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2011.11.12

鳥のさえずり 想像して音楽を考える

音を楽しむ音楽。

楽だなぁと思える音は、複雑ではなく、

そばに、自然にあるものなんでしょうね。

***
◇しあわせのトンボ:自然が奏でる音楽=近藤勝重
(2011/11/11毎日新聞東京夕刊)
http://mainichi.jp/select/opinion/kondo/news/20111111dde012070013000c.html

 学生時代にビートルズが全盛期だったせいで、ロックもよく聴く。といってクイーンならクイーン・サウンドが両の耳から流れ込むのにまかせているといった楽しみ方で、英語の歌詞は大ざっぱにしか理解していない。

 しかしそれで十分心地いい。感動もある。むしろ歌詞の意味は?などと頭を働かせないほうが心がみたされる。

 もちろん心というのは頭脳の働きによるものだ。しかし耳の鼓膜を震わせて入ってくる音波は、ストレートに心臓のあたりに触れてきて、身体を共振させずにはおかない。言葉の意味を理解しようと頭が働く読書などに比べ、音楽の強みは言葉以前の世界にあるように思える。

 赤ちゃんは意味を成さない音声を発する。そのうち「ブーブ」とか「ワンワン」とか音声のコミュニケーションを身につけて片言を言いだし、ちゃんと意味がわかった上で言葉を口にするのは、その後のことである。

 音声のコミュニケーションというと、鳥の鳴き声もそうだ。鳥たちはさえずり合って、互いの意思を伝えている。この習性を通して、人の言葉の起源を探っている生物心理学者がいるが、確かに鳥のさえずりと人間の言語の関係は興味深いテーマだ。

 週末、いい空気が吸いたくて、山里をよく歩く。夏のある日、群馬県の利根川沿いを歩いていると、前方の小高い山のてっぺんに赤松が一本すっくと立っているのが見えた。枝ぶりもよく抜きんでる高さなので、その一本松だけでも目を見張る眺めなのに、赤松の枝の先にトンビが一羽とまって「ピーヒョロ、ピーヒョロ」と鳴いている。

 ぼくは目を閉じ、耳を澄ました。すると、気にとめていなかった川の流れや木の葉を揺らす風の音も耳に入ってきた。そのうち緑の茂みの小鳥や川面を飛び交うセキレイの鳴き声も「ピーヒョロ、ピーヒョロ」に和して、さながら自然の音楽に聴き入る気分になった。

 かつて人間はほかの生き物と一緒に森の奥に住んでいた。当然そこには音の風景が広がっていたわけで、自然の奏でる音は人間に音楽のそもそもを与えたはずである。

 そんなあれこれを想像して思うのは、もともと人間にとっては言葉より音を組み合わせて感情を表現する音楽のほうが根源的なのではないかということだ。

 山里を訪ね歩くようになって、それは確信に近い。(専門編集委員)


今日明日と、大阪、京都。

鳥のさえずりはないとしても、「音」を気にかけて過ごしてみたい。

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コメント

子どもたちと散歩先の神社や山登りしてるとき原でかくれんぼはなんだか癒しの時間に。
あの何とも言えない静けさにの中にある音は聞いているというより、感じている音、空気があるのよね。

音楽は言葉が生まれる前からあったというし、
音(楽)なく、生活はなく…。
元気な時にも、気持ちが落ちている時にも、音楽に動かされていくしね。

音って、不快なものもあるけれど、なければさみしいし、大切なものですね。

今日は買い物帰りに路上ライブに足をとめたり。

歌が響いて、目を耳を向け、音に励まされてきました。

音が聞こえるような、声がするような、そんな文を書いていけたらいいなとも。近藤勝重さんみたく。

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