朝のいいところ
私が子どもだったころ、
日本各地の朝の様子が次々にリレーされ、
その勢いが一定おちつくと、詩が読まれた。
「ズームイン!朝」の流れ。
どうして、あの詩のコーナーはつまらないんだろうとも思った。
そして、いつの日か、その詩は読まれなくなった。
今思えば、朝から静けさがまた一つ、なくなったということなのかもしれない。
***
しあわせのトンボ:朝は一行の詩=近藤勝重
(2011/11/18毎日新聞東京夕刊)
http://mainichi.jp/select/opinion/kondo/news/20111118dde012070037000c.html
朝はいつも違った顔をして現れる。
空の端がまだ白い時刻に目を覚ますと、窓がしだいに赤みを帯びてくる。そんな日は朝焼けである。海沿いに住んでいるので、海の青と画するように赤紫色が帯状に長くたなびいている。日が昇るまでの風趣である。
この季節は、霧が立ち込めて東天を淡く染める暁もあれば、露が下り、草や木の葉が朝日に光る暁もある。朝のよさは季節を問わないものの、窓を開けた途端、流れ込んでくるひんやりとした空気とともに目覚めるのは、秋の朝ならではの心地よさだ。
谷川俊太郎氏の詩「朝の光」にこんな言葉がある。
繰り返すものはどうしていつまでも新しいのだろう/朝の光もあなたの微笑みも/いま聞こえているヘンデルも……/一度きりのものはあっという間に古びてしまうのに
そうだなあ、と感じ入り、朝のいいところは、と自問して次の三つが思い浮かんだ。
光
空気
静けさ
どれも説明を要すまいが、静けさということでは、つい先日、こんな体験をした。
早朝、玄関先でカタッと音がした。朝刊が玄関ドアの郵便受けに差し込まれた音である。すでに目覚めていたのだが、その物音を耳にして、それまで以上に静けさが感じられた。
言うまでもなく静けさとは物音一つなく、しんと静まり返ったさまである。それなのに物音がして、さらに静けさが感じられるというのは……とちょっと奇異な気持ちが絡んだが、物事というのはそういうものだ、とすぐに納得する自分がいた。要は相反するものや別の側面から照合されることによって、そのものの本質がより鮮明に浮かび上がるということだろう。
光の中に光はない。闇の中に光はある。静けさの中に静けさはない。物音の中に静けさはある……。つぶやきながら起き上がり、新聞を取りに行った。
やはり谷川氏の「朝」と題した詩は、こんな言葉で終わっている。
インクの匂う新聞の見出しに/変らぬ人間のむごさを読みとるとしても/朝はいま一行の詩
手にした朝刊の見出しにはむごさだけでなく、切なさも、やるせなさも漂っていたが、その日の朝も新しい一行の詩があった。(専門編集委員)
***
朝のいいところ。
昼のいいところ。
夜のいいところ。
今日のいいところ。
何がなかったか、よりも、
いいところを探してみるのも、悪くないよね。
« 福島の記者が伝える、伝わる、大事なことは | トップページ | 鬼ごっこの異変 »
「社会」カテゴリの記事
- 「たつ年」あけましておめでとうございます(2024.01.01)
- ハラスメント防止にむけて 講義を踏まえて認定試験を受けました(2022.12.24)
- 赤、青、黄、緑、桃、ジェンダーという壁を振り返ってみる(2022.06.04)
- 11人の教師が関与し53件のパワハラが認定された北海道立高等看護学院の闇を追ったテレメンタリー「やっぱり、看護師になりたかった...」(2022.05.22)
- 就職したばかりだけど、職場がおかしいので退職したいという人へ(2022.04.16)
コメント