駆けつけた春 支え合って夏へ
東日本大震災という厳しい局面のなか、春のセンバツ高校野球は開催された。
過程で賛否は分かれたが、被災地の高校の意向が尊重されたという。
今日は宮城県仙台市にある東北高校が一回戦の最後に登場した。
朝日新聞東京夕刊は、
「全力以上」駆け抜けた
と見出しを打って、下記のasahi.comの記事を掲載した。
http://www.asahi.com/sports/update/0328/OSK201103280071.html
震災の影響、彼らの周囲の被害・状況、そして甲子園への心づもり。
短いなかでも伝わってくるものがある。こみあげてくる。
「家族は来られないけど、みんなテレビで見ている。東北の人が少しでも元気になるように、全力以上の全力を出さなければ」と決意を語っていた選手も。
試合は0:7で負けた。
私は今日の試合をすべて観たわけではない。
東北高校が予定していた練習試合9試合のうち、震災や雨天などもあり、試合ができたのは1試合。
震災直後数日は、給水などの活動も積極的に行い、練習もままならないどころか、食事の回数も少なかったと聞く。1日にバナナ1本という日も。
それでも、応援してくれる人のために、駆け抜けようと全力で。
誤解を恐れずに言えば、実際は精一杯で「駆けつけた」という状況だったのではないかと思う。前夜も心労で寝つけなかった選手もいたようだ。
4ヵ月後には、夏が待っている。
これからの苦難もあるはず。でも、家族、チームをこえた、応援は大きく広がった。
東北恩返し 差し入れ被災地に/センバツ(2011/3/26日刊スポーツ)
http://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/p-bb-tp3-20110326-753081.html
地域をこえて今日の応援は「アルプス 友情応援3000人」とも伝えられている。
「被災者を励ますため、社員ら約500人で東北の応援に行くと決めたネッツトヨタ京華(京都)のような企業も出てきた」(2011/3/26スポーツ報知)など、社会現象ともいえる。
彼らの今の気持ちは、「ありがとう」という今大会の行進曲のタイトルともなっている感謝の言葉に違いない。
駆けつけた春、支えられ、ひたむきさとたくましさをもって、さあ夏へ。
仙台育英などライバル校も夏をめざしてその時にむかって。
asahi.comの記事は記者3人の署名記事。こちらもチームプレーが光った。
明日は、スポーツ新聞を1つだけでなく、いくつも手にして読むことになりそうだ。
ひたむきにがんばって支えあう姿、それがまわりの力になる。
みている者も含めて。
震災前に、この日本に、私たちに足りなかったのは、その姿、そのエネルギーだったのではと、いま感じる。
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