「新成人の6割強が被災地を支援」とある。
毎年行っている大手時計メーカーSEIKOの新成人対象の調査。
今回の設問は震災に重きが置かれている。
詳しい傾向は下記にまとめられている。
SEIKO 2012年新成人の東日本大震災に関する支援実態と意識調査
(セイコーホールディングス2012/1/5)PDFファイル
http://www.seiko.co.jp/dev/data/doc/20120105.pdf
「6割強」も、なのか、6割強しかなのか。
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朝日新聞社説2012/1/9
成人の日に―尾崎豊を知っているか
ああ、またオヤジの「居酒屋若者論」か、などと言わずに、聞いてほしい。
キミが生まれた20年前、ロック歌手・尾崎豊が死んだ。その時のオヤジより少し下の26歳。雨中の追悼式に、4万人が長い長い列を作ったものだ。
新聞には「高校を中退し、自由を求めて外に飛び出した彼の反骨精神が、僕を常に奮い立たせていた」と投書が載った。
彼が「卒業」「15の夜」といった曲で歌ったのは、大人や社会への反発、不信、抵抗。恵まれていないわけじゃないのに、「ここではない、どこか」を探し、ぶつかり、傷つく。
その心象が、若者の共感を呼んだ。尾崎の歌は高校の教科書にも採用されたほどだ。
ところが最近は、うんざり顔をされることが多いらしい。
オヤジと同世代、精神科医の香山リカさんは毎年、大学の授業で尾崎豊を聴かせ、感想を問うてきた。ここ数年「自己中心的なだけじゃないか」「何が不満かわからない」と、批判的な意見が増えているという。
教室に居並ぶのは、親や世の中に従順な若者たち。キミと同い年なら、石川遼くん?
でも、就活の道は険しいし、滑り落ちたら、はい上がるのは難しい。時代は、尾崎のころよりずっとずっと生きづらい。
だけどキミたちは「自分にスキルが欠けるから」と、どこまでも謙虚だ。格差も貧困も「自己責任さ」と、受け入れてしまっているようにみえる。
尾崎豊はどこへ行ったのか。
あの時の尾崎と同じ26歳、気鋭の社会学者、古市憲寿さんには「オヤジよ、放っておいて」と言われそうだ。
近著「絶望の国の幸福な若者たち」では、20代の7割が現在の生活に満足している、との調査結果を紹介している。過去40年で最高だ。
将来の希望が見えないなか、未来を探すより、親しい仲間と「いま、ここ」の身近な幸せをかみしめる。そんな価値観が広まっているという。
なるほどね。いくら「若者よもっと怒れ」と言っても、こんな社会にした大人の責任はどうよ、と問い返されると、オヤジとしても、なあ……。
でも、言わせてもらう。
私たちは最近の社説でも、世界の政治は若者が動かし始めたと説き、若者よ当事者意識を持てと促した。それだけ社会が危うくなっていると思うからだ。
だから、くどいけれど、きょうも言う。成人の日ってのは、そんなもんだ。
ともあれ、おめでとう。
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年明けに「絶望の国の幸福な若者たち」を書店で手にした。まだ読んでいないが、以前から気になっていたもの。
かつて、雇用をしばるルールを自由にして、競争をあおれば、格差がある程度出たとしても、物価が下がり、幸せになれると主張する向きが政治の中枢にあった。
非正規化、貧困、就職難、年金をはじめとする社会制度不安の中心にいるはずの若い世代。
その社会や政治への意思表示は極めて見えにくく、過去と定義や程度はちがっても「幸福」を感じているとしたら・・・。
私なりの世代論(世代の区切りが必要なのかどうかも含めて)を、さまざまな前提を一回は疑いつつ、まとめなければ。
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