わからないまま65年
どうしてこんなに視点が鋭いんだろうと思う、いつもの記者コラム。
あれから65年。私の親も戦後世代・・・。
戦後とは、戦中とは、戦前とは・・・。
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◇発信箱:わからないまま65年=三森輝久(西部報道部)
(毎日新聞2010/8/10)
http://mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/news/20100810k0000m070100000c.html
厚生労働省に第二次世界大戦の日本人戦没者の数を尋ねたら、1枚の紙がファクスで送られてきた。タイトルは「先の大戦における戦没者概数」。
その数、310万人。軍人、軍属は230万人で、うち「外地」での死者が210万人。民間人は「外地」30万人に、空襲や原爆による「戦災死没者」が50万人--とある。厚労省社会・援護局によると、日中戦争の発端となった1937年7月7日の盧溝橋(ろこうきょう)事件から45年8月15日の敗戦までの犠牲者数だ。
40年の国勢調査では、当時の日本の人口は約7311万人。この数字を基にすると、日本人の24人に1人が戦争で亡くなった計算になる。戦後の海外からの引き揚げ者(47年1月現在)は軍人、民間人合わせて約630万人。戦禍がどれほど大きな国民的体験だったか、戦後21年目の年に生まれた私にも想像がつく。
では、戦死や病死といった死因別や負傷者数のデータは? 社会・援護局は「把握していません」。中国から復員して現代史研究の道に入った故・藤原彰一橋大教授は「餓死(うえじに)した英霊たち」(青木書店)で、230万の軍人軍属の死者中「140万前後」が病死を含む広い意味での餓死者だったと試算している。
「310万人」が公式に発表されたのは、敗戦から18年たち、東京オリンピックを翌年に控えた63年8月15日。「8・15」の開催が恒例化した最初の全国戦没者追悼式だった。この7年前、経済白書は「もはや戦後ではない」と宣言したが、戦没者総数さえ公式には出ていなかったわけだ。
地上戦となった沖縄戦の犠牲者は、軍人、民間人とも「外地」にカウントされている。その理由は? これも「わかりません」だった。
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