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2010.08.11

見て見ぬふりをどこまで 連覇をめざす姿に想う私たちの矛盾の大きさ

花火、甲子園、この夏、酷暑にあえぐなかでも歓声は響く。

その8月15日、私たちは、前の戦争をやめた日を迎える。

あれから、65年。実質的には戦争に加担し、核を持ち込み、この1年近くの新しい政権のもとで、その最大の矛盾を背負わせた「沖縄」について考えさせられたはず。

この夏、もっとも注目されているエース・島袋くんは、ひとりで優勝したわけではないけれど、春は「沖縄が力があるところを見せたかった」として優勝、そして「安心して生活できる環境になってほしい」という子ども時代の思いも変わらないまま持ち続けているはずで。

代表校が地域別の枠をもって選ばれる春のセンバツと違い、夏は、各都道府県から1校ずつ。

そのトーナメント戦というルールのもと、この夏1校以外は必ず負けを経験する。

一方で、100人の日本村の1人、米軍基地の大半を押しつける構図は、どうしてまた見捨てられようとしているのか。

あまりに、不平等ではないか。

正面からあえて問う記者コラムに考えさせられる。

また、この春の私のブログの関連記事も、まだ残念ながら新しい刺激をもって読んでもらえると思う。

【ブログ内関連記事】
沖縄県民大会を前に思うこと(2010/4/23)
http://tamy.way-nifty.com/tamy/2010/04/post-bec6.html

***
◇記者の目:沖縄の米軍基地 我が事として議論を=北川仁士
(2010/8/11毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20100811k0000m070102000c.html

 「沖縄は日本なのか?」。6月から7月にかけて米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設問題などの取材で訪ねた沖縄で、何度も問われた。復帰しても米国に“占領”された状態が続く現実に「沖縄はヤマト(本土)に差別され続けている」という憤りは沸点に達しようとしている。本土に暮らす私たちは、沖縄に負担を押し付け続けてきた事実を認め、信頼関係を築き直す責任がある。普天間問題は決して沖縄だけの問題ではない。

 普天間飛行場の移設問題が再びクローズアップされたのは昨年夏の衆院選からだ。「最低でも県外」と訴えた民主党の鳩山由紀夫代表が首相になったことで、沖縄県民の間に一気に期待が広がった。だが約束は守られず、鳩山首相は5月、名護市・辺野古周辺に移設するという政府方針を決め、その直後に辞任した。

 ◇鳩山氏の発言で問題が顕在化 
 本土での鳩山氏への批判は「できないことを言って期待を持たせた」という“迷走”が中心だった。しかし沖縄の人々の受け止め方は少し違う。「鳩山発言の後、沖縄の思いを実際にくもうという姿勢がヤマトに見えなかった」ことへの失望が大きい。「結果は許せないが、(鳩山発言によって)今までフタをされてきた問題が顕在化したことは意味があった」と話す人もいる。憤りの矛先が今、沖縄への基地偏在を黙認してきた本土の私たちに向けられている。

 これに対して、本土では“俗説”も根強い。代表例が「軍用地主など経済的に潤っている人もいる」という意見だ。確かに、地主の中には経済的に豊かな暮らしをしている人もいる。だがそれは、生活のために基地と共存している人がいるということでしかない。沖縄の人たちが自ら基地を求めたわけではなく、戦争の過程で強いられたものなのだ。

 沖縄の歴史は、外部からの侵攻の連続だった。15~19世紀には琉球王国として貿易を中心に栄えた沖縄は、薩摩藩の侵攻を経て、1879年の琉球処分で沖縄県として日本へ組み入れられた。太平洋戦争末期の1945年の米軍上陸で壮絶な地上戦になり、20万人以上が死亡したが、その半数近くが民間人だった。

 戦後も占領が続き、72年に日本へ返還されたものの、基地の継続使用が条件だったため、米軍基地は今も本島の1割以上を占拠し続けている。

 「戦争を長引かせるために沖縄は捨て石にされた」「日本兵は沖縄の人を助けるどころか防空壕(ごう)から追い出した」。訪問中、沖縄戦を語る人たちから本土への恨みを何度も聞いた。日本兵に助けられた話も聞いたが、被害者感情を抱え続ける人が数多くいるのは事実だ。

 ◇見て見ぬふりはもはや許されぬ
 こうした沖縄の声が十分に本土の人間に伝わらなかった背景には、沖縄の人の複雑な感情があることも知っておく必要がある。

 ここ数年の間に、沖縄の多くの人々が戦争体験を初めて語り始めている。その人たちから「自分だけが生き残ったことが後ろめたく、戦争の話はしたくなかった」といった言葉を聞いた。沖縄戦では県民の4人に1人が命を奪われた。戦争被害の大きさ、悲惨さゆえに、語ることをためらってきたのだ。本土の私たちはその「沈黙」をいいことに、見て見ぬふりをし、基地の沖縄偏在という不公平を正視せず、甘え続けてきたのではないか。

 人々が語り始めたのは「亡くなった家族らの声なき声を伝え、戦争のない世の中にしたい」という願いからだ。その底には「日本のためにあれだけの犠牲を強いられたのに」という気持ちがある。

 普天間飛行場の移設問題を巡って今年5月、全国知事会議で当時の鳩山首相が訓練移転への協力を呼びかけた。これに対し、「できる限りのことはしたい」と前向きな姿勢を示したのは大阪府の橋下徹知事だけだった。

 一般受けする言動が得意な橋下氏一流のパフォーマンスだという見方もある。しかし、世論から少し突出したくらいの「火付け役」がいなければ、基地や訓練の移転を巡る論議は一向に進まないのではないだろうか。

 沖縄の面積は日本の国土の0.6%。そこに在日米軍基地の7割以上がひしめいている。「みんな嫌だと言っているからどこも基地を受け入れない。なぜ沖縄ならいいのか」。沖縄の問いは簡潔であるがゆえに厳しい。本土に住む私たちはこの問いにきちんと向き合い、答えを見つけなければならない。(大阪社会部)

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