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2011.12.31

特別な1年 最後に伝えたいこと

12月30日に、宮城県の全避難所が解消され、気仙沼の最後の2世帯が退去したというニュース、知らない人の方が多いはず。

これからやっと、という状況。まだまだという状況。

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◇宮城の全避難所解消 気仙沼、最後の2世帯が退去
(2011/12/31河北新報)
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/12/20111231t15011.htm

 東日本大震災の2次避難所になっていた宮城県気仙沼市の気仙沼ホテル観洋で30日、2世帯9人が退去し、市内の仮設住宅に移った。これで宮城県内の全ての避難所が閉鎖された。
 最後の避難者となった同市の主婦小山あけみさん(49)はこの日、午前中から部屋の掃除に追われた。「次のお客さまのためにきれいにしなくちゃね」。ぞうきんで窓ガラスの汚れを拭い、冷蔵庫の霜取りもした。
 9カ月半に上る避難生活は「出口の見えないトンネルを歩いているようだった」と振り返る。今月上旬にようやく市内の仮設住宅への入居が決まり、少しずつ引っ越しの準備を進めていた。
 「家族のように親身に接してくれたホテルの従業員には感謝の言葉が見当たらない」。フロントの従業員から正月用の花を渡され、午後5時40分ごろホテルを後にした。
 2次避難所を担当した市観光課の加藤正禎課長は「長い間不自由な生活をさせて申し訳なかった。いい新年を迎えてほしい」と話した。
 宮城県内では震災直後、全35市町村に計1183カ所の避難所が設けられ、約32万人が身を寄せた。仮設住宅などの完成で次第に解消され、今月22日には気仙沼市に唯一残っていた1次避難所が閉鎖された。

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現在でも、宮城以外も含め、仮設住宅などに避難・転居している人は、33万人にのぼるといいます。

急増とも言えるこの数に驚いたのは、私もです。実際に発表された数が急増したのです。

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◇支局長からの手紙:あの日に帰るには /兵庫
(2011/12/28毎日新聞兵庫版)
http://mainichi.jp/area/hyogo/news/20111228ddlk28070327000c.html

 東日本大震災から8カ月たった先月中旬、政府は突然、避難者の数をそれまでの7万人から33万人へと大幅に修正しました。肝心の被災地である岩手、宮城、福島3県の公営・仮設住宅に入った人数の把握が遅れたという信じがたい理由です。

 各地に避難せざるをえない被災者をどう支えていくべきかをテーマにしたシンポジウムが今月、近畿弁護士会連合会の主催で開かれました。基調講演をした兵庫県弁護士会の津久井進さんは、この避難者数の訂正に「だれも正しく把握できていなかったということは、被災者がどこで何をしているのかがわからないということ。これでは漂流生活を余儀なくされてしまう」と声をふるわせました。

 県外避難者の存在が忘れられた阪神大震災を教訓に、国は、避難先の市町村を通じて避難者の情報をつかむ制度を導入しました。でも、これではとてもシステムとは言えません。震災復興の司令塔となる復興庁が来年2月をめどに発足します。避難者を支援する人たちが、県外避難者の生活再建の政策を専門にした部局の設置を求めるのももっともです。

 シンポジウムで発言した宮城県女川町の男性は、津波で家を流され、高校の体育館で100日間過ごしました。家族が闘病中のため通院できるところを探すしかなく、妻の実家のある大阪へ。市営住宅に住み、派遣業務で社会福祉協議会に勤めることができたものの、いずれも来年3月に期限が切れます。住と職の保証はそれまで。住宅ローンも残っており、「乗り越えないといけない気持ちはあるが、先の見通しがたたない不安を何とかしてほしい」と。

 緊急避難した公営住宅の入居や臨時雇用の期限を来春迎える人が各地に大勢います。それでも、家に戻ろうにも戻れないのが被災地の現状です。長期的視野に立った県外避難者を支える施策が急務なのは言うまでもありません。

 関西の学者や弁護士らによる研究会が昨年1月に公表した災害復興基本法の試案は、「復興の主体は被災者」と明記しています。津久井さんも作成にたずさわりました。100年後を目指した都市の復興より、今そこにいる被災者の救済を優先すべきという理念が条文にあります。

 さかのぼること88年前の関東大震災。内務大臣の後藤新平は、理想的な帝都建設の絶好の機会として復興計画をつくります。これに対し、大正デモクラシーの旗手として著名な経済学者、福田徳三は「復興事業の第一は、人間の復興でなければならぬ。道路や建物は、営生(生活・営業、労働)の機会を維持し、擁護する道具立てに過ぎない」と主張しました。人間復興がこれまでの災害で得た最大の教訓でないかというのが、弁護士として災害復興支援にあたる津久井さんの強い思いなのです。

 避難者が希望と夢を持つことのできる社会的な仕組み、つながりをどのように築いていくか。年があらたまっても忘れずにいたいことは、すべての被災者の心の中にある「あの日に帰りたい」という原点でしょう。【神戸支局長・二木一夫】

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被災地宮城の地元紙・河北新報が今年最後の紙面に大きく載せた記事、その保育士の人形劇の様子が、特別な1年の象徴のように感じます。

特別な1年 感謝伝えたい 寄り添いたい 宮城
(2011/12/31河北新報)
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/12/20111231t15021.htm

被災者ではありませんが、私にとっても特別な1年でした。

このブログを見てくださったみなさんにあらためて感謝しています。

みなさんにとって、そして私にとっても来年がよりよい年になりますように。

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