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2011.03.14

東日本大震災、保育所をめぐる続報

今回の震災に関係する保育所をめぐる報道、続報をまとめました。

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◇<東日本大震災>救出の幼児、ママに会えた…気仙沼
毎日新聞 3月13日(日)19時26分配信

 宮城県気仙沼市では13日、ビルなどに孤立していた被災者らが自衛隊のヘリコプターで次々と救出された。中には、避難先の公民館で2晩を過ごした市立一景島(いっけいじま)保育所の0~5歳児67人の姿もあった。

 保育士の遠藤留美さんらによると、地震直後に保護者が駆けつけたところで沖合に迫った津波が見えた。周辺住民ら約300人と3階建ての公民館に逃げ込んだが、2階まで水没。子供らをはしごで屋根の上にあげた。木造の家々や車がバリバリと音をたてて流され、「生きた心地がしなかった。子供に見せるにはむご過ぎるので、目を伏せさせた」。

 11日夜、対岸は火の海に。息もできないような黒煙と油のにおい、冷たい雪……。引きはがしたカーテンをかぶってしのいだという。保護者が間に合わなかった10人は特に不安が強く、夜中まで「ママに会いたい」と泣き叫んだりした。保育士らは「明日は絶対に会えるよ」と明るく振る舞って励ました。佐々木未央(みお)ちゃん(5)=同市赤岩港=は市立気仙沼中学校で母千代枝さん(33)と再会。千代枝さんが涙ぐみながら「寂しかったでしょ」と声を掛けると、不安そうな表情のまま無言で胸にしがみつき、しばらくじっと動かなかった。【丹野恒一】
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◇ママ友頼り 人の縁が力(2011/3/14東京新聞)
http://www.chunichi.co.jp/article/living/life/CK2011031402000046.html

 長く大きな揺れが収まった後、子育て中の記者が真っ先に思い浮かべたのは家族の顔。「無事か」「どこで何をしているか」。通信や移動が極端に制限される状況で、東京本社生活部の記者は学校やママ友ら人との日頃のネットワークの大切さを思い知った。 (生活部震災取材班)

 何度発信ボタンを押してもダメ。保育園、小学校、自宅。自治体からの防災メールも届かない。携帯電話はただの金属の塊になっていた。

 十一日午後二時四十六分、地震発生。東京都千代田区の本社にいた竹上順子記者(39)は小学三年の長男(9つ)が気になった。

 学校、学童保育、それとも移動中? どこで何をしているか情報を得られないまま午後三時半、たまたま小学校のホームページを開くと、「児童は安全に避難し、校庭で待機」とのメッセージが。「必要な情報を早くキャッチでき、ありがたかった」

 杉戸祐子記者(34)は午後四時、横浜市内の保育所と携帯がつながり、長女(6つ)と長男(2つ)の無事を確認できた。「『元気で遊んでいる』との園長の声にホッとした」

 同じ本社でも、服部利崇記者(42)は同市内の家族と連絡がつかなかった。友人らから情報収集している杉戸記者から横浜の状況を教わる。「携帯会社が違うと、こうも情報格差が出るのか」と服部記者。結局、妻(42)から家族三人無事と携帯メールが届いたのは午後八時を回っていた。

 取材先の新宿区から大田区の自宅へ歩いていた小形佳奈記者(38)の携帯が、メールを受信し始めたのは午後六時半。一斉に届いた中で、中学一年の長女(13)と保育園に通う長男(6つ)の安全を確認した。自分の安否を知らせるため、午後七時四十五分、公衆電話の列に並んで会社と保育園に連絡した。「あっさりつながり、カード度数も減らなかった」

 杉戸記者が同僚の夫(35)とのやりとりに利用したのは電話回線でなく、インターネットのウェブメール。「いわゆるクラウドサービス。意思疎通はスムーズだった」

 女性記者三人が一様に感謝するのは、時間を延長して預かってくれた保育園や小学校。結局、バスや電車、タクシーを乗り継いで翌日午前四時に帰宅した小形記者は「長男の保育園が、自宅で一人でいた長女も預かってくれ、二人とも泊まらせてくれた」。杉戸記者の子どもも、本来は夕食サービスがない保育所からおにぎりを振る舞ってもらった。

 さらに配偶者や両親が近くにいない場合、ものをいうのが友人ネットワークだった。

 竹上記者は「預かろうか」と申し出てくれたママ友に長男の引き取りを依頼。帰宅した十一日午後十時前、自宅に連れてきてくれたのはパパ友だった。

 杉戸記者も子ども二人を友人夫妻に引き取ってもらった。「人の縁が力になった」

 学校は避難所機能が充実していると感じた竹上記者は、長男とこう約束をした。「外で遊んでいて地震がきたら、まず学校に行ってね」

 それぞれの体験を基に、子どもをはじめ、友人や家族と非常時対応や連絡手段を再確認しようと肝に銘じた。

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◇横浜→大宮/浅草→春日部 家めざし朝まで
2011年03月13日 asahi.comマイタウン埼玉
http://mytown.asahi.com/saitama/news.php?k_id=11000001103140003
 東京都との境にかかる戸田橋(戸田市)付近では11日深夜から12日未明にかけて、歩いて家をめざす人であふれた。

 さいたま市大宮区の男性会社員(55)は職場のある横浜市で自転車を買い、11日午後4時ごろ帰途についた。橋を渡ったのは12日未明。「まだこれから遠い。足が痛い」

 草加市や越谷市でも、12日午前3時過ぎまで、歩いて帰宅する人の姿が見られた。浅草から4時間歩いたという男性会社員は「足腰が痛いけれど、春日部まで帰ります」と話していた。

 県によると、34市町の学校や公共施設など110カ所で、帰宅困難者約1万9700人を受け入れた。「さいたまスーパーアリーナ」(さいたま市中央区)では、大宮駅周辺で足止めされた約5千人が一夜を過ごした。2歳の子どもを連れた飯能市の女性(31)は11日夜、「駅は寒かったから、ここはありがたい」と話した。

 川越市立仙波小学校の体育館では、220人が夜を明かした。段ボールを敷いて寝た東京都八王子市の男性会社員(54)は12日早朝、「とても寒く、ほとんど眠れなかった」と語った。西武・所沢駅付近では無料開放されたホテルに宿泊する人もいた。

 さいたま市立岸町保育園では12日午前1時、保護者を待っていた最後の男児(5)を母親が迎えに来た。母親は渋谷から6時間かけて歩いて戻ったという。市保育課によると、市内17園の38人が12日、園で朝を迎えた。
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