東北の古里パワー
語調(リズム)、展開、表現、視点としての気づき。
すばらしいなぁといつも思う。
同じような表現が続かないことが絶妙のリズム感となり、また次の展開への期待感につながっているのかな。
***
しあわせのトンボ:東北の古里パワー=近藤勝重
(2011/5/27毎日新聞夕刊)
http://mainichi.jp/select/opinion/kondo/news/20110527dde012070016000c.html
去年の今ごろであったか、上越新幹線に乗ろうと東京駅のホームに立っていた時、同じホームで東北新幹線のアナウンスが流れた。
聞くともなく聞いていると、女性の声で「終点は盛岡です」と言っている。一瞬、心が呼びさまされるように反応して、「盛岡……」とつぶやいていた。ぼくは明らかにアナウンスされた「盛岡」に懐かしさと郷愁に似た思いにかられていたのだった。
断っておくが、盛岡へは行ったこともなければ、これというつながりもない。古里だって愛媛県の田舎町である。なのになぜ懐かしいと思ったのか。
ぼくはその時、「盛岡」に東北全体をふわっとイメージして、山あいや海沿いの町、あるいは土地それぞれの祭りなど、いかにも古里っぽい情景を思い浮かべていたはずである。どうしたって東北の地には「北へ帰る」という歌詞とともにある演歌や、帰郷をテーマにした映画のシーンが重なってくる。要は盛岡-東北-古里という連想であり、「盛岡」のアナウンスにふっと懐かしさを、ひいては郷愁を感受したのも、その連想を抜きには説明できない。
東北の持つ古里パワーは強烈だ。東海道新幹線のホームで停車駅を聞いても、心に特段の変化はない。しかし東北新幹線は別のようだ。「盛岡」と聞いて反応した通り、心にゆらぎを覚える。おそらくそれは東北が持つ古里パワーの成せるわざであろう。多くの日本人には東北にまつわる情報とともに、そのパワーに反応する下地ができているのではなかろうか。
今度の東日本大震災で、ぼくは特別な喪失感を覚えた。それもまた、東北はザ・古里、言ってみれば日本そのものの古里なんだという思いとかかわってのことだろう。
今、復興策が国会でも論議を呼んでいるが、先日開かれた「第1回毎日新聞・震災フォーラム」での松原隆一郎・東京大教授のこの発言には特にうなずけた。
「阪神大震災で一番嫌だったのは実家周辺の風景がなくなったことでした。一気に街が再建されて、住宅展示場みたいになった」
その上で松原氏は被災地に新しい街ができた時の喪失感を案じていた。
東北の地域力をどう高めるか。被災地が単に高台に広がる新興の住宅地となっては東北ではない。集落としての共同体を重んじない復興は、日本の古里の喪失にもつながることに関係者は心してほしい。(専門編集委員)
***
私としては昨年の今ごろ、山形に初めて行って、新幹線の駅のアナウンスで東北を感じた。
そして、喪失感。さらに、「復興」のあり方についても、まったくそうだと。
いま、地方都市に行くと、同じような街がふえたなぁとがっかりすることがある。
そこにしかないものをどれだけ大切にできるか。
ふるさとが私たちに問いかけている。
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