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2011.12.05

学校給食122年

学校給食の発祥が1889年の山形地方だということを最近になって知った。

先日、「おにぎり給食」が再現されたという。

ルーツをたどり、大切さを知るということが減っている。

写真でも、塩おにぎりを食べる子どもたちは満足そう。

122年でどれだけ充実してきたのか、考え合いたい。

食べ物を大切に 鶴岡地域学校給食 明治時代の献立再現
(荘内日報2011/12/4 ※山形の地方紙)
http://www.shonai-nippo.co.jp/cgi/ad/day.cgi?p=2011:12:04

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コメント

充実してきた反面これでいいの?という献立を聞くことも少なくない。
小学校に行って、運動量が減り、その割に…なんてメニューを聞くこともあり…。

午前の活動の関係で、給食のごはんをその場で私がにぎり、(食べやすいのでもスピードUPするもんで)おにぎりに。おかずもあるし、というわけでほんとにそのままで。「寒いからとにかくおにぎりと汁は冷めないうちに食べなね」と。
「このおにぎりうまい!」といい嬉しそうにおかわりまでしていました。(おかずも食べ終わった後で)

小さい時期の食生活の崩れから、対応して食べてもらいやすいものになってしまっているという多様化も感じながら

同じものを一緒に食べる!食育の中での大きなポイントにしたいですね。

育てるという点でも義務教育時期の給食大事にしてもらいたいところですね。

読んでないけれど、変わった献立が本になったりもしたようで。

変な献立も問題だけど、「ない」ってのがどうも納得いかなくて。

おにぎりいいね。力になるし。

きびだんごじゃなく、おにぎり持って、鬼斬りに

パンとバラを!(ブレッドアンドローズ)という言葉があるけど、日本なら、おにぎりと、何なんだろうと惑う日々です。

同感です
私の住んでいる市は自校給食をうたっていて、それもあったおかげ(?)で、保育園の外部搬入の話のときも流れに乗らない方向で。(次に市長になった人は売りだと知っていたか怪しいけど…)
「おにぎりと○○」やっぱり笑顔でしょ
型にはめ込んだ既製品ではなく、にぎったもの限定ですが…。

白飯が苦手でもおにぎりだと食べられる子も。子どもも親も嬉しい!?一枚の海苔だけでもものすごいごちそうになってしまうようで…。
保育園の給食もごちそうで。最近は、汁ものも温め直して、おかわり。おかわりできるというのも給食の特権です

おにぎりと笑顔、いいね。

手抜きの機械じゃなく、人の手でつくるものがおいしい。

知ってる人がつくるものがおいしい。

おいしいと言われるとありがたい。

今年を振り返っても、そんな関係が弱くなるんじゃなくて、強くなるといいなと思う年の瀬です。

そのために、手塩にかけて、がんばるぞ。

余談:最近も、身近な人たちと「給食」食べに行きました。

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