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2011.04.08

マスコミへの批判とともに自らも

日々信じがたいニュースと向き合いつつ、社会を構成するおとなの責任を感じているところにまた地震。

余震としては最大のもの。

震源地から遠い東京でも震度3。

同じく震度3の青森・東通原発では外部電源が遮断されたとか。

「想定」「安全」とは、何なのだろうか。

下記コラムの姿勢を、他のメディアも、持たなければ。

根拠の浅い安全神話を、なんとなくただ信じてきた私もそうだ。

あの大震災が起きて、意識が変わったと語る人もいる。

でも、その大きな意識の変化を裏づけるものはまだない。

4月4日付読売新聞世論調査では、今後の原子力発電について「増やすべきだ」10%、「現状を維持すべきだ」46%、「減らすべきだ」29%、「すべてなくすべきだ」12%という数字。

楽観的過ぎないか。

**
【コラム】筆洗(東京新聞2011年4月7日)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2011040702000024.html

 庶民感覚で本質を突く本紙の時事川柳には、はっとさせられることが多い。<専門家こんなにいたのに事故起こる><原発を薦めたタレント知らん顔>。その通り、と膝を打った▼<マスメディア原発後押し一休み>。「原発ルネサンス」などと浮ついた言葉を吐いて、政府が進めてきた原子力政策に無批判だった新聞やテレビへの痛烈な批判と受け止めた▼いま、こんなことを考えている。殺人や汚職事件の取材にかける百分の一の労力を、政局の取材に使う百分の一の知恵を、プロ野球や五輪、サッカーのワールドカップの取材に向ける百分の一の情熱を、国の原発政策の監視に注いでいれば、この人災は防げたのではないか、と▼大地震が起きた場合、原発が暴走する危険性を指摘するなど、原発問題と真摯(しんし)に向き合っている記者は本紙にもいた。残念ながらその警告は大きな流れにはならず、大半の記者は目の前の事象を追うのに精いっぱいで原発の危険性に大きな関心を寄せなかった▼高レベル放射能に汚染された大量の水が海に排出され、漁業への被害も深刻化している。暴走する福島第一原発は解決の道筋が描けない迷宮に入り込んでしまったかのようだ▼マスメディアとして、原発の「安全神話」をつくることに加担した責任を自らの手で問い直さなくてはならない。新聞の再生はそこから始まるのだと思う。

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