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2011.02.15

功名についての巧妙なコラム

この人の文章をいつも楽しみにしている。

週に1回、期待を外さない。切り口、とらえ方、参考になる。

***
◇香山リカのココロの万華鏡:カゼの功名 /東京
(2011/2/15毎日新聞東京版)
http://mainichi.jp/area/tokyo/news/20110215ddlk13070235000c.html

 からだが丈夫なことだけが自慢の私なのに、不覚にもカゼを引いてしまった。熱は一晩で下がったが、そのあと声がまったく出なくなった。

 声の出ない精神科医、なんてしゃれにもならないが、実はそれほど不便はないことがわかった。ささやき声で「ちょっとカゼで……」と伝えようとすると、患者さんは身を乗り出してそれを聞こうとしてくれる。それだけで、距離がぐっと縮まったような感じになるのだ。

 それからは、「先生、わかりました」と自分の話したいことの要点をかいつまんで語ってくれる人もいれば、「クスリですが、あれとあれは余ってまして……」と処方のことまで指示してくれる人もいる。こちらはおんぶにだっこ、すべてを患者さんにゆだね、うなずいているしかない。

 もちろん、言いたいことが言えなくてやや困ることもあったが、どうしても必要なことははじめのようにささやき声で伝える。不思議なことに、そのほうが聞く側も真剣になるためか、よく伝わる気がする。いつもは「いや、そのクスリは好きじゃないんで」と拒みがちな人も、「はい、わかりました」と同意してくれる。

 こうしてみると、ふだんの診療であれこれしゃべっていたことのほとんどは不要だったのではないか、と思えてくる。的確なコミュニケーションのために必要な言葉なんて、本当はほんのわずかなのかもしれない。

 これぞ、ケガの功名ならぬ、カゼの功名。

 私たちは気まずいとき、自分に負い目があるときほど、不安な気持ちを相手に悟られないために、言葉数を多くしてペラペラしゃべってしまう傾向があるが、それでは信用をなくすばかり。私も今後の診療では、なるべく落ち着いた態度で、必要な言葉だけを短く発する“デキる精神科医”を目指そう……。

 「カゼで声が出ない」という事態は、診察には必ずしもマイナスにはならなかったのだが、大学では大きな迷惑をかけてしまった。入試監督にあたっていたのに、声が出せないのでは使いものにならず、会場に着いてからほかの先生にかわってもらうことになったのだ。

 朝、監督集合の場に座っているのに、説明係の人が「カヤマ先生にかわりまして○○先生」と発表。ああ、恥ずかしかった。やっぱり健康には気をつけよう。

***

日常では見えないことが、思いがけないことによって、見えてくることがあるんだね。

私も、「なるべく落ち着いた態度で、必要な言葉だけを短く発する」デキる人になりたいと、ちょうど思っていたところ。

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