「頑張って」という声
「頑張って」という声。
テレビをみながら、口に出そうになる。
また、AC(公共広告機構)のCMに考えさせられることも多い。
最前線でがんばる人たち。
「がんばって」は、みんなが思い、誰でも言える。
ともすると、他人事にさえ聞こえることもある。
そばにいる人のすべき支えは「がんばって」ではない。
コラムを読んで、そう考えさせられたんだ。
私の知人には、公的に許可を得て確保したルートのなかで物資の輸送などを始めた人もいる。
今後広がるはずのボランティアによる支援、
そのときに「がんばって」ではない声も広がっていく。
1人ひとりが現地で何ができるかは、いま優先して悩むことではないと思うけれど。
被災していない人が涙だけを流していても前にすすまない。
私も自問の日々だ。
「がんばれ」と テレビを観ながら言うよりも 自らすすんで 「がんばろう」
***
◇筆洗(2011年3月19日 東京新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2011031902000092.html
辛辣(しんらつ)な人間観察で知られるフランスの作家ラ・ロシュフコーに<真の勇気は目撃者のいない場合に示される>という箴言(しんげん)がある。自衛官、警察官、消防士、東電の作業員…。テレビには映らないが、制御が困難な福島第一原発で奮闘する人たちほど、この言葉が当てはまる人たちはいない▼決して大げさではなく、日本を救う重責は彼らの双肩にかかっている。世界が注視する中、どうか激務を成し遂げ、帰りを待つ人のところに無事に戻ってほしい。そう願うばかりだ▼東日本大震災はきのう午後二時四十六分、発生からちょうど一週間を迎えた。確認されただけで、死者は阪神大震災の犠牲者六千四百三十四人を超え、戦後最悪の自然災害になった。真冬並みの寒波が生き延びた被災者の体温と気力を奪う▼行方不明者も数万人を超える。一週間たっても被害の概要すらつかめていないのだ。救援物資を運ぶ幹線道路は徐々に復旧し始めているが、物資はまだ十分に行き渡っていない▼きょうからの三連休、被災地に入ってボランティアをする人もいるだろう。ニュージーランドで先月に起きた地震で、恋人を亡くした女性は語っている。「『頑張って』と言わずに、ただ手を握ってあげてほしい」と▼被災地の復旧に汗を流す人がいる。被災者に寄り添うボランティアがいる。自分には何ができるのか。自問する日々だ。
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