« 奥行きのあるオヤジギャグで「福笑い」 | トップページ | 数合わせだけで保育・子育て施策の転換か »

2011.01.04

所在不明、小中学生も

高齢者だけでなく、子どもも消えてる。

ご存知ですか。

手当を現金で配ることも大切だけれど、

一人ひとりがどうなっているのか、

そこを手当てすることこそ、必要な国の、自治体の役割ではないかと。

***
◇所在不明の小中学生326人 文科省の調査で判明
2011.1.1 22:37 MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/life/education/110101/edc1101012238001-n1.htm

教委ずさんな調査、毎年度「ゼロ回答」も

 昨年、行方不明高齢者が社会問題となったが、住民票がありながら1年以上所在不明な小中学生も全国で326人(小学生238人、中学生88人)に上ることが、文部科学省の学校基本調査(昨年5月1日現在)で分かった。さらに、産経新聞の調べで各教育委員会のずさんな調査の実態が判明。実際にはこれ以上の児童生徒が所在不明とみられ、憲法で保障されている教育を受ける権利がないがしろにされている可能性がある。

 日本国籍を持ち、住民登録されている児童生徒については、各市区町村の教委が学齢簿を作る。所在確認できず1年経過した児童生徒は学齢簿から抹消し、別の「簿冊(ぼさつ)」を作成。教委は毎年5月1日の学校基本調査で、簿冊記載の児童生徒の累計を「1年以上居所不明数」として文科省に報告することになっている。

 同省によると、該当する児童生徒は、調査開始時の昭和36年は1365人(小学生696人、中学生669人)で年々減少し、47年には239人(同184人、55人)まで減った。しかし、平成3年以降は少子化で全体数が減少しているにもかかわらず、一向に減っていない。

 同省学校基本調査係は「(不明児童生徒は)一家での夜逃げやDV(家庭内暴力)で身を隠したケースなどが相当し、昔から一定数はいる。統計内容を分析したことはない」とする。

 実態を調べるため、本紙は昨年11~12月、19の政令指定都市に聞き取り調査を行った。その結果、学校基本調査に正しく回答していたのは、相模原、北九州、福岡のわずか3市だった。

 横浜、川崎、新潟の3市は毎年度「ゼロ」と報告。「3月末に学籍から抹消した児童生徒はいるが、5月1日時点はゼロ」としたという。このほか、「行方不明の子供は学期末に学籍を抹消するため、1年以上の所在不明はいない」(神戸市)などの回答もあった。数字を報告している札幌、仙台、千葉、大阪、堺、岡山の各市でも「就学時に所在不明で入学しなかった子供は学齢簿を作らないので、カウントしない」などとし、実態を反映していなかった。

 児童福祉に詳しい子どもの虹情報研修センター(横浜市)の川崎二三彦(ふみひこ)研究部長は「学校は『去る者は追わず』の姿勢。住民票を移さずに不明になると、多くの子供が転居先で学校に通っていない可能性もある」と指摘している。(村島有紀)

***

向き合って考えあいたいものです。

そして、よほど反響が大きいのでしょう。

何度も放送された下記番組が再放送されます。

お見逃しの方、ぜひ。

***
NHK教育「福祉ネットワーク」 2011/1/4 12:00再放送
http://www.nhk.or.jp/heart-net/fnet/info/1011/101122.html

2010年11月22日(月)・12月28日(火) 再放送:11月29日(月)・2011年1月4日(火)
消えた子ども -大阪・二児虐待死事件を追う-

いま、日本では高齢者だけでなく、子どもたちも"消えて"いる。
ことしの厚労省の調査では、児童相談所が虐待指導中に行方不明になった子どもは19人。
さらに、文科省のデータでは、1年以上住居不明の子どもは、338名いることが明らかになった。7月に起きた大阪の「二児虐待死事件」も、亡くなった2人の子どもは、所在不明の"消えた子ども"だった。子どもたちの住民票が居住地になかったため、児童相談所は通報を受けていたにもかかわらず、接触することもできないまま、結果的に幼い命を守ることができなかった。さらに、親子が今年12月まで住んでいた名古屋市でも、虐待のリスクが考えられるという通告を受け、児童相談所が接触したものの、親子の所在がわからないために調査を打ち切っていた。
「消えた子ども」の命を守るためには何が必要なのか、大阪の事件を通して浮かび上がった行政システムの課題と、今後の方策を探る。
***

« 奥行きのあるオヤジギャグで「福笑い」 | トップページ | 数合わせだけで保育・子育て施策の転換か »

学校」カテゴリの記事

コメント

前回もみたけど、みればみるほど、考えさせられるなぁと。
「気づいてたけど…」「公的機関ですら…」「連携が必要…」「社会が子育て…」etc…

見事に逆をいこうとしてる新システム。

保育所が担っている役目は、かなり大きいはず。

今、連携がとれている部分も、これからの制度緩和されたところにどの程度つながりをもってできるのか?もしくは、経営者次第なのか?それとも…そういう家族は入りづらい状態になるのか…。

人員不足、だからこその抱え込みすぎ、深刻化、制度の不十分さ(保育もだけどそれだけではなくね)……努力だけじゃ、クリアできないからこそ、つながりあえる社会にしていきたいとこ。

ひとまず、私のできることとして、自ら一声、一笑顔でスタートでしてみようと思った新年です。

責任という鎖でなく、縁というつながりもなく、お金・契約になる仕組みだとしたら、ダメだよね。

サービスでない「一声」「一笑顔」でがんばりあいたいね。

ひととして、ひとこえ、ひとつずつ。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 所在不明、小中学生も:

« 奥行きのあるオヤジギャグで「福笑い」 | トップページ | 数合わせだけで保育・子育て施策の転換か »

2025年1月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

ツイッター

影響されてるよー

注目!