしょうか。

***
◇フジの特番、お笑い芸人肋骨折る…同番組で3人目

 フジテレビは18日、バラエティー特番「オレワンスペシャル(仮題)」の収録中に、お笑いコンビ「ハイキングウォーキング」の松田洋昌さん(33)が左肋骨(ろっこつ)を折る全治3~4週間のけがをしていたと発表した。

 この番組の収録では、お笑いトリオ「我が家」の杉山裕之さん(33)と、お笑い芸人の陣内智則さん(36)もけがをしており、これで3人目。事態を重く見たフジテレビは同日、22日午後7時に予定していた番組の放送を中止することを決めた。

 松田さんと杉山さんは先月26日、ジャンプ台からそりに乗ってプールの浮島に着地する競技に、陣内さんは同31日、「ローション腹すべり」という競技に、それぞれ挑戦していた。

 フジテレビは当初、事故のあった企画やけがをしたタレントの出演場面をカットして放送する予定だったが、「3人ものけが人が出たことを重く受け止め、番組の放送そのものを見送ることにした」としている。代替番組は未定。

(2010年8月18日17時17分  読売新聞)
***

2010.08.18

8・15の後・・・

30過ぎて、それまであまりしたことがなかった親の話。

テーマがあえば、数十人の前でも少し出すことも。

これまで歩んできた道に整理がついて。

同時に、私は、この国で生きている。

生きる前に起こったこと、人を傷つけたこと、傷つけられたことは、

いまだに根深く。

8月前半は驚くほど、原爆、終戦に関係した報道が相次いだ。

8月にだけそのような動きがあることを「8月ジャーナリズム」と批評する向きがこれまでもあったが、今年はどうなるか。

65回目の夏は、この記者の視点をひとつの軸にしているように思う。

前提とはしていないのだけれど、他の記事もさまざま読んでいるなかでも、結果としてやはり。

なぜなのか。

記者が、鋭い客観的な視点を持ちつつも、自らの体験・経験を引き合いに出して、メディアや私たちが指摘していないことに、あるいは避けようとしていることに、正面から向き合っているからではないか。

紙面では小さく、そして短く、限られたなかでのコラムに、考えさせられることが多い。

8月もまだあと2週間。

***
◇発信箱:「8・15」の後=三森輝久
(2010/8/17毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/news/20100817ddm004070136000c.html

 「泣いてる大人もいた。とにかく『これからどうなるんだろう』っていう不安ばかりだった」「大人が口々に『戦争は済んだ』と言って、割とほっとした様子だった。『もう空襲はこない?』って母に聞いたことは覚えている」

 65年前、当時10歳と8歳だった私の両親の8月15日の記憶だ。「七年前のこの日、一部の抗戦派は別として国民のほとんどが“やっと平和がきた”とほっとした」。サンフランシスコ講和条約が発効し、日本が独立を果たした1952年の8月15日付毎日新聞夕刊1面「終戦七周年」と題したコラムにそうあるから、大方の人はそう思ったのだろう。

 空襲下を逃げ惑った父が「もうダメだ」と思ったのは、翌年夏だったという。戦中、田んぼに墜落した日本軍の練習機の残骸(ざんがい)を、父は好奇心からかき集めて家の床下に隠していたらしい。それを見つけた「進駐軍」の米兵が押し入った。障子を破って突き出た銃口に、部屋で息を潜めていた父は、一目散に田んぼに逃げたという。

 「8・15」は非条理な死や恐怖と、安泰を分けてはいない。旧満州(現中国東北部)での戦闘と逃避行にシベリア抑留は言うに及ばず、ソ連軍が上陸した樺太では8月17日、日本人看護師23人が「集団自決」を図り、6人が死んだ。5日後、樺太からの引き揚げ船3隻が潜水艦から攻撃され、2隻が沈没して1700人余りが亡くなった。

 沖縄では敗戦を知らず、逃げ隠れ続けた人たちがいた。「8・15」に米軍が空に打ち上げた曳光(えいこう)弾を「特攻機が来た」と大喜びした女学生もいた。鉄血勤皇隊に動員された元沖縄県知事の大田昌秀さんが米軍に投降したのは、10月23日だった。沖縄守備軍の司令官自決から丸4カ月後のことだ。(西部報道部)

***

2010.08.16

デザインを戻しました

8月も中旬。

暑さはまだまだ続きそうですが。

ブログデザインを「花火」から、通常つかってきた「コドモノセカイ」に戻しました。

私がこの夏に花火を観る機会は、予定としてはもうないので。

それぞれ抱えているはずの夏の宿題を、片づけていきましょうね。

※花火のカードを送ってくれたブログファンの方、ありがとうございました。

2010.08.15

未来を創る子どもたちのために「INORI」

今日は、終戦の日。

ゴスペルグループのVOXRAY(ヴォクスレイ)が歌う「INORI」のPV動画をユーチューブで発見。

8月12日は宮城のクリネックススタジアムで楽天VS西武戦で、君が代を歌う予定だったようですが、その後9月に日程が変わったそうで。

路上ライブで出会い、またさまざまなイベントでも・・・。

VOXRAY(ヴォクスレイ)
http://www.voxray.net/

そして、今度は「INORI」。

リードヴォーカルの導き、ハモリの響き合い。

You Tube VOXRAY INORI【PV】

ダ・カーポ「はじめての日」、「野に咲く花のように」

3連続の歌にかかわるエントリー。

1600以上の記事を書いてきて、初めてでしょうね。

7月30日の朝日新聞「五線譜」で取り上げられた歌「はじめての日」について、書いたのは10日前。

【ブログ内関連記事】
二度とない「はじめての日」(2010/8/5)
http://tamy.way-nifty.com/tamy/2010/08/post-ac95.html

この「はじめての日」のCDを買いましたが、

過去2つの歌関連のエントリー記事で、ユーチューブを検索したりしているついでに、

この歌の動画を発見!

同じくダ・カーポが歌う、「野に咲く花のように」と2曲、どうぞ

ダ・カーポ 新曲 はじめての日
http://www.youtube.com/watch?v=ec2m4fnBv8I&feature=player_embedded

ダ・カーポ 野に咲く花のように
http://www.youtube.com/watch?v=QVGV0nkSz0M&feature=related

2010.08.14

仙台、温泉、「青葉城恋唄」

10日から3泊、宮城県仙台市へ。

完全な、のんびり一人旅。

ここ数年で初めてかな、本格的な一人旅。

大学時代、専門学校時代、そして、この2、3年も、

迷いに迷ったら、野球場の観客席に。

なので、特に仙台に行きたかったのではなく、

甲子園も考えたけれど、やっぱり暑さに負けそうで、

ちょうど3連戦が仙台・楽天で。

昼間はともかく、仙台は朝や夕方以降は涼しくて。

いろいろあって、1試合しか、生観戦できなかったけれど。

それでも、仙台からちょっと離れた秋保(あきう)温泉につかり、

また、「青葉城恋唄」の広瀬川も初めて見ることができて。

リフレッシュ、できました。

もともと、特に昔の70年代から90年代の、ゆっくりな歌が好きな私。

生で聴いたことはなく、「なつかしの・・・」などの番組で知って、

気になっていた、季節感あふれ、土地のにおいのする青葉城恋唄。

「地方色」というカラー。

最近、いくつかの地方へ行く度に、色が少しずつあせているような気も。

こんな歌がヒットすることって、もうないのかな。

ユーチューブで何度も聴いてます。

You Tube さとう宗幸 青葉城恋唄
http://www.youtube.com/watch?v=bQnBCvXN0-w&feature=related

さとう宗幸さん『青葉城恋唄』の歌詞
http://www.utamap.com/viewkasi.php?surl=35506

2010.08.13

偶然の『あとひとつ』

一般的な仕事は、1月か4月を区切りに切り替っていくのだと思う。

私の仕事は9月が区切りで節目。

今度の9月にむけて新しいテーマをという時期。

6月下旬の打ち合わせではアイディアが私のなかでまとまらず。

それでも、7月5日に、ひらめいた。

『プラスワン』、強調したのはこのカタカナだけれど、説明としてつかったのは「あとひとつ」。

今までのことに加えて、目標を決めて、プラスワン、そう、あとひとつ、やってみよう、やりきろうと。

7月初旬の会議で提案してOKが出て、その流れになった。

そして、迎えた夏。

FUNKY MONKEY BABYS(ファンキーモンキーベイビーズ)の『あとひとつ』が8月4日に発売され、同曲は某民放の高校野球応援ソングに。

歌が先で頭に残っていてアイディアになったのかを確認すると、このシングルの詳細が発表されたのが7月6日なんだそうで。

私のひらめきはそれより前で。

偶然の一致に気づいたのは数日前。

ビックリしつつ、

もうひとつな毎日にサヨナラして、

あとひとつ、私もがんばろっと。

下記、ユーチューブ動画でも聴けますよ。

FUNKY MONKEY BABYS オフィシャルサイトhttp://www.funkymonkeybabys.com/index.html

2010.08.12

わからないまま65年

どうしてこんなに視点が鋭いんだろうと思う、いつもの記者コラム。

あれから65年。私の親も戦後世代・・・。

戦後とは、戦中とは、戦前とは・・・。

****
◇発信箱:わからないまま65年=三森輝久(西部報道部)
(毎日新聞2010/8/10)
http://mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/news/20100810k0000m070100000c.html

 厚生労働省に第二次世界大戦の日本人戦没者の数を尋ねたら、1枚の紙がファクスで送られてきた。タイトルは「先の大戦における戦没者概数」。

 その数、310万人。軍人、軍属は230万人で、うち「外地」での死者が210万人。民間人は「外地」30万人に、空襲や原爆による「戦災死没者」が50万人--とある。厚労省社会・援護局によると、日中戦争の発端となった1937年7月7日の盧溝橋(ろこうきょう)事件から45年8月15日の敗戦までの犠牲者数だ。
 40年の国勢調査では、当時の日本の人口は約7311万人。この数字を基にすると、日本人の24人に1人が戦争で亡くなった計算になる。戦後の海外からの引き揚げ者(47年1月現在)は軍人、民間人合わせて約630万人。戦禍がどれほど大きな国民的体験だったか、戦後21年目の年に生まれた私にも想像がつく。
 では、戦死や病死といった死因別や負傷者数のデータは? 社会・援護局は「把握していません」。中国から復員して現代史研究の道に入った故・藤原彰一橋大教授は「餓死(うえじに)した英霊たち」(青木書店)で、230万の軍人軍属の死者中「140万前後」が病死を含む広い意味での餓死者だったと試算している。
 「310万人」が公式に発表されたのは、敗戦から18年たち、東京オリンピックを翌年に控えた63年8月15日。「8・15」の開催が恒例化した最初の全国戦没者追悼式だった。この7年前、経済白書は「もはや戦後ではない」と宣言したが、戦没者総数さえ公式には出ていなかったわけだ。
 地上戦となった沖縄戦の犠牲者は、軍人、民間人とも「外地」にカウントされている。その理由は? これも「わかりません」だった。
***

2010.08.11

見て見ぬふりをどこまで 連覇をめざす姿に想う私たちの矛盾の大きさ

花火、甲子園、この夏、酷暑にあえぐなかでも歓声は響く。

その8月15日、私たちは、前の戦争をやめた日を迎える。

あれから、65年。実質的には戦争に加担し、核を持ち込み、この1年近くの新しい政権のもとで、その最大の矛盾を背負わせた「沖縄」について考えさせられたはず。

この夏、もっとも注目されているエース・島袋くんは、ひとりで優勝したわけではないけれど、春は「沖縄が力があるところを見せたかった」として優勝、そして「安心して生活できる環境になってほしい」という子ども時代の思いも変わらないまま持ち続けているはずで。

代表校が地域別の枠をもって選ばれる春のセンバツと違い、夏は、各都道府県から1校ずつ。

そのトーナメント戦というルールのもと、この夏1校以外は必ず負けを経験する。

一方で、100人の日本村の1人、米軍基地の大半を押しつける構図は、どうしてまた見捨てられようとしているのか。

あまりに、不平等ではないか。

正面からあえて問う記者コラムに考えさせられる。

また、この春の私のブログの関連記事も、まだ残念ながら新しい刺激をもって読んでもらえると思う。

【ブログ内関連記事】
沖縄県民大会を前に思うこと(2010/4/23)
http://tamy.way-nifty.com/tamy/2010/04/post-bec6.html

***
◇記者の目:沖縄の米軍基地 我が事として議論を=北川仁士
(2010/8/11毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20100811k0000m070102000c.html

 「沖縄は日本なのか?」。6月から7月にかけて米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設問題などの取材で訪ねた沖縄で、何度も問われた。復帰しても米国に“占領”された状態が続く現実に「沖縄はヤマト(本土)に差別され続けている」という憤りは沸点に達しようとしている。本土に暮らす私たちは、沖縄に負担を押し付け続けてきた事実を認め、信頼関係を築き直す責任がある。普天間問題は決して沖縄だけの問題ではない。

 普天間飛行場の移設問題が再びクローズアップされたのは昨年夏の衆院選からだ。「最低でも県外」と訴えた民主党の鳩山由紀夫代表が首相になったことで、沖縄県民の間に一気に期待が広がった。だが約束は守られず、鳩山首相は5月、名護市・辺野古周辺に移設するという政府方針を決め、その直後に辞任した。

 ◇鳩山氏の発言で問題が顕在化 
 本土での鳩山氏への批判は「できないことを言って期待を持たせた」という“迷走”が中心だった。しかし沖縄の人々の受け止め方は少し違う。「鳩山発言の後、沖縄の思いを実際にくもうという姿勢がヤマトに見えなかった」ことへの失望が大きい。「結果は許せないが、(鳩山発言によって)今までフタをされてきた問題が顕在化したことは意味があった」と話す人もいる。憤りの矛先が今、沖縄への基地偏在を黙認してきた本土の私たちに向けられている。

 これに対して、本土では“俗説”も根強い。代表例が「軍用地主など経済的に潤っている人もいる」という意見だ。確かに、地主の中には経済的に豊かな暮らしをしている人もいる。だがそれは、生活のために基地と共存している人がいるということでしかない。沖縄の人たちが自ら基地を求めたわけではなく、戦争の過程で強いられたものなのだ。

 沖縄の歴史は、外部からの侵攻の連続だった。15~19世紀には琉球王国として貿易を中心に栄えた沖縄は、薩摩藩の侵攻を経て、1879年の琉球処分で沖縄県として日本へ組み入れられた。太平洋戦争末期の1945年の米軍上陸で壮絶な地上戦になり、20万人以上が死亡したが、その半数近くが民間人だった。

 戦後も占領が続き、72年に日本へ返還されたものの、基地の継続使用が条件だったため、米軍基地は今も本島の1割以上を占拠し続けている。

 「戦争を長引かせるために沖縄は捨て石にされた」「日本兵は沖縄の人を助けるどころか防空壕(ごう)から追い出した」。訪問中、沖縄戦を語る人たちから本土への恨みを何度も聞いた。日本兵に助けられた話も聞いたが、被害者感情を抱え続ける人が数多くいるのは事実だ。

 ◇見て見ぬふりはもはや許されぬ
 こうした沖縄の声が十分に本土の人間に伝わらなかった背景には、沖縄の人の複雑な感情があることも知っておく必要がある。

 ここ数年の間に、沖縄の多くの人々が戦争体験を初めて語り始めている。その人たちから「自分だけが生き残ったことが後ろめたく、戦争の話はしたくなかった」といった言葉を聞いた。沖縄戦では県民の4人に1人が命を奪われた。戦争被害の大きさ、悲惨さゆえに、語ることをためらってきたのだ。本土の私たちはその「沈黙」をいいことに、見て見ぬふりをし、基地の沖縄偏在という不公平を正視せず、甘え続けてきたのではないか。

 人々が語り始めたのは「亡くなった家族らの声なき声を伝え、戦争のない世の中にしたい」という願いからだ。その底には「日本のためにあれだけの犠牲を強いられたのに」という気持ちがある。

 普天間飛行場の移設問題を巡って今年5月、全国知事会議で当時の鳩山首相が訓練移転への協力を呼びかけた。これに対し、「できる限りのことはしたい」と前向きな姿勢を示したのは大阪府の橋下徹知事だけだった。

 一般受けする言動が得意な橋下氏一流のパフォーマンスだという見方もある。しかし、世論から少し突出したくらいの「火付け役」がいなければ、基地や訓練の移転を巡る論議は一向に進まないのではないだろうか。

 沖縄の面積は日本の国土の0.6%。そこに在日米軍基地の7割以上がひしめいている。「みんな嫌だと言っているからどこも基地を受け入れない。なぜ沖縄ならいいのか」。沖縄の問いは簡潔であるがゆえに厳しい。本土に住む私たちはこの問いにきちんと向き合い、答えを見つけなければならない。(大阪社会部)

先生が「すいません」

先生が校内でタバコを吸って、吸ったことをはき、何度も注意され、「すいません」と。

笑え、ない。

***
◇4回も反省文「吸いません」…校内喫煙で教諭減給
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100809-OYT1T00895.htm?from=area3
 大阪市教委は9日、全面禁煙の学校敷地内で喫煙を繰り返し、校長らの指導にも従わなかったとして、市立小学校の男性教諭(52)を減給1か月の懲戒処分にした、と発表した。

 市教委によると、男性教諭は、全市立学校で禁煙となった2008年4月以降、理科室、運動場の隅、講堂の裏などで少なくとも7回にわたって喫煙。同僚や児童に見つかり、その都度、校長らから指導を受けた。

 男性教諭は「もう、吸いません」などと反省文を4回書いたが、校内での喫煙を繰り返した。男性教諭は市教委の調査に「自分の心が弱かった」などと話しているという。

(2010年8月9日23時34分  読売新聞)
***

2010.08.10

8月10日深夜1時5分再放送「幻の甲子園 戦時下の球児たち」

7日夜に放送された「幻の甲子園 戦時下の球児たち」が今日8月10日の深夜(日付は変わって11日)に再放送されます。

見逃した方、ぜひ。野球に興味のない方も理解ができる丁寧な内容になっています。

***
幻の甲子園~戦時下の球児たち~
8月7日(土)NHK総合 午後8:00~8:45
(再放送:8月11日(水) 午前1:05~1:50 )

 昭和17年、太平洋戦争下、ただ一度だけ行われた夏の甲子園大会。球児たちは、戦場へ向かう前に甲子園で野球をやりたいと夢見た。その切実な思いゆえ、この年の甲子園は異様な熱気につつまれた。ところがこの大会は、高校野球の公式記録には一切残されなかった。あの汗、あの涙、球児たちの熱戦は、幻であったのだろうか。
 実は、「幻の大会」の主催者は朝日新聞社から強引に開催権を奪った文部省であった。軍の協力のもと、甲子園を戦意高揚のために利用しようとしたのである。スコアボードには、「戦い抜こう大東亜戦」というスローガンがかかげられ、軍隊式ルールが野球の姿をゆがめた。
 それでも球児たちは精いっぱい白球を追い、大会のあとは野球への思いを断ち切り戦場へ赴いた。沖縄戦、原爆の惨禍、そしてシベリア抑留。過酷な運命に翻弄された球児たちは何を思い、どう生きたのか。甲子園大会のはじまる8月7日、歴史にうずもれた大会を映像で再現し、元ちとせさんがテーマソングを歌って球児たちの魂をよみがえらせる。野球を愛する多くの日本人とともに、戦争の時代を生きた球児たちへ深い鎮魂の祈りを捧げたい。
***

2010.08.09

夢のバブル、はじけないで

今朝は新聞こないなーと何度もポストをのぞきにいって。

休刊日で・・・。

毎日、アワアワ過ごす日々。

ホッとしたくなる。

この水を飲んだことはないけれど、読んで「うまいっ!」と感じた。

***
◇町にバブル到来 福島・金山の天然炭酸水、首都圏で人気
http://www.asahi.com/national/update/0805/TKY201008050362.html
(2010年8月9日0時42分 asahi.com)

 猛暑の中、福島県会津地方の金山町で取れる天然炭酸水「aQaizu(アクアイズ)」が首都圏で売れている。ほのかな炭酸の爽快感(そうかいかん)が好評という。

 同町は国内有数の天然炭酸水の取水地。さいたま市内の業者「ハーベス」が6年前に発売した「aWa(あわ)心水(しんすい)」を、4月に値下げして一新すると出荷量は3倍に増えた。

 町役場には「どこで取れるの」と問い合わせが増え、観光客増加の期待も。「炭酸水は町にとって『夢のバブル』。ただ商品の人気ははじけないで欲しい」と町職員。

***

炭酸水の公式ホームページも。

奥会津で採水された国産天然炭酸水、aQaizu(アクアイズ)はハーベスへ。
クセがなく美味しいミネラルウォーター
http://www.aizu-shinsui.com/

2010.08.08

分裂からの大同団結を、核兵器のない世界へ 問われる被爆国の運動

いろいろ違いがあっても、一致点で大同団結しないと。

過去の経過はあるにしても、

あの、大きなアメリカ政府に大きなことを求めるときに、

オバマ訪日が秋に迫るときに、

「オバマ、広島に来て!」という、大同団結アピールを、

文化人、芸能人、NGO、個人などといっしょによびかけてはどうか。

同じ時期に世界大会が2つあることの経過や意味を、きちんと説明できる世代はその所属団体でもごく少数になっているのだから。

影響力のある人が調整に動いてほしいし、影響力のない私も評論家でなく、個人でメールを送ろうと思う。

***
◇原水禁大会「核廃絶に向けて大同団結を」 被爆者が訴え
(2010/8/8asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0808/TKY201008070328.html

 原水爆禁止日本国民会議(原水禁、旧総評系)などが開く原水爆禁止世界大会の長崎大会で7日、長崎市在住の被爆者で「長崎の証言の会」代表委員の浜崎均さん(79)が、長年分裂して開かれている世界大会について「地球上から核兵器を廃絶するために大同団結してほしい」と訴えた。世界大会の場でのこうした呼びかけは異例。

 原水爆禁止世界大会はビキニ事件をきっかけに55年に始まったが、2度分裂し、86年からは原水爆禁止日本協議会(原水協、共産党系)などの大会と原水禁などの大会に分かれて開かれている。

 浜崎さんは長年被爆体験を語ってきたが、「あと何年生きられるかわからない。目的は一つなのだから今こそ力を結集しなくては」と考えたという。
***

2010.08.07

スポーツニッポン、平和への「INORI」世界に届けと

夏の甲子園大会が開幕。

こんな日は、ふだん買わない人たちがスポーツ新聞を手にすることも。

地域によって紙面に差があっても、

私が手にとった、今日のスポーツニッポンの社会面には、

A4用紙よりも大きなサイズの注目記事が。

5月にも関連の記事が芸能面に掲載されていた。

今回は、昨日の広島での模様を、USEN(有線)での3度目の1位という反響も含めてつづっている。

また、今日のほかのスポーツ紙もこの関連記事を大きく掲載している。

INORI、広がれ、届け、世界に。

***
◇広島被爆65年…平和への「INORI」世界に届け
(2010/8/7スポーツニッポン)
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2010/08/07/01.html

 広島市は6日、被爆から65年の「原爆の日」を迎えた。反戦歌「INORI~祈り~」が注目を集める歌手クミコ(55)は、市内の小学校の平和集会でミニライブ。児童を前に同曲を歌い上げ、「この子たちが世界に平和を伝える“種”になってほしい」と願った。その後、平和記念公園内にある「原爆の子の像」を訪問。自身が中心となって集めた6万5000羽の千羽鶴を奉納し、世界平和を祈った。

 クミコが訪れた幟町(のぼりちょう)小学校は、「原爆の子の像」のモデルとなった、故佐々木禎子さんの母校。禎子さんは2歳で被爆、その影響で白血病を発症し12歳で死去した。

 体育館に座る児童400人の前に立つと、マイクを両手のひらで挟むように持つ“祈り”のポーズ。禎子さんのおいで、「INORI」を作詞・作曲した被爆2世シンガー佐々木祐滋(40)とともに、同曲をしっとりと歌い上げた。

 「INORI~祈り~」は反戦歌のバラード。病気の回復と平和を祈って千羽鶴を折り続けた禎子さんがモデルで、祐滋が「平和を願う気持ちを、叔母の折り鶴に託して歌いたい」と08年に作詞・作曲。昨夏にクミコへ歌唱を依頼した。

 当初は被爆者を扱った重い題材に加え、その家族が作った曲であることに「あえて自分が入る余地はない」と思っていた。だが祐滋の熱意に触れ決断。2月にCDを発売すると、ジワジワと話題になり、4日付USEN総合チャートで今年3度目の1位となった。

 歌唱後、禎子さんを歌った唱歌「折り鶴が飛んだ日」を児童が歌っている最中、クミコの目に涙が光った。「広島の子供たちが、世界中に平和を伝える、最初の“種”になってくれると確信した」という。

 その後、「原爆の子の像」に6万5000羽の千羽鶴を奉納。3月に始めた「INORIプロジェクト」の一環で、国内外から届けられたもの。自身も約2000羽を折り、「やってみると凄い労力がかかる。それだけに、重かった」。平和を祈る人々の気持ちの重さを感じていた。

 「“INORI”という言葉が、世界で通用する言葉となるように広がってほしい」。広島から世界へ。平和を祈り、歌い続けていく。

***

【ブログ内関連記事】
「INORI」がUSEN1位に(2010/5/6)
http://tamy.way-nifty.com/tamy/2010/05/inoriusen1-75d8.html

◇「INORI」~「折る」ことは「祈る」こと~|クミコ オフィシャルサイト
http://www.puerta-ds.com/kumiko/features/INORI/index.html
※歌の試聴も。メッセージなどあり。

小さなセッターに勇気づけられて

身長159センチの、30歳代のセッターが跳んでいた。

全日本バレー女子・セッター、竹下佳江選手。

かつては、「小さいから」と成績不振の原因という批判をあび、地元北九州市に帰郷。ハローワークで介護の仕事をと考えたこともあったという。

アタッカーは難しくても、トスをあげて全体をまとめるというポジションでその力が。

時に、めいっぱいのジャンプでブロックを決めるときだってある。

私は、バレーボールとまったくちがう世界に生きている。

スポーツともプレーという点では縁遠い。

バレーボールは中学時代の部活に数ヶ月所属したことがある程度。

それでも、ポジション、攻守の切り替え、全力のプレースタイル、確認しあうコミュニケーション、そして努力の積み重ね・・・。

参考にしたい。

考え、悩み、そしてなんとか生きている。支えられながら。

マンネリ気味な昨日にさよならして、今日を、そして明日をがんばりたい。

深夜の女子バレーの放送を観ながら、そんなことを思った。

2010.08.06

祈り、願い、ヒロシマ

今日は、祈りの日。

「INORI」を聴く。願いをこめて祈る。みんなで。

***
◇佐々木禎子さんの歌(2010/8/4中国新聞 天風録)
http://www.chugoku-np.co.jp/Tenpu/Te201008040114.html
♪祈り祈り祈り続けて 生きたいと思う毎日でした―。シャンソン歌手のクミコさん(55)がしっとりと歌い上げる「INORI~祈り~」。発売から半年たっても有線放送ランキング1位に迫る人気だ▲生きる希望を千羽鶴に託したヒロシマの少女の胸の内をつづった詞と美しいメロディー。55年前、白血病のため12歳で亡くなった佐々木禎子さんがよみがえり、抑えきれない気持ちを語っているようにも聞こえる▲♪二度と二度とつらい思いは 誰にもしてほしくはない―。曲を作ったのはミュージシャンの佐々木祐滋(ゆうじ)さん(40)。禎子さんのおいに当たる。10年前、高校生の平和学習の場に居合わせて、遠い存在だった禎子さんが身近になったという▲クミコさんも最初から、歌うことを引き受けたわけではない。祐滋さんの頼みを「自分には重すぎる」と、いったんは断った。しかし会って覚悟を決めた。「人間愛の歌としてならできる」。向き合って話すうちに、禎子さんの無念の思いが届いたようだ▲2人は6日、平和記念公園の「原爆の子の像」に歌をささげる。あの日から65年。つらい思いをさせる元凶をこの世からなくすには、みんなで何をすればいいの? 今を生きる人々の心に、禎子さんの問いかけがどう響くのだろうか。
***

10代がつくる平和新聞 - ひろしま国:8・6を伝える
http://www.chugoku-np.co.jp/hiroshima-koku/handingdown/index.html

***

***

子どものための豊かな保育環境にむけて?

この調査結果の第一報に戸惑っていた。

同時に、所得の階層別にはどうなっているのか。

幼出身と、保出身で。

また、母子家庭の割合は。そして、以前からの大学進学率は・・・。

などなど、過去の類似する調査(があるはずで)との比較はどうなのか。

切り取った一面だけを見せられている気がして。

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2010.08.05

二度とない「はじめての日」

「お母さんの胸が熱くなる歌がある」と切り出す新聞記事。

「はじめて 小さな命が宿った日を 覚えていますか」

朝日新聞7月30日付、

『五線譜 わが子の「はじめて」歌おう』。

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2010.08.04

看護師は確保できるの?

2013年度からの制度導入に向けて検討がすすめられている「こども園」。

すべての園に看護師配置を義務づける方向という。

でも、病院でさえ、看護師の確保がままならない。

看護師配置を義務づけている自治体の私立保育園でも、確保が厳しい状況。

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2010.08.02

願い、「ひろしま平和の歌」、INORIとともに

就職して12回目の夏。

8月上旬、その8回はヒロシマかナガサキで迎えています。

今年は広島市主催の平和祈念式典に米英仏の核保有国の代表、国連の事務総長が初めて出席するといいます。

毎年歌われているのは、

「ひろしま平和の歌」
http://www.youtube.com/watch?v=oeNgn3t-XWE&feature=related

私の今年の8月6日は、この式典を東京で中継動画で観ながら、折り鶴の少女・佐々木禎子さんの願いをたくした「INORI」(クミコor佐々木祐滋)を聴く日となるはずです。

そして、映画「夕凪の街 桜の国」のDVDも観るかな。

平和のとらえ方は人それぞれ。

でも、被爆国に生まれたからには、1年に1回のこの日はせめて。

ふだんはしない、何か小さなことでも。

何もしないことがいけないとは思いません。

「しないといけないのに、あなたは・・・」という思いは上から目線ではないでしょうか。

でも、何かできたらいいなぁ。

2010.08.01

8月7日放送、「幻の甲子園~戦時下の球児たち」

8月になると、戦争・平和を考えるテレビ番組が放送されます。

それを「8月ジャーナリズム」と批判する向きもありますが、私はそれらの番組をこのブログで毎年紹介してきています。

考えあうきっかけとしては、大切にしたいと思っています。

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