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2012.01.07

ひとつ、ひとつ 記者の目

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◇記者の目:被災地を取材して半年=神足俊輔(三陸支局)
(2012/1/6毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20120106ddm004070005000c.html

 ◇神足(かみあし)俊輔
 ◇「でもね」に続く言葉、伝えたい

 東京の前任地を離れ、岩手県三陸沿岸の東日本大震災の被災地で取材を始めてから、半年がたった。大事な人を失った悲しみ、生き残ってしまったことに対する自責の念、将来への不安……。毎日のように被災者の思いに触れる。そして、家族や友人と過ごす時間など、これまで自分が「当たり前のもの」として受け入れてきた存在の大切さを、いま思い知らされている。

 ◇「仮設できれば」考えが甘かった
 新年を私は担当エリアの一つ岩手県大槌町の中心部にある大念寺で迎えた。この寺に毎年歩いて初詣に来ていたというクリーニング店経営、佐々木嘉一さん(41)は、7キロ離れた仮設住宅から車で訪れ、鐘を突いた。寺には震災で亡くなった同級生が眠る。津波で全壊した店を12月に仮設商店街で再開した。「進んでいくしかない」と語った後、「本当は、スタートラインにも立てていない。正月という感覚はない」と漏らした。

 大槌町の死者・行方不明者は1300人以上。町長はじめ町職員39人も犠牲になり、3000戸以上の住宅が全壊した。私が赴任した昨年6月、仮設住宅の建設は進まず、入居率は県内で最低。震災前の人口の約4割、6500人が避難所で暮らしていた。

 赴任直後に訪れた同町の避難所の一つ、安渡(あんど)小学校には町の防災計画の想定人数の2倍以上、250人がいた。1人当たりの居場所は布団1枚程度。人がひしめいていた。震災から3カ月になるのにまだこんな状況なのか、と衝撃を受けた。仮設住宅に入れるようになれば状況は改善するだろう。そう考え、仮設住宅建設を促す記事を書いた。

 8月になると大槌町でも全避難所が閉鎖され、生活の場は仮設住宅へ移った。そこで取材を進めるうち、「仮設住宅ができれば」との考えが甘かったことに気づかされた。

 11月9日付夕刊(東京本社版)の「仮設が自分の家とは思えない」という記事で紹介した佐々木テルさん(82)は、4畳半の狭い部屋での不自由な暮らしを一通り話してくれた後、友人と離ればなれになってしまったつらさを語り、「夜になると、涙が出てしまうんだよね」とぽつりと漏らした。それまで明るく振る舞っていたテルさんからは想像もできない一言だった。

 テルさんのお宅にはそれからも何回かお邪魔している。「お茶っこ飲んでいき」。いつも笑顔で迎えてくれる。部屋に入り、なんでもない世間話をする。ふと会話が途切れた時、「やっぱり、涙が出るんだよね」とこぼす。

 夕闇が迫る頃に辞去する私を、テルさんは必ず玄関先で見送ってくれる。「気をつけてね。今日はありがとう」。私が帰れば、1人になってしまう。私の車のミラーに映るテルさんの影がいつも、たまらなく悲しく映る。

 同県釜石市の女性(34)にはまだ小さい息子が2人いる。震災当時、35歳だった夫は職場のあった大槌町から家族のいる釜石市に車で戻る途中、津波で行方不明になった。

 11月に遺体が見つかったが、彼女は、その直後に取材に応じてくれた。「以前と変わらない振る舞いに友人が驚く」と話す彼女とは、33歳の私と同世代ということもあり、2時間以上話し込んだ。そして話が途切れかけた時、「でも、やっぱり家族連れを見ると、思い出しちゃうんですよね」と、ぽつりと漏らした。「周りも大変な人ばかり。誰にも話せない」と続けた。

 「話を聞かせてください」。その一言から始まる被災地での取材。ぽつり、ぽつりと口を開いてくれる人もいれば、問わず語りを始める人もいる。「がんばんなきゃ」「復興しなきゃ」。だが、前向きな言葉の後に、たいていの人が「でもね」と言う。そしてその「でもね」の先は、一瞬にして失ってしまった、これまでの日常生活への思いに向かうことがほとんどだ。

 ◇当たり前の日常、大切さに気付く
 赴任後、居を構えたのは同県大船渡市の被災を免れたアパートだった。同い年の妻と2歳の娘を東京に残しての単身赴任である。近くに商店や飲食店はなく、昔からの知人と言えば同じ棟に住む同僚記者だけ。車で片道1時間かけ、大槌町や釜石市を行き来する毎日だった。

 東京で勤務していたころ、同僚と仕事帰りに酒を飲みに行っていたこと。家に帰ったら家族が迎えてくれたこと。日常、当たり前のようだったこれらの一つ一つが、自分の人生にとって、とても大事なものだったことに、改めて気付かされる。「でもね」の後に語られる言葉を伝えること。被災地に新しい「日常の生活」が少しでも早く訪れるよう、書き続けること。今、それが記者としての自分の役割だと思っている。
***

ひとつ、ひとつの大切さ。

おそらく、3月のちょうど1年を迎えるまで、報道は激減していく。

そしてその後はもっと忘れられるかもしれない。

目の前のひとつ、あのときのひとつ。

忘れないように、向き合えるように。

気づくことの大切さを、心にかけて。

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