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2011年12月の記事

2011.12.31

特別な1年 最後に伝えたいこと

12月30日に、宮城県の全避難所が解消され、気仙沼の最後の2世帯が退去したというニュース、知らない人の方が多いはず。

これからやっと、という状況。まだまだという状況。

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◇宮城の全避難所解消 気仙沼、最後の2世帯が退去
(2011/12/31河北新報)
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/12/20111231t15011.htm

 東日本大震災の2次避難所になっていた宮城県気仙沼市の気仙沼ホテル観洋で30日、2世帯9人が退去し、市内の仮設住宅に移った。これで宮城県内の全ての避難所が閉鎖された。
 最後の避難者となった同市の主婦小山あけみさん(49)はこの日、午前中から部屋の掃除に追われた。「次のお客さまのためにきれいにしなくちゃね」。ぞうきんで窓ガラスの汚れを拭い、冷蔵庫の霜取りもした。
 9カ月半に上る避難生活は「出口の見えないトンネルを歩いているようだった」と振り返る。今月上旬にようやく市内の仮設住宅への入居が決まり、少しずつ引っ越しの準備を進めていた。
 「家族のように親身に接してくれたホテルの従業員には感謝の言葉が見当たらない」。フロントの従業員から正月用の花を渡され、午後5時40分ごろホテルを後にした。
 2次避難所を担当した市観光課の加藤正禎課長は「長い間不自由な生活をさせて申し訳なかった。いい新年を迎えてほしい」と話した。
 宮城県内では震災直後、全35市町村に計1183カ所の避難所が設けられ、約32万人が身を寄せた。仮設住宅などの完成で次第に解消され、今月22日には気仙沼市に唯一残っていた1次避難所が閉鎖された。

***

現在でも、宮城以外も含め、仮設住宅などに避難・転居している人は、33万人にのぼるといいます。

急増とも言えるこの数に驚いたのは、私もです。実際に発表された数が急増したのです。

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◇支局長からの手紙:あの日に帰るには /兵庫
(2011/12/28毎日新聞兵庫版)
http://mainichi.jp/area/hyogo/news/20111228ddlk28070327000c.html

 東日本大震災から8カ月たった先月中旬、政府は突然、避難者の数をそれまでの7万人から33万人へと大幅に修正しました。肝心の被災地である岩手、宮城、福島3県の公営・仮設住宅に入った人数の把握が遅れたという信じがたい理由です。

 各地に避難せざるをえない被災者をどう支えていくべきかをテーマにしたシンポジウムが今月、近畿弁護士会連合会の主催で開かれました。基調講演をした兵庫県弁護士会の津久井進さんは、この避難者数の訂正に「だれも正しく把握できていなかったということは、被災者がどこで何をしているのかがわからないということ。これでは漂流生活を余儀なくされてしまう」と声をふるわせました。

 県外避難者の存在が忘れられた阪神大震災を教訓に、国は、避難先の市町村を通じて避難者の情報をつかむ制度を導入しました。でも、これではとてもシステムとは言えません。震災復興の司令塔となる復興庁が来年2月をめどに発足します。避難者を支援する人たちが、県外避難者の生活再建の政策を専門にした部局の設置を求めるのももっともです。

 シンポジウムで発言した宮城県女川町の男性は、津波で家を流され、高校の体育館で100日間過ごしました。家族が闘病中のため通院できるところを探すしかなく、妻の実家のある大阪へ。市営住宅に住み、派遣業務で社会福祉協議会に勤めることができたものの、いずれも来年3月に期限が切れます。住と職の保証はそれまで。住宅ローンも残っており、「乗り越えないといけない気持ちはあるが、先の見通しがたたない不安を何とかしてほしい」と。

 緊急避難した公営住宅の入居や臨時雇用の期限を来春迎える人が各地に大勢います。それでも、家に戻ろうにも戻れないのが被災地の現状です。長期的視野に立った県外避難者を支える施策が急務なのは言うまでもありません。

 関西の学者や弁護士らによる研究会が昨年1月に公表した災害復興基本法の試案は、「復興の主体は被災者」と明記しています。津久井さんも作成にたずさわりました。100年後を目指した都市の復興より、今そこにいる被災者の救済を優先すべきという理念が条文にあります。

 さかのぼること88年前の関東大震災。内務大臣の後藤新平は、理想的な帝都建設の絶好の機会として復興計画をつくります。これに対し、大正デモクラシーの旗手として著名な経済学者、福田徳三は「復興事業の第一は、人間の復興でなければならぬ。道路や建物は、営生(生活・営業、労働)の機会を維持し、擁護する道具立てに過ぎない」と主張しました。人間復興がこれまでの災害で得た最大の教訓でないかというのが、弁護士として災害復興支援にあたる津久井さんの強い思いなのです。

 避難者が希望と夢を持つことのできる社会的な仕組み、つながりをどのように築いていくか。年があらたまっても忘れずにいたいことは、すべての被災者の心の中にある「あの日に帰りたい」という原点でしょう。【神戸支局長・二木一夫】

***

被災地宮城の地元紙・河北新報が今年最後の紙面に大きく載せた記事、その保育士の人形劇の様子が、特別な1年の象徴のように感じます。

特別な1年 感謝伝えたい 寄り添いたい 宮城
(2011/12/31河北新報)
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/12/20111231t15021.htm

被災者ではありませんが、私にとっても特別な1年でした。

このブログを見てくださったみなさんにあらためて感謝しています。

みなさんにとって、そして私にとっても来年がよりよい年になりますように。

3.11後に感じたこと

年明けから「絆」の意味を考え、そして震災。

幸せって、ゆたかさって何だろうと思い続けた1年。

無力感にさいなまれた春、便利さと人との絆を考えさせられた夏、

忘れないということと初心をかみしめた秋、そして生きるということを振り返った年の瀬。

チャレンジしようと思ったことがなかなかできなくて何度も挫折して。

目標なんて、何度もなくなって。

人に伝えたいことが伝わらなくて、何度も悩んで。

それが生きるということなんだなぁと、やっと。

完璧なんて形はなくて、すべてにいい人なんていなくて、

迷い、惑い、後ろに下がったり、前に進んだり、少しずつ変わっていく中で。

感じたことを言葉にすることが大切なんだと。

そんな私が子どもの頃、小さかった頃、大人の歌と感じたのは、「ルビーの指環」と「もしもピアノが弾けたなら」。

その「もしも・・・」の西田敏行さん、福島出身。

今日の紅白で「この街に生まれて」を歌います。

その1週前のインタビュー、考えさせられます。

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◇3.11後に感じたこと/西田敏行さん
(2011/12/25asahi.com マイタウン福島)
http://mytown.asahi.com/fukushima/news.php?k_id=07000741112240001
●子供たちの顔見て「負けてないな」

 まもなく新しい年を迎える。郡山市に生まれ、中学生まで過ごした俳優西田敏行さん(64)に、今、何を感じているのか、福島への思いを聞いた。
    ◇
 地震の時は大阪に向かう新幹線の中にいた。

 「新横浜駅を午後2時29分に出て、熱海の手前あたりのトンネルで止まった。3時間か4時間ほど遅れて大阪に着いて、東北で被害が出ていると。翌日、東京の自宅に戻って福島の友人に電話をしたんですが、一切通じない。ラジオを聞いていると、原発がちょっとおかしくなっていると。水素爆発が起きて、これはただごとじゃない、あぁ、えらいことになったなと」

 4月1日に風評被害対策として、郡山市のスーパーで県産品のPRをした。

 「みんなこう……やられたって顔で。線量は問題ないんだけど、イヤだと思う人は買わないだろう、どっかにそういう思いがあったと思います。生産者の方たちも、子供たちを守る、放射線に対する恐怖、いろんなものがあるじゃないですか。無理強いして買ってもらいたいという思いにはなかなかならない、微妙な心理のあやを感じましたね」

 個人的に、南相馬市にも行った。

 「この目で被災状況を見たいと思って、震災から1カ月くらい後でしたか。ともかく、自衛隊か何かの車が行き来している、戒厳令下にあるような。時々、がれきのところで手を合わせている、『家族の方かなぁ』っていうような感じで。津波によって、根こそぎ生活を海底に引っ張っていってしまうような負のエネルギーを、寒気が走るほど感じましたね」

 母校の郡山市立小原田中学校の創立50周年記念式典に参加。「豊かな福島を取り戻すため、大人になって県政や経済、文化で活躍してほしい」と語りかけた。

 「みんな熱狂的に迎えてくれました。子供たちの顔を見て、そういう言葉が口をついて出てきました。僕を笑顔で迎えてくれたっていうことに特に感動して、『あ、負けてないな。君たちは負けてないな』って」

 夏には、双葉町民が避難している旧埼玉県立騎西高校に出向き、Tシャツを差し入れ。ラーメンを800食ふるまった。

 「みなさん、着の身着のままで来られたと聞いてましたし、夏は汗をかくだろうと。ラーメンをすすってると大体みんな幸せそうな顔になるんですよね。ラーメンの効力っていうか。そういう気持ちになってもらおうかなって」

 ●幸せって何 考える時期に来てる

 朝日新聞のインタビューで4月、「怒りの声を張り上げたい」と話した。

 「ええ、怒りを覚えました。僕は原子力エネルギーというのは人間がコントロールできるものではないとずっと思っていた人間ですから。経済発展のために欠かせないエネルギーということで国策でどんどん進められて、推進してきた人たちは日本の原発は事故は起きないと豪語していたわけですから。その言葉を信じて、というかどっかで折り合いを付けて福島に立地されたわけですよね。そういう部分で葛藤みたいなものは福島県民の中に多くあって。原発で働きながら暮らしてきた人たちにとっては、なんだろうな、被災者でありながらどっかで加害者であるみたいな気持ちを持っているような気がするんですよね。そういうところに追い込んでしまうこと自体、原発は人々を平和にっていうか、幸せにしないなぁって思いますねぇ」

 新たな価値観が生まれることを期待している。

 「大切なもの、幸せって何だろうってことを本質的に考え始めている時期に来ているのかな。『経済』が人の暮らしの最も重要なキーになるのか考え直したらどうなんだろう。便利さを求めいろんなものを求め、人間はどんどん飽くなき欲望の中に行くわけですけれど、もう歩かなくてもいいんじゃないか。どこに向かって歩いてんのか見えなくなるくらいみんな先を急ぐんだけど、その先って何なんだろうって思い始めて。21世紀はその先を考える世紀だと思います」

 福島のニュースはいつも気になっているという。

 「この間も、コメの線量が基準値を超えたって。東京電力福島第一原発って必ずトップ項目に入ってきますから。でも、トップ項目にないと困るなっていうのもどっかにありますね、収束していない以上は。『あれ? 原発はもう収まったんだっけ?』みたいな会話はさせたくない」

 ●ふるさと--親を思う心境かな

 福島で情操を育ててもらったと発言している。

 「田舎で育ったことのプライドというか誇りというか、福島からいろんなものを育んでもらった。僕らは阿武隈川で泳いでいましたから。上流で牛を洗っているオヤジがいて、その牛が気持ちいいのか、放尿するわけです。そうするとビールの泡みたいなものができる。それが下流に向かって流れてくるんだ。見張り役が『牛のションベンこっち来まーす』って。みんないったん川から上がって、泡をやり過ごしてまた泳ぐ、みたいなね。いいなあ。子どもたちの歓声とか、嬌声(きょうせい)が。生き生きしているというか喜々としているというか、子供がちゃんと子供の声を上げている場所だったような気がするんですね」

 「街にはおやじが連れて行ってくれる映画館があって、子供の映画も、R指定が付きそうな映画も見ることができた。猥雑(わいざつ)な、でもシンプルな文化を吸収している自分がいて。そういったものが交錯して、俳優西田敏行の原型をつくったんじゃないかな」

 仕事に区切りが付いた時や、気分転換をしたい時には福島に帰ってくる。

 「磐梯山や安達太良山を見ると、なんか元気になるんですよね。小学校、中学校の友人がいて、『会社休んできた』とか言って集まってくれる。こっちの都合で行っているのにね。もうそれで十分ですよね、ふるさととしてのありようは」

 震災後、ふるさと福島への思いはますます強くなっているという。

 「母親とか父親に思いを寄せることに似ていると思うんですね。親が憎いとか近親憎悪的な思いを持つ人もいるだろうし、親孝行しなければいけないなという思いを持つ人もいるだろうし。でもやっぱり、母親あるいは父親が病気で倒れたら、何とかがんばって元気を出して回復してほしいという子供の心境かな。そういう思いの中にいます」
(木村俊介)

2011.12.30

一番売れているラーメンが一番おいしいとは限らないし、売れている歌がいい歌とは限らない 

CD売り上げの年間チャート100http://www.oricon.co.jp/rank/js/y/2011/を見ましたが、

今年はヒット曲がなかったんだと実感。

AKBはファン層が限定的すぎますし。

逆に言えば、それほど売れていなくても、いい歌、心にしみた歌があったということではないでしょうか。

誰の言葉か忘れましたが、一番売れているラーメンが一番おいしいラーメンとは限らない。

一番売れているラーメン、カップヌードルが本当に一番おいしいのか。

そんな見方があり、その通りだと。

さて、紅白歌合戦には出場しませんが、熊谷育美さんの「雲の遥か」、反響が広がっています。

今年7月初旬に、東京・三多摩地域で仙台七夕まつりにむけたイベントコーナーを通って、仙台に行きたくなり、

8月にホテルが奇跡的に見つかって、仙台に行くと、熊谷育美さんの出るライブが偶然あって。

生歌を聴くことができました。

年末のスポーツ紙でも大きく話題に。

***

◇気仙沼から希望の歌を…被災シンガー熊谷育美 合唱曲で人気上昇中
(2011/12/28スポーツニッポン)
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/12/28/kiji/K20111228002327330.html
 宮城県気仙沼市在住のシンガー・ソングライター熊谷育美(26)の楽曲が合唱歌として注目を浴びている。

 地元の未来を前向きな視点で歌った「僕らの声」「雲の遥か」の2曲で、全国の小中高校や看護学校などで披露した際に生徒たちから「みんなで歌いたい」との声が殺到。申し込みがあった学校の合唱部など約200団体へ楽譜を提供した。

 自身も東日本大震災で被災し、惨状を目の当たりにした。その悲しみを乗り越え、4月から全国の学校などで継続的に行っているライブがきっかけ。関係者によると、メッセージ性の強い楽曲を実際に聴いた生徒たちから「みんなで歌いたい」という要望が高まったため、11月から公式サイトで楽譜の配布を始めたという。

 震災から5カ月たって作った「僕らの声」は♪どうか忘れないで僕らはここにいる 歩いて行こう 足跡つけて ここから明日へ――というシンプルな歌詞。10月に発売されたアルバム「その先の青へ」に収録されており「明日への未来を担う子供たちと一緒に歌いたい」という思いが込められている。

 そうした気持ちが若い世代の心に響いていることについて、熊谷は「気持ちを合わせて歌うことで、未来への勇気と希望を分かち合って生きていくという強い意志が、私には伝わってくる」と喜んでいる。
***

故郷で聴きたい歌。

公式PVです。

【YouTube】公式PV 雲の遥か 熊谷育美
http://youtu.be/suri4Y9XgPY

大揺れ日本郵便で年賀状遅配の危機?!

遅ればせながら、年賀状を29日に投函。

私としてはなかなかの出来栄えで。

仕事でもさまざまな文章を、ブログでも今年は300くらいの記事を書いてきたけれど、年賀状は数少ないヒットな手ごたえで。

感じ方は人それぞれですが、自分が納得できるものを、来年こそは多く発信していきたいです。

自分の言葉で、しっかり届くように。

しっかり届くようにするには、受け取る人と届けてくれる人が必要です。

届けてくれる人。

日本郵便のリストラによって、年賀状の遅配の危機が指摘されています。

パソコン環境で3ページの長めのレポートですが。

新聞配達、年賀状プリント工場作業など、学生時代は年末年始も働くことの多かった私。

多くの人は仕事休みですが、この時期に頑張るみなさんに感謝して。

総務省と労基署が2拠点に立ち入り調査
大揺れ日本郵便で年賀状遅配の危機
(週刊ダイヤモンド2011/12/28)
http://diamond.jp/articles/-/15555

2011.12.29

結構あるよ、ボランティアツアー

首都圏や山梨、長野、大阪、兵庫から東北へのボランティアツアー、思ったよりあるんですね。

宮城の山元町や仙台、石巻、気仙沼、塩竃、南三陸、岩手の陸前高田などへ。

ボランティアツアー
3.11復興支援情報サイト「助けあいジャパン」
(東日本大震災復興対策本部 連携プロジェクト)
http://tasukeaijapan.jp/?page_id=3813

サイトをぜひ見てみてください。

四畳半 下請け工場の日々

4畳半ほどの町工場。

トヨタ城下町。

映し出される社会の構図。

翻弄されながらも、笑って笑って働く人がいる。

名古屋の地方局(中部日本放送)がこの4畳半とその人にスポットをあてたドキュメンタリーを制作した。

主人公は、私の間接的な知り合い。

その番組は、国際映像祭で日本の民放初の最優秀賞に輝いた。

今年夏には、その地方局のゴールデンタイムで再放送された。

そして、この12月からは未公開シーンも含めて再編成され、なんと劇場公開が名古屋からスタート。

年明け1月2日の午前6時から50分の枠で、関西圏(大阪、兵庫、京都、和歌山、奈良、滋賀)の毎日放送で再放送されることになった。

その番組は、

テレビドキュメンタリー「笑ってさよなら~四畳半 下請け工場の日々~」 
http://hicbc.com/special/waratte_sayonara/index.htm

劇場版「笑ってさよなら~四畳半 下請け工場の日々~」
http://waratte-sayonara.jp/index.htm

ご注目ください。

2011.12.28

100の川柳で振り返る2011年

今日で仕事納め。

下記の6400から選ばれた川柳100がすばらしい。

私も力入れて記事を書いていきましょうかね。

以下、PC環境の方ぜひ。

特集ワイド:選者・仲畑貴志さんと選ぶ「万能川柳2011年」
(2011/12/28毎日新聞夕刊)
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20111228dde012040009000c.html

2011.12.25

まもなく放送 チェルノブイリ 再生の歴史

司会は国分太一さん。

ETV 12月25日(日)  25時15分~26時46分

まるごと紹介!日本賞 受賞作品 ▽チェルノブイリ 再生の歴史 

教育コンテンツの国際コンクール「日本賞」の受賞作品を紹介する。チェルノブイリの原発事故から25年、周囲の生態系への影響を検証するフランスのドキュメンタリー番組。

教育コンテンツの国際コンクール「日本賞」の受賞作品を3夜連続でノーカット放送する。2夜目は、生涯教育カテゴリーで最優秀作品に選ばれた「チェルノブイリ 再生の歴史」(カメラ ルシーダ プロダクション/フランス)。原発事故から25年。チェルノブイリ周辺は、悲劇の結果ではあるものの、予期せず手に入れた重要な野外実験場となっている。現地で調査を行う専門家の長年の研究結果をもとに、放射能汚染の脅威を描く。

司会 国分太一

ヤンマーのCMから流れてくる追い風

この年末から、馬場俊英さんの「いつか君に追い風が」が、ヤンマーのCM曲として流れるという。

社会が、時代が、人々が、厳しい風をうけるなか、3年前にリリースされたこの歌がクローズアップされた。

【公式PV】「いつか君に追い風が」
http://www.youtube.com/watch?v=UDj8c68Dxtk

発売にあわせて3年前の秋に朝日新聞に掲載されたメッセージがまた今に響く。

馬場俊英からの手紙(2008年9月~朝日新聞掲載)
第一章「無風」
http://www.babatoshihide.com/newsong/images/letter12.jpg
第二章「向かい風」
http://www.babatoshihide.com/newsong/images/letter22.jpg
最終回「追い風」
http://www.babatoshihide.com/newsong/images/letter32.jpg

馬場俊英オフィシャルサイト
http://www.babatoshihide.com/

2011.12.24

被災地に現地の商店を通じて届ける支援

年末年始、被災地でボランティアや観光をと思った。

でも、当然だけれど、その時期はボランティアの受け入れ枠自体が少なく、

また、観光にしたって、私は盛岡や平泉、仙台にはすでに行ってきた。

クリスマスを前に考えたのは、

いま、私ができること。

復興市場
http://fukkoichiba.com/

というサイトを、以前に知人から教えてもらった。

被災地・被災者が必要だとしている物を、

支援したいという人が、地元の商店などから購入でき、贈ることができるというもの。

しかも、そのやりとりが確認できる。

何を贈ろうか、考えている。

多額なお金と時間をかけてボランティアに行くことは、多くの人にできる継続的な支援ではない。

私もクリックしてできること。

実際に届くまでには数日かかるので、サンタクロースにはなれないけれど。

被災地や避難先の子どもたちへ北斗星の贈り物

***
 20年ほど前の今ごろだった。夜に郵便局員が、わが家を訪ねてきた。「お宅に○○ちゃんという子どもさんはいますか」「ええ、何か」

▼郵便局員は小さな封筒を差し出した。宛先には「サンタクロースさんへ」としかなかった。裏に平仮名で娘の名前。郵便物の仕分け中に見つけたという。投函されたと思われるポストの場所と名前から、わが家を探し当ててくれたのだった

▼当時、幼稚園に通う娘の欲しい物が分からず困っていた。知らないうちにサンタに手紙を書き、投函していたとは。「プレゼントの参考にしてください」と郵便局員。開封すると、中の紙片には欲しいおもちゃが記されていた

▼娘だけでなく親にとっても、郵便局員は一足早くやってきたサンタだった。“サンタは本当にいる”と教えてくれる有名な話がアメリカにある。「サンタクロースはいるんでしょうか?」と新聞社に手紙を出した8歳の女の子の話だ

▼「この世の中に、愛や、人への思いやりや、真心があるのと同じように、サンタクロースも確かにいるのです」。新聞社は社説でこう答えた。目には見えなくても本当にあるもの。大震災を経験した今年、そこに「絆」も加えたい

▼クリスマス商戦はこの土、日がピークとか。おもちゃ売り場はにぎわうだろう。しかし大震災はそこにも影を落とす。仮設住宅や避難先でクリスマスを迎える子どもたちも多いはず。胸が痛む。そんな子どもたちみんなにも等しくサンタが訪れるよう心から願う。
***

2011/12/17秋田魁新聞コラム「北斗星」より

東北のなかでも、震災の被害がほぼなかった秋田の地元紙のコラムからの贈り物。

プレゼントが毎年あったのに、今年はこないとなると、正体もばれてしまうもの。

仮設住宅や避難先の子どもたち、また被災していなくても所得の低い家庭の子どもたちのことを想いたい。

最近は「貧困」が新聞記事になりにくいとも聞く。

あと1週間。

私たちが岐路に立った年もいよいよ幕を閉じて、明るい年へ必ず。

市民減税の財源をつくるために保育園の牛乳補助を削るという話が浮上

名古屋の河村市長の言う減税は、所得が低い人たちにそのメリットは薄い。

夫婦と子ども2人世帯で年収500万円なら年に5800円、1千万円なら1万7500円という減税にどれだけの実感と効果が生まれるのだろうか。

さらに、その財源として、3歳以上の保育園の給食費補助の縮減もあがっているという。

なんだこりゃ?! 

財政難なのではなく、減税をするために、市長が保育園児の牛乳補助を削ろうとするなかで迎えるクリスマスという構図が私にはまったく理解できない。

***
財源は全額行革で 名古屋市5%減税可決(2011/12/23中日新聞)
http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20111223/CK2011122302000108.html

 2012年度からの実施が決まった5%減税の財源は全額が行革で賄われる。市民サービス低下の懸念は無いのか。

 市財政当局によると、12年度に行革で生み出す恒久財源は124億円。10%減税を前提に計画されたが、減税率が半減しても変わりなく実施される。

 行革の具体的な中身は各部局で検討中だが、今のところ「民間保育所への給食費補給金」(9500万円)や「スポーツ施設9カ所での利用料金制度の導入」(9億7000万円)などの見直しが俎上(そじょう)に上がっている。

 行革はあくまでも「市民サービスに大きな影響を与えないことが前提」(財政課)。市の内部事務の効率化などを優先し、市民サービスに関わる施策を廃止、縮小する場合は代替措置を設けるか、個別の負担を最小限に抑えるのが原則だ。

 10%減税が単年度で実施された10年度と、11年度に積み上げた行革財源の内訳をみると、計196億円のうち、情報システムなど内部事務の見直しが57億円。その他、退職者分を補充しない職員削減で36億円、職員手当の削減20億円など市民サービスとは直接関係のない分野が8割を占める。

 一方、市施設の民間委託や廃止を含む施策の見直しは39億円。公園や街路樹の維持管理など市民の暮らしに密着した事業も対象に含まれた。

 減税に懐疑的な声が多かった反市長会派からは「河村行革で、近所の公園が草ぼうぼうという苦情を聞く。減税ありきで効果を検証せずに削減すればいいという行革では、市民サービスは低下するばかり。減税のため、市民の暮らしが悪化しないようきちんとした検証が必要だ」(自民市議)との意見が出ている。 (酒井和人)

2011.12.23

市長候補が興味深い新市長のあいさつを取り上げた

私もこのあいさつに期待を寄せる一人。

ぜひ、お読みください。

「興味深い新市長のあいさつ」
(京都市長選予定候補 中村和雄ブログ)
http://neo-city.jp/blog/2011/12/post-87.html

ソウル市長のあいさつ、公約など、全文(日本語)はこちらを↓
http://japanese.seoul.go.kr/popup/main_popup6.php

年末年始のETVの予定に驚かされる

ETV(教育テレビ)の年末年始の再放送予定をご覧になった方はほとんどいないと思う。

ぜひ、下記のラインナップをみてみてください。

ETV特集 年末年始 震災、原発関連セレクション
http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2011/2011sp.html

2011年12月28日(水) 午前1時5分~
“医療崩壊”地帯を大地震が襲った

2011年12月28日(水) 午前2時5分~
失われた3万冊のカルテ~陸前高田市・ゼロからの医療再生~

2011年12月29日(木) 午前1時5分~
福祉の真価が問われている
~障害者 震災1か月の記録~

2011年12月29日(木) 午前2時5分~
今こそ、力を束ねるとき ~神戸発・災害ボランティアの記録~


2011年12月30日(金) 午前1時5分~
原発災害の地にて


2011年12月30日(金) 午前2時5分~
ネットワークでつくる放射能汚染地図
~福島原発事故から2か月~


2011年12月30日(金) 午前3時35分~
続報 ネットワークでつくる放射能汚染地図


2011年12月31日(土) 午前1時45分
ネットワークでつくる放射能汚染地図 3
子どもたちを被ばくから守るために


2011年12月31日(土) 午前3時15分~
ネットワークでつくる放射能汚染地図4
海のホットスポットを追う


2012年1月1日(日) 午前0時20分~
シリーズ 原発事故への道程
前編 置き去りにされた慎重論


2012年1月1日(日) 午前1時50分~
シリーズ 原発事故への道程 
後編 そして“安全神話”は生まれた


2012年1月2日(月)  午前2時~
暗黒のかなたの光明
~文明学者 梅棹忠夫がみた未来~


2012年1月3日(火)  午前1時~
希望をフクシマの地から
~プロジェクトFUKUSHIMA!の挑戦


2012年1月3日(火)  午前2時30分~
原発事故に立ち向かうコメ農家


2012年1月3日(火)  午前3時30分~
果てしなき除染 ~南相馬市からの報告~


2012年1月4日(水)  午前1時~
シリーズ大震災発掘 第1回 埋もれた警告


2012年1月4日(水) 午前2時30分~
シリーズ大震災発掘 第2回 巨大津波 新たなる脅威

「聖なる夜と放射線 この子の未来を祈る」

丁寧な構成で定評のあるドキュメンタリー番組NNNドキュメント。

2011年の最後の放送は注目の内容。

また、2012年の1月初旬には異例の再放送が早朝に4回続く。

テレビを中心に、震災関連の報道が大きく減っているなかで、問われているのは何か。

考えあいたい。

***
日本テレビ系 NNNドキュメント「聖なる夜と放射線 この子の未来を祈る」http://www.ntv.co.jp/document/

2011年12月25日(日) 25時50分~26時45分

3・11大震災 シリーズ 25

見どころ

原発事故が家族の日常を奪った。降り注いだ放射性物質の不安と恐怖に、家族が揺れている。福島市・渡利地区。家のリビングに柵を設け、1歳半の娘がその柵から出ないように子育てしている家族がいる。そこが家の中で最も線量が低いからだ。親兄弟など、身を寄せて避難できる場所はない。仕事を辞めたら食べてはいけない。自主避難者も多い中、避難したくても出来ない現実に揺れている。一方、小学校6年生の一人娘を、ひとり遠く離れた福井県に避難させた親がいる。少女は過疎と高齢化が進む集落にホームステイし、地元の小学校に通う。介護の仕事をする両親は福島を離れられない。なぜ家族がバラバラに…。中学進学はどうするのか?子供達の未来を守るための選択と決断をカメラは見つめる。

内容

福島第一原発の爆発。まき散らされた放射性物質による子供達の健康被害が心配されている。国の安全基準は『20ミリシーベルト/年』。今回の事故で国が定めた被曝の上限だが、自然界からのそれを除く一般人が1年で受けていい数字の20倍だ。
これを子どもにも適応させていいのか…不安は大きく、見えない恐怖に怯えながら暮らしている家族が多い。20km圏内の警戒区域に帰れる未来は、いつなのか?計画的避難区域の線量は安心できるレベルになるのか?
約60km離れた福島市や郡山市など、県内では特に人口が多い中通りの市町村の土壌も放射性物質に汚染され、線量の高い地区が存在する。
自主的に避難を決めた家族、子供と親が離れて暮らす家族、住み慣れた地に残る家族、それぞれの選択をした家族を通して、「放射線」に怯える日々の苦痛を考える。
目に見えない放射線に翻弄され、我が子の未来をどう守ればいいのか・・・親の切なる思いを全国の人に知ってほしい。

『避難したくてもできない』1歳半の娘と親   福島市

●1歳半の娘を持つ親。家は福島市でも線量の高い渡利地区。福島市を離れたいが、経済的状況を考えると避難できない。
父親の実家は石巻で津波の被害をうけ仮設住宅で暮らしていて、身を寄せられない。
母親の実家は南相馬市、緊急時避難準備区域の規制は解除されたが、原発に近づく場所には住む気になれない。
現在も窓を閉め切り、1歳半の娘を外に出す事が出来ない。家の中で一番線量の低い区域に柵を設け、そこから娘がでないようにしながら子育てをしている。
それでも、その場所は0.6μSv/h=18歳未満が働くことができない放射線管理区域の積算放射量を超える。何度か自主的に家を除染したが、数値は下げ止まったまま。
狭い柵の中で娘と添い寝する妻のすぐ脇で、夫は公開される線量のデータをにらみ、やはり避難すべきか悩む日々を送っている。

『娘だけ福井へ避難』親子離ればなれの決断    南相馬市

●この夏、小学6年生の娘を福井市の郊外に疎開させた親がいる。家は緊急時避難準備区域の南相馬市。娘の小学校は原発から20km圏の少し外側。規制以来、30km圏外の小学校にバスで通っていた。あれ以来、のびのびと子供たちが外遊びで笑顔を見せることはない。疎開先で見た娘の姿に決心をする。「2学期から娘ひとりを福井県に避難させる」と。
福井市郊外、過疎と高齢化が進む地区。その一軒へのホームステイを娘も受け入れた。両親は共に介護の仕事につき、南相馬を離れることができない。家族が離ればなれに暮らす決断・・・寂しく、悲しい現実に押しつぶされそうになるときもある。

2011年、最後の放送となるNNNドキュメントは原発事故がもたらした見えざる恐怖に翻弄される家族の姿を通じ、子供達の未来を思いやる心と、家族がどうあるべきか?迫られる選択と決断から、家族の絆を描きたい。

2011.12.22

やめたら保育士になるのも一つの道 その道の途中で

「心を整える。」

さすがの姿勢、前の向き方。

言動に説得力と謙虚さがあって、本当にすばらしい。

***
◇長谷部 被災地に幼稚園を再建、印税など9500万円寄付
(スポーツニッポン2011/12/22)
http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2011/12/22/kiji/K20111222002289890.html

 サッカー日本代表の主将を務めるMF長谷部誠(27=ボルフスブルク)から被災地にビッグなクリスマスプレゼントが贈られた。東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県南三陸町を21日に訪問し、日本ユニセフ協会に4500万円を寄付。すでに寄付した5000万円と合わせ、津波で流失した同町のあさひ幼稚園の園舎の建設費に充てられることになった。

 長谷部が南三陸町の復興を託したのは、無限大の可能性を秘めた被災地の子供たちだった。

 「地道な復興作業がまだまだ続いている。自分ができることは何なのか。お金を寄付するというのではなく、僕の本を買ってくださったりイベントに来てくださった方の気持ちを何かの形にしたかった。今回の幼稚園には日本中の皆さんの思いが詰まっている」

 私立あさひ幼稚園は1964年(昭39)に創立。震災前は74人の園児の笑顔に包まれていた。だが、周辺一帯が津波にのまれ、元の敷地はがれきの山と化した。幸い園児に被害はなかったが、小島孝尋園長は「このまま廃園になるのか」と絶望の縁に立たされた。夏頃に知人の日本ユニセフ協会の関係者に相談したところ、関係者を通じて長谷部に話が伝えられた。

 避難などにより園児も47人に減少。子供の頃の夢が「保育士」だったという長谷部は心を痛めた。「復興には地元の人の力が欠かせない。教育施設を元に戻すのは町に人を戻すことでもある。一番小さな世代が、この幼稚園で育って、南三陸を復興に導いてくれれば」。再建のためにミリオンセラーとなった自身の著書「心を整える。」(幻冬舎)の印税と故郷の静岡県藤枝市で開いたチャリティーイベントの収益計9500万円の全てを日本ユニセフ協会を通じ寄付することを決めた。

 来年1月中には着工し、3月の完成を目指している。「完成したら(幼稚園に)行きたい。そして、一緒にサッカーをしたりしていっぱい遊びたい。サッカーをやめたら保育士になるのも一つの道かな」。今は更地の建設予定地だが、新学期が始まる4月には“長谷部幼稚園”は子供たちの笑い声に包まれているはずだ

2011.12.21

今日は回文の日

今日は回文の日なんだそうで。

今日になって、初めて知りました。

人より少し回文好きなのに気づかず・・・。

12月21日

1221

ひっくり返しても、1221 ということで。

ブライアンというアーティストが好きな人に、

ブライアンアイラブ は回文だよと以前に伝えたら、喜んでました。

こちら↓もなかなかおもしろく。

回文21面相
http://kaibun21.jp/

せっかくの回文の日、一つくらい、まわりに回文を披露したいですね。

2011.12.18

3.11その時、保育園は いのちをまもる いのちをつなぐ

10月ごろから何度か報道されていたDVDが宮城の地元紙で大きく取り上げられた。

大津波 保育士の苦悩追う 証言DVD上映
(河北新報2011/12/15)
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/12/20111215t15022.htm

本編が1時間、証言が2時間という。

迷ったけれど、注文して、すぐ届いた。

DVD「3.11その時、保育園は  - いのちをまもる いのちをつなぐ -」(岩波映像)
http://www.iw-eizo.co.jp/sell/child/06/index.html

しっかり観て、感想をもって、保育関係者にすすめていこうと思っている。

保育の新制度案を称賛する毎日新聞に強い違和感

日本経済新聞はしょうがないにしても、朝日新聞に続き、毎日新聞までが。

特に毎日新聞は「子ども・子育て新システム」を、「残り1%(約2.6兆円)のうち7000億円を投じる「子ども・子育て新システム」は注目すべき価値がある。幼稚園と保育園を一体化し、保育が必要と認められれば母親の就労の有無は問わず、好きな事業所を選んで契約することができる。株式会社やNPOなどの参入も促し、待機児童の多い都市部では小規模保育、居宅訪問型保育、事業所内保育など多様な保育サービスを認めて受け皿の量的拡大を促す。私立幼稚園の存続を認めるなど完全な一元化ではない点も批判されるが、行政の規制や既得権益を守ろうとする業界の体質もあって、待機児童対策はなかなか進まなかった。そんな現状が大きく変わる可能性を秘めている」として、高く評価している。

都道府県単位の47の地方議会のうち、ここ2年で30以上が懸念や撤回を求めていてもか。

この制度を知った保育関係者の少なくない人たちが疑問や懸念、批判を持っているにもかかわらずか。

既得権益って。。。

社説:社会保障改革 あえて前進と評価する
(2011/12/18毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20111218k0000m070099000c.html

2011.12.17

2011年、コラムが指摘する「今年の人」は?

***
コラム 筆洗(2011年12月16日 東京新聞)

 毎年この時期に、米誌タイムが選ぶのが「今年の人」。二〇一一年は、個人でなく「抗議者」だそうだ。ついでに、ここ何年かの選出結果を眺めてみたら、妙につながりがあって少し驚いた▼まず〇六年。この年も個人ではなく「あなた」。インターネットの会員制交流サイト(SNS)など、情報技術を駆使し、世界を変える原動力へと急成長した個人ユーザーを指す▼翌〇七年は、ロシアのプーチン大統領(現首相)。〇八年のオバマ米大統領、〇九年、米連邦準備制度理事会のバーナンキ議長ときて、昨年が、SNS最大手「フェイスブック」の若き創業者ザッカーバーグさん▼今年の「今年の人」となった「抗議者」の代表は無論、専制的体制をデモなどで倒した「アラブの春」の民衆だ。米国の「ウォール街」デモや、最近のロシアでの「反プーチン」デモなども含めてとらえたという▼プーチン氏は当然、オバマ、バーナンキ両氏も「格差」については抗議される側。そして、これらのケースで悉(ことごと)く、本来バラバラな民衆の不満糾合に威力を発揮したのがフェイスブックなどのSNSだ。かくて、世界を変える存在としての「あなた」は「抗議者」に重なる▼今年は日本でも、あの事故以後、「脱原発」のうねりが広がり、デモが相次いだ。蓋(けだ)し、ここでも、社会を変え始めている「あなた」「抗議者」である。
***

「今年の人」は?

あの人、あなた、そして私。

つながっているかもしれないし、今後、その実感と広がりは?

来年の今頃、「今年の人」は、誰になっているだろうね。

単に見えているものを見ているだけではなく

***
しあわせのトンボ:さわるように見る=近藤勝重
(2011/12/16毎日新聞東京夕刊)
http://mainichi.jp/select/opinion/kondo/news/20111216dde012070047000c.html

 朝の散歩時、よく出合う近所のワン君の頭をなでてやっていると、登校中の女児2人が「さわってもいいですか」と近寄ってきた。飼い主が「優しくね」と答えると、2人はうなずいてワン君の頭を何度もなでていた。

 これはこれだけの話なのだが、散歩から帰って、女児の言葉「さわってもいいですか」が思い出された。子供と犬の関係なら「可愛い」--「さわりたい」でいいとしても、それが人と人との関係だとどうなるのか。与謝野晶子の「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」という短歌の世界を想像したりしているうちに、そもそも「さわる」って感覚は何なのだ、と今さらのように気になった。

 骨董(こっとう)好きの文人の随筆などには「骨董狂いは恋愛に似ている」といったことが書かれている。陶器の肌ざわりが、愛する異性の肌をさわるのと通じるものがあるということだろうか。やはり骨董好きで知られた批評家の小林秀雄氏は、江藤淳氏との対談でこんな話をしている。「絵というものは、なんだか歯がゆいもんですね。さわることができないからね。だから絵を見ていると、しきりに言葉が浮かぶのです」

 察するに、さわるというのは見るだけでは得られないものを感じ取ろうとする人間の切実な感情なのだろう。それだけに、さわれれば黙して感触を味わい、さわれなければ言葉を出す。小林氏に言わせれば、「生物に一番基本的な感覚」であり、「一番沈黙した感覚」というわけだが、氏はさらにこうも言っている。

 「ぼくが物を見るというのも、さわるように見るという意味なんです」

 つまりはこういうことか。

 物事の本質というのは外に現れ出ているものだ。それを感じ取りつつ見なければ、見たことにはならない。感じ取れないとすれば、単に見えているものを見ているだけのことだ--。

 冬の日に誘われて公園に出てみた。葉を落とした数本の百日紅(サルスベリ)が枯れ木のごとく立っている。

 ぼくなりに、さわるように見てみた。サルが滑るほどに滑らかな木肌も、今はカサカサとして生気を欠く。しかし、ただの枯れ木ではない。半ばはげた樹皮の内側にのぞく肌はむしろ生々しい。ここまで死んで見せて、しかし間違いなく炎暑には熱情の紅で彩られることを思うと、この木の激しい気性に触れた感覚があった。(
***

ただ「単に見えているものを見ているだけ」じゃなく、

本質を感じ取りつつ、さわるように見る。

深いなぁ。

さらに、感じ取ったものを表現するということの奥深さも。

秋の後の冬。

冬を迎えた植物、動物、人、物・・・、それぞれに模様があって。

生徒を守るために流せなかった涙

あと2週で今年も終わる。

震災から9か月が過ぎた。

もっとも被害の大きかった地域のひとつが陸前高田。

その高校野球部をスポーツニッポンが追い続けた。

高田高校野球部の部長は女性。

その部長はこれまで涙を流せなかったという。

春、夏、秋、そして四度目の季節。

指導者の震災9カ月 生徒を守るため涙流せなかった
(2011/12/15スポーツニッポン)
http://www.sponichi.co.jp/baseball/yomimono/takata/kiji/K20111215002243880.html

春からスポーツ新聞も変わった。

私の、スポーツを見る目も。

2011.12.15

新聞で漢字の「絆」はどれだけ、なぜ使われたか

絆、その活字利用の変化と理由について、福岡を中心としたローカル紙の指摘もおもしろい。

***
コラム「春秋」

 西日本新聞で漢字の「絆」がどれくらい使われたかをデータベースで調べてみた。昨年は290回ほどだった。今年は千回を超えた

▼増えた理由は二つある。一つは、日本新聞協会が用語集を昨年11月に改訂し、国の常用漢字表には載ってない「磯」「絆」も使うようにしたためだ。それまでは、使う場合はルビを振っていた

▼二つ目の理由は誰でも知っている。東日本大震災が「絆」を感じさせる光景を多く生んだ。復旧・復興支援のボランティアらが被災地をどれだけ元気づけたことか。全国から届く善意が被災者をどれだけ励ましたことか

▼古来、絆は日本社会の土台のところを太く支えてきた。貧しい時も苦しい時も向こう三軒両隣の助け合い精神が列島各地で発揮された時代が長くあった。世界を驚かせた焼け野原からの復興もそのことを抜きに語れない

▼マネー万能などの風潮が人と人の関係を寒くして久しい。絆という漢字が、一般の社会生活で使う目安となる国の常用漢字表にないのが何やら象徴的だった。ちなみに昨年までの本紙では、漢字の絆を使わずにひらがな書きにした例も多かった

▼昨年は「無縁社会」が流行語になり、今年を映す漢字には「絆」が選ばれた。日本は発展と引き換えに、自然の風景ではさっき触れた磯がそうだが、精神風景では絆を細らせてきた。細く見えても、どっこい根は生きていた。根をもっと広げよう。新聞の願いです。

=2011/12/14付 西日本新聞朝刊=
***

数日前に、「絆」の大事さは認めつつも、その強調は危ういとも書いた。

また、やや違う角度で、朝日新聞ではこの5回ほど、「弧族の国」第4部「女たち」を連載。読むと、地縁・血縁・固定観念としてのしがらみ、絆の副作用もみえた。

いずれにしても、「絆」について考えさせられる年の瀬を迎えたということ。

〔Youtube〕「絆」 ダークダックス
http://www.youtube.com/watch?v=7yaPuHmn63E

2011.12.14

仙台から、気仙沼から響いてつながって

今年もあと半月を残すのみ。

紅白歌合戦も、震災から前を向くための選出・選曲・演出がされるようで。

このブログでも取り上げてきた、仙台市の八軒中学校の合唱部が歌った「あすという日が」。

記事の最後にあるように、毎日新聞夕刊が取り上げて、感激しました。

紅白で夏川りみさんと秋川雅史が歌うことになりそうですから。

あすという日が 仙台市立八軒中学校吹奏楽合唱部
http://www.youtube.com/watch?v=Nz0V7XGLKj4&feature=related

紅白出場はならなかったけれど、映画「トリック」の主題歌「月恋歌」のヒットでも知られる熊谷育美さんも注目された年でした。

気仙沼出身で、被災者でもあるなか、特に「雲の遥か」は被災地のみなさんを励まして。

私もこの夏に宮城を訪れた際、偶然彼女の生歌を聴くことができ、思い入れもあります。

歌詞も歌声も

紅白だけじゃない歌の力。

1年を一人一人が振り返るとき、歌が想い出を連れてきて、希望も届けてくれるような気がします。

あと半月が無事に過ぎ、希望が見えるといいですね。

【公式動画】熊谷育美 雲の遥か
http://www.youtube.com/watch?v=suri4Y9XgPY

熊谷育美ブログ
http://ameblo.jp/kumagai193/

彼女のブログの12月12日付を読んでみると、神戸市長田の中学生たちと、なんと「あすという日が」を合唱したとか。

なんとすばらしい。つながり、音楽、その力。

***
◆“八軒中の歌”を届ける/気仙沼から古里を歌う
(2011/12/14毎日新聞夕刊)

 ◇“八軒中の歌”を届ける--秋川雅史

 今年のNHK紅白歌合戦では、震災復興祈念の趣旨に沿って選ばれた歌や歌手がいるが、「あすという日が」を歌うであろう秋川雅史と夏川りみは、代表格と言っていい。

 「あすという日が」(山本瓔子(ようこ)詞、八木澤教司(さとし)曲、テイチク)は学生合唱用に2006年に作られた曲。3月19日に福島市で予定されていた「声楽アンサンブルコンテスト全国大会」で、宮城県代表・仙台市立八軒中学の吹奏楽・合唱部は、この歌を歌うはずだった。部員たちは大会ではなく、避難所となった学びやで被災者を前に、この歌を披露したのだった。そのニュースは話題を呼び、秋川・夏川がメジャーから発売することになった。

 「4月に被災地を訪れた時、封印するつもりだった『千の風になって』が被災者の皆さんに求められた。こちらが元気付けられるとともに『歌』の必要性を実感した」と秋川。「世の中にプラスのメッセージを送れれば」と紅白の舞台を待つ。

 ◇気仙沼から古里を歌う--熊谷育美

 「あすという日が」が被災地発の「歌」なら、熊谷は被災地発の「歌声」である。1985年に宮城県気仙沼市に生まれ、今もそこから歌を発信し続けるシンガー・ソングライターである。09年にデビューし、今年4月シングル「雲の遥(はる)か」、10月に初アルバム「その先の青へ」(テイチク)を発表した。

 「一度『こんな田舎じゃダメだ』と、プロを目指して東京へ出たんですが、まったく曲が書けなくなった。疲れ果て音楽をあきらめて、1年後に帰郷した時、気仙沼が私を温かく迎えてくれた。『私のいるところは、ここかしかない』と確信しました」。帰郷した熊谷は「なんと朝から晩まで曲が作れるようになったんです」と、古里の不思議な力を実感する。

 3月11日の地震発生時は『雲の遥か』の取材で仙台市のテレビ局に出演中。本人にけがはなかったが、実家は大規模半壊となった。だが「古里のすばらしい力を、皆も感じてほしい」と歌い続ける。(川崎浩)

2011.12.13

「きょう、いきる ちから。」

『きょう、いきる ちから。』という本の書籍広告を見て、

気になった。

その出版とあわせて、

下のウェブサイトに週1回7~12ページ、その言葉とイラストが掲載されていくことを知った。

少しほわっと、

少しがんばろうと元気になれる気がする。

そんなメッセージ集なんだよね。

神岡学の「きょう、いきる ちから。」
http://diamond.jp/category/s-kyouikiru

2011.12.12

数値になる成果が出なければダメですか

ツイッターやブログなどによる発信、大阪市長選、どちらも先月から思い悩んできたこと。

香山リカさんが、12月5日、12日にそれぞれつづっています。

視点に納得しました。

【第9回】 いまや社会は、自分のこだわりを表現することが美徳となった?
http://diamond.jp/articles/-/15121 

【第10回】 大阪市長選挙に思う。数値化できる成果が出なければ存在価値はないのか
http://diamond.jp/articles/-/15277

香山リカの「ほどほど論」のススメ
http://diamond.jp/category/s-kayama2

たぐり寄せる絆 必要なことは

あの日から9か月。

年の瀬、年越しへと向かっていく。

「絆」の意味を家族のドラマに考えさせられる。

第8部 たぐり寄せる絆(1)もう実の息子「離さない」
産経新聞2011.12.11 18:00 (1/4ページ)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111211/dst11121118010011-n1.htm

ただ、年が明ければ、失業手当が切れる家庭が増えることがはっきりしている。

また、春に向けて、住まいを学校をどうするかということも・・・。

「絆」が強調されるあまり、それが自助・共助として自己責任とされてしまうムードは違うと言いたい。

絆を強くするには、公の支援が欠かせない。

2011.12.11

コメントルール変えました

ブログのやる気も上がったり下がったりのなかで、

7年以上もやってきて。

いつかは終わるわけだけど。

質はともかく、記事数は2500超。

上達しない作文バカで。

その間に、コミュニケーションツールも変わってきた。

開設当時はブロガーブーム。

簡単で、無料か月数百円でできるし。

芸能人や政治家もブログを次々に。

最近は、mixiやツイッター、フェイスブックなどを使う人も増えたようで。

有名人もブログをやめて、ツイッターに移行、

mixiも最近は衰退気味という報道もあり、利用者が増えている状況にはないようだ。

ツイッターも始めて来月で1年になるけれど、さまざまな気づきに教えられることが多い。

先日、私のブログに、内容としては理解できるけれど、あんまりな表現でコメントをいただいた。

名前も名乗らずに、

過去記事も読まずに、その一つの記事だけで、私の考えを否定されるのは違和感がある。

そもそも、会ったこともないのに、「あんた」とか、「わからんやろ」と言われても・・・。

私はその件には過去記事で丁寧に書いてきたし、カテゴリでそのジャンルの記事も、意思があれば、読めるようになっている。

街中でも、見ず知らずの人に、「あんた」とか「わからんやろ」と言う人もいる。

でも、それで何がしたいんだろう。

気持ちはわかるけど、何かプラスに作用するのか。

私はブログ上でメールアドレスも公開している。

7年以上の間で直接メールをいただくことも年に何回かある。

リスクもあるけれど。

ブログをやっているものとして、コメントは数少ない手ごたえとして、いただけることは本当にうれしく、いつも感謝している。

失礼な上記のものは一例でしかないから、それだけを言ってもしょうがない。

これまでにも同様のものがあった。

承認制(すぐに反映させないで管理者が内容をみて公開)も含めて。

とりあえず、リアルタイムで反映はされることは維持しつつ、

名前とメールアドレス(メールアドレスは記入してもブログ上には表示されない)を必須の条件とさせてもらうことにした。

私に不満をぶつけても、何も変わらないと思う。

向かうべき相手がちがうから。

批判を切り捨てるわけではない。

礼儀があるべきということ。

謙虚に批判もうけていきたいという姿勢は変わらない。

根本的な考えは違うけれど、視点は興味深いという指摘をこれまでに何人かの見知らぬ人からいただいたことがある。

私も違う意見に出合ったときに、なぜそう考えるのか、その人のその背景を大切にしたい。

暗いと不平を言うよりも、すすんで明かりをつけるために。

そのまま変えればいいという考えもあるけれど、運営のルールを変えるわけですから重要なので、説明をさせていただきました。

臭いと嫌われる 

臭いCMを発見!

それにしても、臭い

におい、くさい、どっちとも読める。

CM カップル編
http://youtu.be/H21qwLUIeYQ

2011.12.10

弧族の国 女たちシリーズがスタート

朝日新聞が2010年末から始めた、つながりを断たれつつあるこの国の状況報告といっていい。

2011年も終わろうとするなか、第4部が衝撃的に始まった。

2007年の国民生活基礎調査をもとに、単身女性の3人に1人、母子家庭の57%が貧困層にあると、12月9日の一面記事で指摘し、第4部「女たち」のシリーズの連載へ。

その指摘をした阿倍彩さんは、国立社会保障・人口問題研究所に所属し、3年前に著書『子どもの貧困~日本の不公平を考える』(岩波新書)で、文字通り「子どもの貧困」実態を多彩なデータに基づいて問いかけた。

今回は女性を朝日新聞が5回にわたって追う。

労働組合の組織率は低下し、主流は正規雇用、役員は50代男性が占めることが多い。

つまり、雇用や社会保障の課題と向き合うべき労働組合でさえ、女性が抱える社会問題にクローズアップできていないともいえる。

早速、「孤族の国」ツイッターにも、一定の反響があるようだ。

反響を見つめながら、今後も考え合いたい。

収入も伴侶もないままで〈朝日新聞 孤族の国 女たち 2011/12/9〉
http://digital.asahi.com/articles/TKY201112080723.html
※第4部として現在はこの記事のみ無料公開

朝日新聞 「弧族の国」 過去記事
http://www.asahi.com/special/kozoku/
※第1部から第3部の記事がすべて無料公開

皆既月食の日に想う

今夜は11年ぶりに、皆既月食の最初から最後までを見られる機会。

午後9時45分頃から翌午前1時18分頃まで。

晴れたらいいね。

春以降、ライフラインの切断・回復、計画停電、節電と、

「暗さ」と「明るさ」について考えさせられてきた。

そして、あの日から、人の言葉も変わった。

冗談も、笑いも減ったように感じる。

2万人の姿が一瞬にしてなくなり、

さらにいまだに数万人が避難を余儀なくされ、離ればなれになっている。

寂しさと切なさのなかで、そして電力のことで、

月明かりに対する想いは変わったはず。

暗さのなかで、明るさを知る。

真っ暗ななかでの月明かり。

沈黙の中で発せられる言葉も。

暗いと不平を言うよりも、すすんで灯(あか)りをつけたい。

明るい人。

そんな存在をもっと大切にしたいとも。

あの地、あの人、あの時に、想いをめぐらせ見上げよう。

ひとつのもの、みんなで見られるひとときと、

支えられている絆を大切に。

次に今夜と同じ条件になるのは2018年1月末だという。

いましか見られない、貴重なもの。

忙しい師走、人にお願いするときに必ずうまくいく法則のご紹介

今年もあと3週。

先生も走る師走。

教師、医師、看護師。

国が「師援」をシワスれている。

先生じゃなくても忙しい12月。

人に何かを頼もうにも、ためらいがちに。

ためらわないために、私からめったにしないアドバイスを。

自信あり!

そう、忙しそうな人にお願いするときは、

勇気と敬意をもって、

お願いシワス」と言ってみよう。

恥ずかしがらずに、少し力を入れて。

どうしても、どうしても、それを言うのはためらってしまうという人でも、

「お願いシマス」と言ってしまっては、変化がない。

それではもの足りない。

ベターな方法がひとつ。

アイウエオ順で、

「ワ」と「マ」の中間は「ヤ」だから、

「お願いシス」と言おう。

この場合、相手に直接的に気づかれない程度に、口をあまりはっきりさせない「ヤ」でもいい。

師走に人にお願いするときにうまくいく法則の紹介でした。

おためしあれ!

お願いシワス!

2011.12.09

「橋下圧勝」に警鐘を鳴らす記者の目

この記者の目の指摘、危険性を感じる点はまったく同感だ。

考えというよりムードで動く民意。

どんな政策、候補者であっても、魅力的な政策を訴えるが、その政策には課題もあると認めるべきではないか。

バラ色の政策なんてないし、現状がすべてダメというのもおかしい。

いまの何が問題で、どこをどう変えるのか。

その提示がされず、これまでの手法を崩すことで、政策よりも手法にあえて注目させた。

それが橋下現象だったように私はとらえているが。

記者の目:大阪ダブル選「橋下・維新」圧勝=林由紀子
(2011/12/9毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20111209k0000m070091000c.html

また、大好きな連載コラムも、2週続けての大阪編。こちらもぜひ。

切り口、そこからの展開、そして飽きないリズムがいい。

しあわせのトンボ:心配やねん、大阪が=近藤勝重
(2011/12/2毎日新聞東京夕刊)
http://mainichi.jp/select/opinion/kondo/news/20111202dde012070058000c.html

しあわせのトンボ:大阪の唯一無二性=近藤勝重
(2011/12/9毎日新聞東京夕刊)
http://mainichi.jp/select/opinion/kondo/news/20111209dde012070009000c.html

2011.12.08

いのちをつなぐチョコレート

今年もチョコ募金が始まった。

2006年から続いている。

バレンタインデーにむけて、北海道の六花亭のチョコをつかって、チョコ4缶とイラクの少女が描いた絵のカードのセット。

1セットで2000円。

500円のチョコが4つで1セット。

その500円のうち、300円はイラクの小児がんの子どもたちの医療支援に

50円は福島の子どもたちを放射能から守る活動に。

いのちをつなぐチョコレート2012
~子どもたちを放射能からまもるために~
http://jim-net.net/choco/

↓詳細はこちらにも
チョコ募金と福島支援について
http://www.jim-net.net/news/info/2011/12/post-81.php

JIM-NET(ジムネット 日本イラク医療支援ネットワーク)
http://www.jim-net.net/

東京から元気を!被災地復興応援フェスタ

岩手、福島、宮城。

東京からこの3県を応援しようというイベントが3日間。

今年は盛岡、仙台、東松島に行ったので、思い入れもあり。

12月19・20・21日、東京国際フォーラム地下で。

都営・地下鉄の構内にポスターがあっちにもこっちにも。

東京都の主催ですから当然といえば当然。

3県の郷土おにぎりプレゼント、物産展、さんさ踊り、ハワイアンショーなどなど。

時間がとれたらのぞきにいこうかな。

「東京から元気を!被災地復興応援フェスタ」
http://fukko-festa.jp/index.html

熱のある言葉 声が聞こえてきそうな山本太郎インタビュー

師走も3分の1が過ぎ、今年を振り返っていく時期。

この春以降、もっとも大きな影響をうけた一人が俳優の山本太郎さん。

4月には彼を自転車で追いかけて、杉並の高円寺発のデモに。

みつけられなかったけど。

インタビューからは、彼の背景と言葉の力が伝わってくる。

その意見にすべて賛成というわけではないけれど、その声が聞こえそうな力がいま私たちの社会に欠けているとも思う。

「収入は10分の1。それでも『命』を守りたかった」
――山本太郎(俳優)インタビュー
オルタナ 12月8日(木)
http://alternas.jp/uncategorized/2011/12/12774.html

2011.12.06

アメリカで寿司給食!? 改革のせめぎあい

学校給食の改革では、イギリスのジェイミーオリバーが有名のようで、日本でもテレビ放送も繰り返され(WOWOW)、DVDもリリースされている。

それとは別だけれど、アメリカで食育にむけた改革と、それを阻む動きがせめぎあっているという新聞報道がされた。

***
trend:米国 カロリー減へ給食改革
(2011/12/5毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/world/news/20111205ddm012030014000c.html
 <トレンド>

 小中学生の半数が太りすぎとされる米国で、1日65万食の学校給食を提供するロサンゼルス市が高カロリーのメニューを見直す給食改革に着手した。6月には味付け牛乳を廃止、9月には野菜と穀物を取り入れた健康メニューに全面改変した。日本食のすしや焼きそばも登場し、国際的な食文化の学習の場にもなっている。

 ピザにフライドポテト、チョコレート味牛乳、デザートに缶詰のパイナップル。改革前のある日の献立だ。トマトソースもスプーン2杯以上入っていれば野菜に分類され、ピザは週2回程度出た。

 初めてのり巻きが登場した9月末、市西部にあるマリナデルレイ中学校のカフェテリアでは「すしって何?」と不思議そうに叫ぶ生徒の歓声が響いた。キュウリとアボカド入りの玄米のり巻きにセロリ、チーズ、フルーツジュースが並ぶ。

 初めてのり巻きを食べたというアフリカ系の女子生徒(12)は「思ったより食べやすい」とおいしそうにほおばった。ヒスパニック系の男子生徒(11)は「しょうゆソースがあればいいのに」と薄味が物足りなさそう。脂っこい料理に慣れた生徒の中には、補助メニューの棚にあるポテトチップスの小袋を取りに行く姿もあった。

 ミランダ・ラウフ校長は「好みは急には変わらない」と笑いながら、「家で冷凍食品しか食べない生徒が給食で野菜の味を知り、親に報告すれば家の食事も多様化する」と改革に期待感を示した。

 献立をつくる学区の主任調理師、マーク・ベイダ氏(42)は「日本食は抵抗が少ないアジア食だから最初に取り入れた。国際色豊かなメニューにして味の固定観念を変えたい」と言う。

 食育に熱心なオバマ政権では昨年末、農務省に給食改革の権限を与え、これを推進する学校給食法が成立。取り組みは学区の判断に任されるため温度差があるが、ロサンゼルスは政権と連携し改革の実践現場となっている。

 一方、定番だったピザやフライドポテトを製造する冷凍食品業界は危機感を募らせる。11月中旬、トマトソースを野菜とみなす基準を厳しくし、フライドポテトを献立から減らす農務省の栄養管理制度改革案を連邦議会は否決。米ロサンゼルス・タイムズは「食品業界を支持基盤とする与野党議員が反撃に出た」と指摘した。始まったばかりの給食改革の流れは、業界と政界の利害が絡み、早くも荒波にもまれている。【ロサンゼルス堀山明子】

***

私は、マクドナルドなどのファストフードを好まない。

自分の国でつくったものを基本的に口にしたいと思う。

ホントの「米国」は日本だと思うから、米を食べて生きたい。

それにしても、ハンバーガーやポテトなど、アメリカ文化が日本でチェーン展開されているわけだけど、そのアメリカでどんな食生活がされているのか、子どもが何を食べているのか、学校でどう過ごしているのか、ほとんど報道されないことが不思議でならない。

2011.12.05

つながる、支える、悲劇をなくすために

九州、特に福岡では全国紙をしのぐ影響力を持つを誇る西日本新聞。

子どもと親とその周辺を丁寧に取材し、7回の連載が。

つながる、支える、悲劇をなくすために、私たちができること、その前にまず考え合いたいこと。

【つながる 支える・悲劇をなくすために 1】夕方、歓楽街の保育所にて
(西日本新聞2011/11/25)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/276256

【つながる 支える・悲劇をなくすために 2】ゆとり 子育て離れ優しさ戻る
(西日本新聞2011/11/26)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/276263

【つながる 支える・悲劇をなくすために 3】親育て 子育て…練習すればいい
(西日本新聞2011/11/27)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/276260

【つながる 支える・悲劇をなくすために 4】医行連携 診察室から一歩出よう
(西日本新聞2011/11/29)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/276264

【つながる 支える・悲劇をなくすために 5】地域連携 学校にも「福祉の目」を
(西日本新聞2011/11/30)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/276261

【つながる 支える・悲劇をなくすために 6】訪問事業 みんなで孤立させない
(西日本新聞2011/12/1)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/276262

【つながる 支える・悲劇をなくすために 7】共感 親のあなたも大切な人
(西日本新聞2011/12/2)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/276259

学校給食122年

学校給食の発祥が1889年の山形地方だということを最近になって知った。

先日、「おにぎり給食」が再現されたという。

ルーツをたどり、大切さを知るということが減っている。

写真でも、塩おにぎりを食べる子どもたちは満足そう。

122年でどれだけ充実してきたのか、考え合いたい。

食べ物を大切に 鶴岡地域学校給食 明治時代の献立再現
(荘内日報2011/12/4 ※山形の地方紙)
http://www.shonai-nippo.co.jp/cgi/ad/day.cgi?p=2011:12:04

2011.12.04

なぜ非エリートが世界で戦えるのか

今年の流行語大賞候補にノミネートされるべきだった「心を整える」。

残念だったけれど、サッカー日本代表長谷部誠のその著書は、多くの読者に影響を与えたはず。

その彼と同じく代表・岡崎に密着する番組が全国ネットで今日深夜に放送される。

***
12月4日(日)24:25~
フジテレビ系列『僕が世界で戦える理由(わけ) ~変えるこだわり、変えないこだわり~』
http://www.fujitv.co.jp/fujitv/news/pub_2011/111117-285.html
 2014年ブラジルワールドカップを目指すサッカー日本代表。
現在、その中心選手の多くが海外リーグに所属し、チームの主軸として活躍している。
だが、彼らはユース年代から注目を集めてきた、いわゆるエリート選手ばかりではない。
ではなぜ、そんな選手たちが、厳しい海外リーグで成功しているのか?
ブンデスリーガそして日本代表で活躍する長谷部誠選手、岡崎慎司選手を通して“非エリート”が世界に通用する秘密に迫る!!

「愛情弁当」を持ってこれない子どもの気持ちと背景に寄り添ってほしい

***
愛情弁当論 もう限界?/神戸
(2011年12月03日 asahi.com)
http://mytown.asahi.com/hyogo/news.php?k_id=29000001112030005
 中学生の昼食は、親子のきずなを深める家庭弁当が望ましい――。そんな「愛情弁当論」を掲げ、長年、中学給食に否定的な立場を取ってきた神戸市教委が、年明けにも給食導入の是非を議論する検討委員会を立ち上げる。公立中の8割超が導入済みという全国的な流れに押され、ようやく重い腰をあげた格好だ。

 「共働き世帯にとって毎朝、栄養を考えた弁当を作るのは大きな負担。愛情弁当どころか、現実には菓子パンやコンビニ弁当で昼ご飯を済ませている子らもいる。今の家庭が置かれた実情を全く見てない論理ですよ」
 中学給食導入を市議会に繰り返し請願している市民グループ「神戸の中学校給食を実現する会」の前原操さん(60)は、これまでの市教委の姿勢に憤りを隠さない。
 現在、市内に82校ある市立中学で給食は実施されていない。市教委が今年7月に実施したアンケートによると、生徒の92%は家庭から弁当を持参。残りの大半は、登校時や校内販売で購入した弁当・パンを食べている。
 保護者の間では以前から給食待望論が強く、市議会には度々、市民の請願が寄せられてきた。だが、市教委は二つの理由を挙げて導入を拒んできた。
 一つは「最低でも配膳室整備などの初期投資に12億円、毎年の運営費に10億円かかる」という財政負担。
 そしてもう一つが「思春期を迎える中学生にとって、手作り弁当が家族のきずなを日々認識させ、心の支えとなる」という愛情弁当論だ。
     ◇
 ところが今年6月、「実施は困難」としてきた市教委の議会答弁が、「やらないと決めているわけではない」(永井秀憲教育長)と微妙に変化。さらに10月には、給食導入の是非を議論する検討委の設置方針を明らかにした。
 理由は他都市の動きだ。市教委によると、1990年代には60%台だった全国の公立中の給食実施率が、2009年には81%に達した。
 政令指定都市では、北九州市と相模原市が今年度に入って相次ぎ全校実施を達成、大阪市も13年度中に全校実施する方針。全国19指定市で今も導入を決めていないのは、神戸、堺、横浜、川崎の4市だけだ。
 市教委幹部は「今まで愛情弁当論で思考停止していた部分があったが、庁内でも『本当にこれでいいのか』『これはもう一度、検討せなあかんやろ』となった」と話す。
 もっとも、「検討委は給食導入を前提としたものではなく、約1年間かけて方向性を出したい」というのが市教委の基本スタンス。現在、学識者、校長、保護者、一般市民らの代表者を念頭に検討委メンバーの人選を進めているという。(宮武努)

◆保護者「給食」教職員「弁当」 アンケートで鮮明に
 神戸市教委が市立中全82校を対象に実施した7月のアンケートでは、「給食を求める保護者、家庭弁当を望む教職員」という構図が鮮明になっている。
 保護者に「中学生の昼食は何が望ましいか」を尋ねると、「給食」「給食と家庭弁当の選択制」と答えた給食導入派が75%を占めた。給食の良い点(複数回答)としては「栄養バランス」(74%)▽「家庭の負担軽減」(47%)▽「安全な食材・保管」(19%)▽「経済的に恵まれない生徒への配慮」(12%)といった声が多かった。
 逆に教職員では「家庭弁当」「家庭弁当と弁当販売の併用」と答えた家庭弁当派が81%。家庭弁当の良い点として「個々の成長に配慮できる」(59%)▽「親子の絆が深まる」(47%)▽「(給食は)教職員に負担がかかる」(27%)▽「親の責任で準備を」(18%)といった声が多い。

◆◆学校給食
 学校給食法は、義務教育学校の設置者は給食実施に努めなければならないと定めている。各校で作る自校調理方式、給食センターから運ぶ共同調理方式、民間業者が作って届けるデリバリー方式など形態は様々。生徒一人一人が給食か弁当かを選べる選択制を取っている自治体も多い。神戸市でも、小学校では自校方式や共同方式で給食が実施されている。
***

この秋、大阪が全国的に注目されたが、

地方政治の具体的な失政について言えば、大阪の公立中学校の完全給食実施率が8%に満たないことに驚きを持ち続けてきた。

そのお隣神戸も変わりつつあるようだ。

いまから20年以上前に北九州市の中学校に通った私。

私の学校では給食はなかった。

校内に売店もなかったから、持ってこれない子は、通学途中のお店で菓子パンを買ったりしていた。

持ってこれない子は、教室で食べない傾向があった。

他の「愛情弁当」(この表現はどうなんだ?)に比べてしまうからだと思う。

私は母のつくった弁当を持って行っていた。

事情があって、母は夜働いていた。

その時、毎日が給食だったら、母はもっとゆっくり過ごせていたはず。

上記asahi.comのリンク先のグラフ、保護者と教職員、生徒のアンケート回答の違いもみながら、考え合いたい。

報道すれば出入り禁止に? 繰り返さないために 忘れないように

あきれるというか、信じがたい発言だった。

防衛局側がよびかけた居酒屋での懇談会。

オフレコ前提のものだったとはいえ、何でも言っていいというわけではないだろう。

***
◇防衛局長不適切発言:「知る権利」優先 本紙、オフレコ懇談報道/沖縄
(2011年11月30日琉球新報)

 米軍普天間飛行場の移設問題に関する田中聡沖縄防衛局長の県民を侮辱した問題発言は28日夜、那覇市内で開かれた報道陣との非公式の懇談会であった。関係者の発言内容について記録、報道しないことを前提とした「オフレコ」形式の懇談だったが、琉球新報は読者に伝える責任があると判断して報道に踏み切った。識者はオフレコの原則よりも「国民の知る権利が優先される」と指摘する。

 懇談会は各社負担する会費制で、県内外の9社の記者が参加した。午後8時ごろから始まった懇談は、テーブル中央に座った田中局長を記者が取り囲み、飲食を伴いながら、基地問題について意見を交わした。

 政府が年内提出を予定する環境影響評価(アセス)の評価書提出問題に話題が移った時、本紙記者が「政府はなぜ『年内提出する』と明言しないのか」と問いただした。すると、田中局長は女性を乱暴することに例えて「これから犯す前に『犯しますよ』と言いますか」と応じた。田中局長は、1995年の少女乱暴事件後に、「レンタカーを借りる金があれば女が買えた」と発言し更迭されたマッキー米太平洋軍司令官(当時)の発言を自ら話題にし、肯定する言いぶりもあった。

 公表を前提としないオフレコ内容を報道したことについて、沖縄防衛局報道室は「(懇談は)オフレコだ。発言は否定せざる得ない」とした上で、「(公表すれば)琉球新報を出入り禁止することになる」と警告してきた。

 専修大学の山田健太准教授(言論法)は「メディアはオフレコを守る信義則はあるが、国民の知る権利はそれに優先される」と指摘。「全ての取材は報道する目的で取材するのが原則だ。公人がメディアに対する時、その後ろにいる国民に対して説明責任を果たす認識が必要だ。公共・公益性があると判断した場合、メディアは報道する原則に戻るのが大前提となる」と話している。
***

私は都内の居酒屋でアルバイトをしたことがある。

ここで書けないような、少なくない男性客から東南アジアの人や女性を蔑視した言葉が発せられることが何度もあった。

当時は20歳ちょっとだったし、その汚さに衝撃も受けた。

比較はできないが、今回のそれは、その人の担当する職務・公務にかかわる中心課題での発言。

この発言は極めて大きな問題だ。

あわせて、田中氏にそう思わせている政府と政権こそ、許されないのではないか。

私は95年のあの事件当時20歳を迎える年。

沖縄の抗議集会で「平和な島を返してください」と訴えた高校生の言葉。

テレビニュースでふれ、その後の進路に影響も受けた。

あれから16年。

そのメッセージに応えきれないまま、今を迎えていることが情けなくてたまらない。

発言の内容が内容だけに、知り合いのブロガーなどはふれていないようだ。

でも、誰かが言わないと、書かないと、それはなかったことになる。

こんな事実があった、こんな思いを持ったんだと。

オフレコじゃなくなったのに、オフレコになってしまう。

それではまた繰り返すし、繰り返してきたから。

また忘れてしまわない?

2011.12.03

風を感じて 言葉を磨いて 私たちにできること

「困っているひと」の大野更沙さんが11月に書いた岩波書店企画「3・11を心に刻んで」。

すぐに意味がわからないところ、何度読んでもわからないところもある。

そこは意味を探しながら歩いていくなかで見えてくる。

そんな気がする文章でした。

「3・11を心に刻んで」大野更沙 PDFファイル
http://www.iwanami.co.jp/311/PDFs/1111b.pdf

岩波書店「3・11を心に刻んで」
http://www.iwanami.co.jp/311/

「変わりまっせ」? 心配やねん、大阪が

毎週読んでいるコラム。

直接的な政治ネタは珍しく。

来週に続くという。

楽しみなのはコラムの展開で、心配なのは私も大阪のこと。

しあわせのトンボ:心配やねん、大阪が=近藤勝重
(2011/12/2毎日新聞東京夕刊)
http://mainichi.jp/select/opinion/kondo/news/20111202dde012070058000c.html

 「2人が府市を合わせて不幸せ返上。大阪は変わりまっせ」

 大阪のダブル選挙の翌日、大阪市内で拾ったタクシーの運転手さんは聞いたようなダジャレを飛ばして陽気だった。2人とはそれぞれ大阪市長と大阪府知事に当選した大阪維新の会代表で前府知事の橋下徹氏と大阪維新の会幹事長、松井一郎氏である。運転手さんは言ったものだ。

 「そやけど知事の名前、ぜいたくですなあ。松井とイチローでっせ」

 開票日当夜はMBSラジオの開票特番に出ていたが、2人の圧勝に、ぼくは「心配」「懸念」を何度も口にすることになった。気になる一つは大阪の都市個性の問題だ。戦時下の1943年に国策上、府、市を統合した政治の都、東京に比すれば、大阪は民の都、民都である。反権力の大阪に政治力で造る「大阪都」が本当にふさわしいのかどうか。

 このところ、東京のメディアも「橋下ネタ」が目立つ。「大阪の挑戦」といった調子ではやされるのは今に始まったことではないが、過去、そういう話題の大半は「おもろうて、やがてかなし」で終わっている。

 阪神タイガースの03年のリーグ優勝や85年の「日本一」の時も、東京のメディアは「阪神でこの国は変わる」「大阪の逆襲」とはやし立てた。さかのぼれば老将、藤本定義監督率いた62年と64年もVを呼び込んだが、同じ64年の東海道新幹線開業で東京に何もかも吸収され、気がつけば巨人のV9、東京=巨人の時代になっていた。「大阪が変わる」とはやされ、変わったためしはないのである。

 「大阪は、たかが一つの都市であり、一応東京に対立し、在来の日本思想の弱点に気質的な修正を与へうる一部の長所があるにしても、それはただその点に就(つ)いてだけで、全部がさうであるわけでもなく、絶対のものではない。反逆は絶対のものであり、その絶対の地盤から為(な)さるべきものであつて、一大阪の地盤によつて為さるべきものではない」

 戦後、坂口安吾が書いた「大阪の反逆」からの引用だが、今度こそが「絶対の反逆だ」と言いたげな向きもある。しかし橋下氏がいかに人気者でも、やたらと権力を振りかざせば、大阪人は「どうも好かん」と反権力の本性を現すだろう。その地に根差す文化というのは、乱暴な変化にはあらがうものだ。

 心配事、多々あり、次回も同じテーマで。(専門編集委員)

温かい目で田んぼの価値を見つめなおす

田んぼには 生き物ばかり 価値アール

視点がおもしろく。

【私説・論説室から】田んぼの生物の価値
(2011/11/30東京新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2011113002000051.html

 田んぼに生息する生きものは、環境面では有益・有用であることは間違いないが、本当に経済的には価値がないのだろうか。

 福岡県糸島市に住む農業宇根豊さん(61)らは、二〇〇五年から〇七年にかけて同県内を調査し、あえてお金の価値に換算してみた。

 「トノサマガエルがペットショップで千円で売られていたので、一匹あたり千円と換算するのです。田んぼ十アール当たりトノサマガエルは二匹いるので、二千円となります」(宇根さん)

 オタマジャクシは一匹〇・一円だが、十アールに三万七千八百匹もいるので、三千七百八十円となる。逆にアオサギは一羽あたり二千円とみるが、田んぼには〇・〇一三羽しかいないので、評価額は二十六円となる。

 イトミミズやクモ、トンボ、メダカ、ホタル、タニシ…。一覧表には八十数種の生物が掲載されていたが、高額なのがカブトエビの八千四百円、青紋イトトンボの四千八百円、沼ガエルの四千三百円などだ。

 田んぼの生きものがそのまま売買されるわけではないが、学術会議は水田の洪水防止機能を約七万七千円、水源涵養(かんよう)機能を約三万三千円、土砂崩壊防止を約一万円などと換算し、十アールの多面的機能を約十七万九千円とはじき出している。

 生物の経済価値も引けを取らない。宇根さんらの計算では計約九万六千円となった。人間とともに生存する多様な生物にも温かい目を持ちたい。 (桐山桂一)

2011.12.02

マシュマロ風船作戦

アメリカの市民団体が、クリスマスにむけて、アメリカで人気の高いお菓子・マシュマロ1ドル分を風船にいれて、北朝鮮に飛ばすというニュースhttp://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2011/12/02/0200000000AJP20111202001600882.HTMLをみつけた。

アメリカ大陸からは届かないだろうから、韓国から飛ばすのかな。

正攻法でうまくいかないなかで、寒さと食糧不足という事態は深刻に。

なんとかならないのだろうか。
私、5年前に、同じようなこと書いていて。いたって真面目なつもり。

北朝鮮へのアニメ的対応 可能性はないと思うけれど
http://tamy.way-nifty.com/tamy/2006/10/post_0f3e.html

2011.12.01

3年生と4年生もお休みします

***

小学館:「小学三年生」と「小学四年生」休刊へ(2011/12/1毎日jp)
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20111202k0000m040008000c.html

 小学館は1日、老舗の学習雑誌「小学三年生」と「小学四年生」を来年の3月号(2月3日発売)で休刊すると発表した。それぞれ1924年、23年に創刊。ピーク時の73年には82万~102万部に達したが、最近は3万~5万部と低迷していた。

 同社は休刊の理由を「総合的な内容の雑誌では、成長と変化が著しい小学生世代のニーズには合致しなくなってきている」などと説明。特に中学年は受験準備などで多様化、専門化が求められているという。

 同社は09年度いっぱいで「小学五年生」「小学六年生」を休刊した。「小学一年生」「小学二年生」は刊行を続ける。今後は中高学年の児童を対象としたムックシリーズで、新たな児童向けジャンルを開拓するという。
***

子どもの頃、時々読んでいて、大きくなるにつれて飽きた記憶もあるけれど。

思い入れのあるものがなくなるということは、とても感慨深いですね。

ちいさなことを大切に想える日々でありたいですが、

1年生と2年生には、先輩の分までがんばってほしいです(笑)

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