チラシ配りで、目配り、気配り、心配り
「不安・疑問 なんでも相談ください」「住まいのない方に年越し支援」
チラシにそんな見出しが掲げられ、12月29・30日の午前から夕方まで、「あったかい部屋と食事で、新年むかえよう」と、緊急相談会が新宿駅西口前の特設テントにて開かれました。
昨年、一昨年と設置された公設の「派遣村」が今年は開設されないなか、その運営に携わった団体がよびかけたものです。テント内での専門家による相談、両日開所されるようになった都内5ヶ所のハローワークの活用など、さまざまなアドバイスによって、住まいと食事を確保しようというものです。
初日となった29日には約50人がテントを訪れて、具体的な相談が行われました。この行動は、29日の毎日新聞など報道もされました。
クローズアップ2010:「派遣村」なき年越し 行政のはざま、支援手薄
(2010/12/30毎日新聞東京朝刊)
http://mainichi.jp/select/opinion/closeup/news/20101230ddm003040067000c.html
私もお手伝いをしてきました。仕事先に頼まれて参加したわけではなく。
私は、新宿駅西口のテントのななめ前で、声をかけながら、ひたすらチラシを配るということだけをやってきました。
身体との相談、私用との調整で、休憩を除いて2日間であわせて約7時間、配り続けました。
支援を必要としている誰かのために。
そして、それだけでなく、ひたむきに、ただ、何かをやり続けるために。
ひたむきとは、辞書によれば「一つの物事だけに心を向けているさま。忍耐強く、いちずに打ち込むさま」とのこと。
私自身、ここ数年、率直に言ってそんなことが欠けてきたように思います。
今年、ひたむきに、何をやったのか。
学生時代にはあったもの。
その後、「慣れ」と引き換えに欠いてしまったものでした。
私の「欠け」をもうひとつ言えば、
「私に」とよびかけられていなくても、「誰か」にむけて発信された情報を「私」としてキャッチして、
自らそれに実際に応えてみること。
そのための行動でもあり、自己満足という一面も、私の今回の目的で。
終わってみると、何か懐かしささえ感じました。
「どうせ・・・」ばかりの言い訳の日々にあって。
用意されていた手書きのボードを胸にかけ、その様子は明らかに新宿駅前の街並みから浮いていて、声をかけてチラシを配る私の前や後ろを通り過ぎる、そのほとんどが年の瀬の買い物客。
百貨店や家電量販店で買った大きな荷物を手に「私の住まいも探してほしいくらいだわ」と冷ややかに吐き捨てる人、
「甘やかしだよ」と罵倒を浴びせてくる人、
まったく見ようとしないで通り過ぎる多くの人。
世間の冷たさはありました。
日々の仕事やその延長の関係だけではなかなか見えてこない、街の空気、ホントの世論がそこに。
でも、チラシを配っている私に「ちょっといい?」と声をかけてきて、
「オレ、いま正社員だけど、アメリカ型の雇用スタイルになってきているけど、日本にはあわないよね。力をあわせるってことがなくなってきていて。切り捨てられる不安はいつも感じていて」と語る男性もいました。
私とは同年代で、10分間以上、話し込んで。
話が終わったあと、彼は「ありがとうね」という言葉を残していきました。
また、2日目は高齢の男性からも「お金の支援もしているの?」と声がかかって。
厚生年金で年金は月8万円、企業年金は年2万円。介護保険料が天引きされて、生活は本当に苦しいそうで。
「来年70歳になるけれど、もうね、汚い仕事、清掃でも何でも始めようと思ってる。でないと、苦しいんだよ」「服はもう何年も買ってないし、現役の時の服をずっと着ていてね。出かける時も今日は何百円持っていこうか、いつも本当に考えている」「緊急支援は大事だけど、人として生活ができる年金にしないと、これからの人は大変だよ」と。
私もさまざまな言葉を返しましたが、身につまされました。そしてやはり、会話の終わりには「ありがとう」の言葉をいただき。
初日に、酒の臭いのする高齢のホームレスの人が話しかけてきたときも、20分間ぐらいやりとりしました。
長いやりとりを見た他のボランティアが心配して来てくれましたが、
私はそのホームレスに「甘やかし」だと言われても、冷静に対応できました。
社会派の仕事をして12年近くになるなか、相手が誰であれ、対話力はついてきたとも思えました。
チラシは、想像以上の数が配れ、立ち戻って受け取りに来た人も何人も。
対象とは違うみなさんもチラシを受け取ってくれて。こんな活動があるということを知ってもらい、賛否両論含めて話題にしてもらえたら。
暗いと不平を言うことも大事ですが、すすんであかりをつけにいく、そんな心がけ。
その重なり合いで、熱意が人に響くといい、社会が明るくなるといい、そう感じた2日間。
ボランティアが集まるあたたかさ、そして「時々は休みながらやってくださいね」という気配り。
さらに、通行人に目を配り、一喜一憂もしながらのチラシ配りに、多忙なはずの通行人からの「おつかれさま」「大変だね」という心配り。
配ったもの、そして受け取ったもの。たくさんのやりとりがありました。
全体を冷たいとみるか、一人ひとりに着目し、その積み重ねをあたたかいと感じるか、とらえ方によって変わりますね。
この経験のなかで、人は人によって支えられていると実感できて。
そう、朝日新聞が今月下旬に始めた「弧族の国」の連載は、人のつながりについて考えさせられます。
年明け、私の仕事の関係先では、この連載にふれた挨拶が増えるはず。
たぶんあたる「予言」です。
2日間、底冷えもあって寒くてくたびれました。
でも、私のブログ、サブタイトルは「風は強く冷たくとも」ですから。
さあ、年越し。
大晦日、今年の紅白歌合戦はたくさんの「ありがとう」に出会えそうです。
みなさんにとって、2011年がすばらしい1年になりますように。
この1年のありがとうの気持ちをこめて、
みなさん、よい、お年を!
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