「変わりまっせ」? 心配やねん、大阪が
毎週読んでいるコラム。
直接的な政治ネタは珍しく。
来週に続くという。
楽しみなのはコラムの展開で、心配なのは私も大阪のこと。
しあわせのトンボ:心配やねん、大阪が=近藤勝重
(2011/12/2毎日新聞東京夕刊)
http://mainichi.jp/select/opinion/kondo/news/20111202dde012070058000c.html
「2人が府市を合わせて不幸せ返上。大阪は変わりまっせ」
大阪のダブル選挙の翌日、大阪市内で拾ったタクシーの運転手さんは聞いたようなダジャレを飛ばして陽気だった。2人とはそれぞれ大阪市長と大阪府知事に当選した大阪維新の会代表で前府知事の橋下徹氏と大阪維新の会幹事長、松井一郎氏である。運転手さんは言ったものだ。
「そやけど知事の名前、ぜいたくですなあ。松井とイチローでっせ」
開票日当夜はMBSラジオの開票特番に出ていたが、2人の圧勝に、ぼくは「心配」「懸念」を何度も口にすることになった。気になる一つは大阪の都市個性の問題だ。戦時下の1943年に国策上、府、市を統合した政治の都、東京に比すれば、大阪は民の都、民都である。反権力の大阪に政治力で造る「大阪都」が本当にふさわしいのかどうか。
このところ、東京のメディアも「橋下ネタ」が目立つ。「大阪の挑戦」といった調子ではやされるのは今に始まったことではないが、過去、そういう話題の大半は「おもろうて、やがてかなし」で終わっている。
阪神タイガースの03年のリーグ優勝や85年の「日本一」の時も、東京のメディアは「阪神でこの国は変わる」「大阪の逆襲」とはやし立てた。さかのぼれば老将、藤本定義監督率いた62年と64年もVを呼び込んだが、同じ64年の東海道新幹線開業で東京に何もかも吸収され、気がつけば巨人のV9、東京=巨人の時代になっていた。「大阪が変わる」とはやされ、変わったためしはないのである。
「大阪は、たかが一つの都市であり、一応東京に対立し、在来の日本思想の弱点に気質的な修正を与へうる一部の長所があるにしても、それはただその点に就(つ)いてだけで、全部がさうであるわけでもなく、絶対のものではない。反逆は絶対のものであり、その絶対の地盤から為(な)さるべきものであつて、一大阪の地盤によつて為さるべきものではない」
戦後、坂口安吾が書いた「大阪の反逆」からの引用だが、今度こそが「絶対の反逆だ」と言いたげな向きもある。しかし橋下氏がいかに人気者でも、やたらと権力を振りかざせば、大阪人は「どうも好かん」と反権力の本性を現すだろう。その地に根差す文化というのは、乱暴な変化にはあらがうものだ。
心配事、多々あり、次回も同じテーマで。(専門編集委員)
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