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2011.11.15

清武さんと野田さん、愛という名のもとに

せっかくの日本シリーズが、読売騒動で大きく報道されないことが腹立たしい。

特に、スポーツ新聞の一面は返してほしい。

また、TPPについて説明責任を果たさず、国民の理解が広がらないなかで決断してしまう野田首相に不信感が高まる。

この2つの現象のなかで、愛に注目したコラムがある。

***
◇香山リカのココロの万華鏡:愛という言葉にご用心 /東京
(2011/11/15毎日新聞東京版)
http://mainichi.jp/life/health/kokoro/news/20111115ddlk13070346000c.html

 1日のうちで「愛」という言葉を2度、聞いた。残念ながら、私が誰かに告白されたわけではない。テレビで記者会見を見ていて、のことである。

 まず最初は、巨人軍の清武英利球団代表の会見。同球団の渡辺恒雄会長が人事について不当な介入をした、と批判した会見は大きな波紋を呼んだが、その中で何度も「愛」という単語を口にした。「私は、巨人軍、野球、ファンを愛しています」

 次は、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)の交渉への参加を表明した野田佳彦首相の記者会見。首相は「私は心から日本を愛しています」と言い、母親の実家である農家ですごした幼い日々が自分の原風景であることを明かした。

 なぜこのふたりのリーダーは、「愛」という言葉を口にしたのか。それは、それぞれの会見での主張が決して私利私欲に基づくものではなく、あくまで「愛」ゆえの純粋なものなのだと強調したかったのであろう。

 ただ、「愛」と言われればそれだけで信用できるか、と言うと、そんなことがあるはずはない。高校の倫理の教科書にもあるように、「愛」には見返りを求めない博愛である「アガペー」と、男女の恋愛など相手があっての愛である「エロス」がある。後者であれば当然、自分も相手から愛されたい、と見返りを求めることになる。そして、しばしば人は打算ずくであるにもかかわらず、「愛してるよ」といった言葉で相手を丸めこみ、利用しようとすることもある。診察室にも、誰かの語る「愛」に裏切られ、傷ついた人がしばしば訪れる。

 さて、巨人軍の球団代表や野田首相が語る「愛」は、どちらだったのだろうか。もちろん彼らは「それは無償の愛、博愛だよ」と言うことだろう。しかし、私たちはそれほど単純にそれを信じられない。逆に、「そんなこと言ってもだまされないよ。ホントは何かウラがあるんでしょ」と思ってしまった人もいるのではないか。

 それにしても社会のリーダーがこうやって気軽に「愛」を口にする習慣は、日本の文化にはこれまでなかったはずだ。「オジサンも素直に『愛』を語るのは、おおいにけっこう」と言う人もいるだろうが、なんだか違和感も覚える。こういう人たちが、ふだんの生活で妻や子などに「愛してる」と言っているとはとても思えず、どことなくとってつけたような感じがするのだ。

 「愛」という言葉にご用心。ふたつの記者会見から伝わってきたのは、そんなことだった。この「愛」という言葉が出てきたら、ちょっと注意が必要だ。
***

私には、清武さんも、野田さんも、ほかに方法も言葉もなかったのかよと思えてしまう。

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