記者がみた「沖縄の高校野球」
この記者のコラムは、いつも興味深い。
私が感じていることもあるけれど、気づかなかったこともみえてくる。
記者しか知らないことがニュースの裏にあって。
肯定されてこそ、育つことがあると思う。
***
◇発信箱:沖縄の高校野球=三森輝久(西部報道部)
(2010/9/7毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/news/20100907k0000m070106000c.html
驚いた。沖縄では今も祝賀ムードが続いている。お祝いとはもちろん、興南高校の甲子園春夏連覇だ。「興南高校野球部を甲子園に送る会」は10日、那覇市内のホテルで「甲子園春夏連覇祝賀会」を開催する。「お酒もあり」の席なので、大人だけ。800人収容のホールを借りるのだそうだ。まだある。春の紫紺、そして夏の深紅の優勝旗が12日から20日まで、県立博物館・美術館!の玄関ホールに展示される。興南高校には連覇直後から「優勝旗を見たい」との電話が1日平均数十件もあったという。今も警備員しかいない夜中に「おめでとう」の電話が時々かかってくるとか。
残念ながら甲子園で沖縄勢を取材した経験はないが、5年間の那覇勤務では沖縄大会を何度か取材した。印象に残るのは、緊張感はあっても、甲子園出場がまるで最低限の義務と言わんばかりの、強豪校にかかる重苦しさや悲壮感を感じなかったこと。純粋に試合に集中する、そんな雰囲気だ。
象徴的と思えるのが2年前の夏、その年春のセンバツを制した沖縄尚学に興南が挑んだ準決勝。初回に1点を先制した興南は終盤の3度のバント失敗が響き、緊迫した投手戦の末1対3で逆転負けした。それでも我喜屋(がきや)優監督は試合後、開口一番報道陣に言った。「ナイスゲーム。これぞ高校野球。そう思いませんか?」。甲子園を逃したにもかかわらず、選手をたたえる強豪校の監督は多くはない。
翌日の決勝で敗れた沖縄尚学の比嘉公也監督が選手にかけた言葉もすてきだった。「3年間よく頑張った。でもおまえたちの人生はこれからだ。そのことを忘れるな」。沖縄の高校球界をリードする懐の深い指導者たち。県民の高校野球人気と無縁ではないと思う。
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