原発神話と、結果だけで過程のみえない生活を疑う
《「神話」とは・・・》
神話とは、2つの意味があって、
その一つが「実体は明らかでないのに、長い間人々によって絶対のものと信じこまれ、称賛や畏怖の目で見られてきた事柄」というもの。
この春、私が、私たちが疑いきれなかった神話が崩れつつある。「原発安全神話」。
ただ、この受け止め方には差があって、「もう生活スタイル変えなきゃ」とか「人生観が変わった」などと言われるものの、
現実は、まだそうは変わっていない。
たとえば、原発について言えば、脱原発に転換しようという大きな流れにはなっていない。
世論は、安全を確保して原発維持・推進をというものと、脱原発へというものに、むしろ二分されていると言ったほうが正確だ。
《流れは二分されている》
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今後の原子力発電について「増やすべきだ」10%、「現状を維持すべきだ」46%、「減らすべきだ」29%、「すべてなくすべきだ」12%
《読売新聞世論調査2011/4/4紙面》
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「安全対策を強化し、原発を推進すべきだ」が49%と最も多かった。「将来的に脱原発」は41%、「ただちに脱原発」は6%と脱原発派も計47%を占め、意見は二分された。「これまで通り原発を推進すべきだ」は2%。
《北海道新聞2011/3/19-20世論調査》
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《原発批判ができないマスメディア》
テレビで「原発やめよう」という発言をする出演者は、素人以外にまずいない。現れない構造になっている。
民放はCM収入に依存しているので、原発政策に批判的な発言をする学者や芸能人がテレビには出られない。いてもおろされる。
CMの主力スポンサーには電力会社もあるし、東芝、日立、三菱など、具体的な技術開発にかかわっている原発関連会社もある。
当然、テレビ局や制作会社、出演者もそんな意識が働いて動いているということになる。
繰り返しの放送で有名になったACジャパンも、理事構成に電力会社の幹部が複数の名前を連ねている。
きちんとした批判がオモテに出てこない。
そのもとで、ホントの危険性や現政策への異論が伝わっていない部分があり、不安は広がりつつも、上記の世論調査のように原発維持論も根強いという図式になっている。
スポーツライター玉木正之氏のサイトによれば、東京電力ではない地方の電力会社の広報誌インタビューの仕事を断ったが、ギャラは1回500万だったとも。
マスコミとお金をつかって、「神話」は形成されていったということがいえる。
俳優の山本太郎さんは、先日の東京の高円寺や今日京都で行われた反原発アクションに参加している。原発に反対と言えば「仕事干される」「原発発言やリツイートはCHECKされ必ず仕事干される、お前がその事に触れられぬ事は皆判ってくれる。二週以上前から母は僕に釘をさし続けた。日雇い労働役者稼業明日から干されてどう生きてく?だからって黙ってテロ国家日本の片棒担げぬ。親不孝許せm(__)m日曜高円寺行くのも許してチョ」
と、芸能界事情をツイッターでつぶやいた。
これが現実なんだろう。
私たちは、テレビや新聞、ネットで伝えられていることに不安を持ちながらも、このような前提があることを踏まえて疑ってみないと、その神話にしがみつくことになりかねない。
通常のテレビニュースであれば、政治や社会の個別の問題は、賛成、反対の両論で議論されることもあるが、原発がからむ今回はそうなっていない。
ソフトバンクの孫社長が100億円を義援金として出すことは大きく報道されたけれど、「今まで原発推進の側にいたことを心から反省している」「命のリスクをさらしてまで原発はいらない。命、廃棄物処理を含めたトータルコストでも原発は合わない」などと発言し、連日ツイッター(100万人以上のフォロワー)で政府や東電の批判を繰り広げていることは、ほとんど取り上げられていない。
アメトークでは「家電芸人」のテーマは人気だけど、「節電芸人」のテーマはできそうでも、原発ネタに少しでもふれる内容はできない。東芝や三菱、日立も原発技術企業だから。
また、広告業界での電力会社、原発関連企業の意向は強い影響力がある。電力会社の広告費合計は880億円とも。
《ヒントになる映画》
遅ればせながら、ツイッターやブログで話題になってきた映画を遅ればせながら観た。
映画「ミツバチの羽音と地球の回転」
http://888earth.net/index.html
スウェーデンを舞台に、風力など再生可能なエネルギーへの転換をはかる自治体、風力などの電力を選んで購入できる市民の生活を探り、
一方、日本では原発建設計画をすすめる中国電力・政府と、山口県祝島の反対住民の実像を追う。
生活や説明という過程を無視して独占企業と政府が押しつける日本、過程と選択に市民がかかわることで生活を見直すスウェーデンの自治体、という構図が見えてくる。
エネルギー政策が選挙や住民投票(スウェーデンでは1980年に実施し、依存しない選択)などで問われないまま、電力も独占企業で選択させてもらえないなか、結果だけを受け入れてきた私たち。
便利という結果を優先され、選択したという意識もないまま、電力の3割を占めるまでになったのも結果。
《結果だけでなく過程への理解・かかわりこそ》
今回、電力の流れや作物の産地などに敏感にならざるを得なくなった結果が生んだ状況のなかで、これまでの生活とその実感に「過程」があまりにもないことを思い知らされた。
過程にはわずらさしさも同居するが、持続可能な社会にむけて必要なのは、過程であり、結果だけではないはず。
また、少なくない人たちの生きる実感、幸福感の浅さは、過程へのかかわりがない(見えない)こととイコールのような気がする。
事柄の目的や役割がはっきりしないままに流れですすむというスタイルからの見直し、意識づけが必要ではないだろうか。
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