「変わらない」
この記者の書くコラムが大好きで。視点、展開、工夫、引きつけられることが多い。
謙虚に学び、こんなにも響くものを書いてみたいし、変わっていきたいし、変えていきたいと思う。
影響されていることを伝えるファンレター、書こうかな。それがまたやりがいにつながると信じて。
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◇発信箱:変わらない=三森輝久(西部報道部)
(2010/9/28毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/news/20100928ddm004070005000c.html入社した21年前、一線の新聞記者はまだ原稿用紙に記事を書いていた。社内の誰も携帯電話を持っていなかったと思う。公衆電話がなさそうな事件、事故の現場には無線を持って出かけた。総務省の統計では、94年に1000世帯当たり190台しかなかったパソコンは99年に485台になり、09年は1157台。一家に1台だ。
米軍普天間飛行場の全面返還に日米両政府が合意した96年、私はまだ原稿をワープロで打っていた。技術は時代を変える。秘密が多い軍事技術も随分変わったはずだ。
だが、普天間移設はその後の米軍再編を経て姿形こそ変わったものの、沖縄県内移設というレールは返還合意の96年から変わらない。途中、歴史的な政権交代はポイント切り替えで行き先を変えるかと思われたが、終着駅は同じ名護市辺野古だった。
「きちんと民意が表れた以上、より一層丁寧に説明したい」。移設反対を公約にした稲嶺進市長派の議員が過半数を占めた12日の名護市議選の結果に、北沢俊美防衛相はそう言った。「丁寧に説明」。この言葉を05年秋の米軍再編中間報告以降、何度聞いただろう。外相は町村信孝氏から数えると前原誠司氏は6人目。防衛相は大野功統(よしのり)氏(当時は防衛庁長官)に始まり北沢氏は9人目。このほとんどが沖縄に来ては「丁寧な説明」をしたはずだ。民主党代表選で勝った菅直人首相が言った「日米合意を踏まえ、沖縄の負担軽減に全力を尽くす」も繰り返されたフレーズだ。
オウム返しに情熱はない。「負担軽減って言葉だけが何度も踊ってるだけ」。普天間を発着するヘリコプター操縦士の顔が見えるほど近くに住む知人は言った。95年に生まれた長女は今、高校1年生。「死ぬまで普天間は変わらないんじゃないかと思い始めている」という。
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