3.11後に感じたこと
年明けから「絆」の意味を考え、そして震災。
幸せって、ゆたかさって何だろうと思い続けた1年。
無力感にさいなまれた春、便利さと人との絆を考えさせられた夏、
忘れないということと初心をかみしめた秋、そして生きるということを振り返った年の瀬。
チャレンジしようと思ったことがなかなかできなくて何度も挫折して。
目標なんて、何度もなくなって。
人に伝えたいことが伝わらなくて、何度も悩んで。
それが生きるということなんだなぁと、やっと。
完璧なんて形はなくて、すべてにいい人なんていなくて、
迷い、惑い、後ろに下がったり、前に進んだり、少しずつ変わっていく中で。
感じたことを言葉にすることが大切なんだと。
そんな私が子どもの頃、小さかった頃、大人の歌と感じたのは、「ルビーの指環」と「もしもピアノが弾けたなら」。
その「もしも・・・」の西田敏行さん、福島出身。
今日の紅白で「この街に生まれて」を歌います。
その1週前のインタビュー、考えさせられます。
***
◇3.11後に感じたこと/西田敏行さん
(2011/12/25asahi.com マイタウン福島)
http://mytown.asahi.com/fukushima/news.php?k_id=07000741112240001
●子供たちの顔見て「負けてないな」
まもなく新しい年を迎える。郡山市に生まれ、中学生まで過ごした俳優西田敏行さん(64)に、今、何を感じているのか、福島への思いを聞いた。
◇
地震の時は大阪に向かう新幹線の中にいた。
「新横浜駅を午後2時29分に出て、熱海の手前あたりのトンネルで止まった。3時間か4時間ほど遅れて大阪に着いて、東北で被害が出ていると。翌日、東京の自宅に戻って福島の友人に電話をしたんですが、一切通じない。ラジオを聞いていると、原発がちょっとおかしくなっていると。水素爆発が起きて、これはただごとじゃない、あぁ、えらいことになったなと」
4月1日に風評被害対策として、郡山市のスーパーで県産品のPRをした。
「みんなこう……やられたって顔で。線量は問題ないんだけど、イヤだと思う人は買わないだろう、どっかにそういう思いがあったと思います。生産者の方たちも、子供たちを守る、放射線に対する恐怖、いろんなものがあるじゃないですか。無理強いして買ってもらいたいという思いにはなかなかならない、微妙な心理のあやを感じましたね」
個人的に、南相馬市にも行った。
「この目で被災状況を見たいと思って、震災から1カ月くらい後でしたか。ともかく、自衛隊か何かの車が行き来している、戒厳令下にあるような。時々、がれきのところで手を合わせている、『家族の方かなぁ』っていうような感じで。津波によって、根こそぎ生活を海底に引っ張っていってしまうような負のエネルギーを、寒気が走るほど感じましたね」
母校の郡山市立小原田中学校の創立50周年記念式典に参加。「豊かな福島を取り戻すため、大人になって県政や経済、文化で活躍してほしい」と語りかけた。
「みんな熱狂的に迎えてくれました。子供たちの顔を見て、そういう言葉が口をついて出てきました。僕を笑顔で迎えてくれたっていうことに特に感動して、『あ、負けてないな。君たちは負けてないな』って」
夏には、双葉町民が避難している旧埼玉県立騎西高校に出向き、Tシャツを差し入れ。ラーメンを800食ふるまった。
「みなさん、着の身着のままで来られたと聞いてましたし、夏は汗をかくだろうと。ラーメンをすすってると大体みんな幸せそうな顔になるんですよね。ラーメンの効力っていうか。そういう気持ちになってもらおうかなって」
●幸せって何 考える時期に来てる
朝日新聞のインタビューで4月、「怒りの声を張り上げたい」と話した。
「ええ、怒りを覚えました。僕は原子力エネルギーというのは人間がコントロールできるものではないとずっと思っていた人間ですから。経済発展のために欠かせないエネルギーということで国策でどんどん進められて、推進してきた人たちは日本の原発は事故は起きないと豪語していたわけですから。その言葉を信じて、というかどっかで折り合いを付けて福島に立地されたわけですよね。そういう部分で葛藤みたいなものは福島県民の中に多くあって。原発で働きながら暮らしてきた人たちにとっては、なんだろうな、被災者でありながらどっかで加害者であるみたいな気持ちを持っているような気がするんですよね。そういうところに追い込んでしまうこと自体、原発は人々を平和にっていうか、幸せにしないなぁって思いますねぇ」
新たな価値観が生まれることを期待している。
「大切なもの、幸せって何だろうってことを本質的に考え始めている時期に来ているのかな。『経済』が人の暮らしの最も重要なキーになるのか考え直したらどうなんだろう。便利さを求めいろんなものを求め、人間はどんどん飽くなき欲望の中に行くわけですけれど、もう歩かなくてもいいんじゃないか。どこに向かって歩いてんのか見えなくなるくらいみんな先を急ぐんだけど、その先って何なんだろうって思い始めて。21世紀はその先を考える世紀だと思います」
福島のニュースはいつも気になっているという。
「この間も、コメの線量が基準値を超えたって。東京電力福島第一原発って必ずトップ項目に入ってきますから。でも、トップ項目にないと困るなっていうのもどっかにありますね、収束していない以上は。『あれ? 原発はもう収まったんだっけ?』みたいな会話はさせたくない」
●ふるさと--親を思う心境かな
福島で情操を育ててもらったと発言している。
「田舎で育ったことのプライドというか誇りというか、福島からいろんなものを育んでもらった。僕らは阿武隈川で泳いでいましたから。上流で牛を洗っているオヤジがいて、その牛が気持ちいいのか、放尿するわけです。そうするとビールの泡みたいなものができる。それが下流に向かって流れてくるんだ。見張り役が『牛のションベンこっち来まーす』って。みんないったん川から上がって、泡をやり過ごしてまた泳ぐ、みたいなね。いいなあ。子どもたちの歓声とか、嬌声(きょうせい)が。生き生きしているというか喜々としているというか、子供がちゃんと子供の声を上げている場所だったような気がするんですね」
「街にはおやじが連れて行ってくれる映画館があって、子供の映画も、R指定が付きそうな映画も見ることができた。猥雑(わいざつ)な、でもシンプルな文化を吸収している自分がいて。そういったものが交錯して、俳優西田敏行の原型をつくったんじゃないかな」
仕事に区切りが付いた時や、気分転換をしたい時には福島に帰ってくる。
「磐梯山や安達太良山を見ると、なんか元気になるんですよね。小学校、中学校の友人がいて、『会社休んできた』とか言って集まってくれる。こっちの都合で行っているのにね。もうそれで十分ですよね、ふるさととしてのありようは」
震災後、ふるさと福島への思いはますます強くなっているという。
「母親とか父親に思いを寄せることに似ていると思うんですね。親が憎いとか近親憎悪的な思いを持つ人もいるだろうし、親孝行しなければいけないなという思いを持つ人もいるだろうし。でもやっぱり、母親あるいは父親が病気で倒れたら、何とかがんばって元気を出して回復してほしいという子供の心境かな。そういう思いの中にいます」
(木村俊介)
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