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2012.11.06

湯浅誠さん、都知事選に不出馬

東京都知事選挙に湯浅誠さんが出馬しないことを明らかにした。

期待していたので残念。

昨春の都知事選にあたっても擁立の声があがり、その時も報道によれば弁護士の宇都宮健児さんや作家の辻井喬さんらが動いていたようだった。

現状を見据え、どう戦略を持つか、下記の不出馬宣言のなかでも視点は鋭く読んだ。

***
■湯浅からのおしらせ

都知事選についてのコメント
(11月4日執筆、6日発行)
http://yuasamakoto.blogspot.jp/2012/11/2012116.html
  この間、多くの方から、都知事選についてお問合せなどいただきました。ご推薦
いただいた方もおられて光栄かつ恐縮でした。率直に申し上げて、今回の都知事選
で私が「勝てる候補」などと言われるのは、ほとんど身の丈に合わない話と思わざ
るを得ないので、わざわざ態度表明するのもどうかと思っていました。しかし、新
聞紙上でも取り沙汰されるようになり、沈黙していることによる不利益も生じかね
ない情勢になってきたことから、コメントしておきたいと思います。結論から申し
上げると、出馬はしません。
   以下、この間の経緯や考えたことを書きます。

  1)大きな社会状況として、すでに数多くのご指摘があるように、橋下維新、石
原新党とつづく世の中の流れには、私も危機感を持っています。石原さんが事実上
の後継者として指名した猪瀬直樹さんが石原都政路線を引き継ぐのだとすると、ま
た、出馬を取り沙汰されている東国原さんが橋下さんとの連携を示唆されているの
だとすると、この間の流れも踏まえつつ、それに違和感を抱いている人たちの思い
を集結させられる対抗馬の擁立(オルタナティブの提示)は必要だと、私も思いま
す。
   2)ただし、1000万人を超える有権者を抱える巨大都市・東京都の知事は、広範
な人々の利害を調整する官僚機構と良好な関係を保ち、企業から生活者を含めた多
様な人々に共感を得る必要があります。イメージとしては、1000万人有権者を自分
から近い順に一列に並べたときに、真ん中(500万人目)からちょっと先くらいの人
たちに言葉を届けられるくらいの幅の広い陣容を組めるかどうかが重要に思います。
   3)では、それは誰か、となるのが選挙です。固有名が出ないことには選挙にな
りません。ただし、その前段階では「こういう人」というイメージが必要です。私
のイメージは以下のようなものでした。

  ①原発事故以降、飛散する放射能や食の安全に対する不安は高まっています。そ
れは社会運動や市民活動に参加したことのなかった人たちも抱いています。人によ
っては濃淡があって、人によっては漠然としてもいる不安感を抱く人たちが共感で
きる人が望ましい。上から降ろしたような脱原発・反原発ではなく、重要なのは「
生活者としての共感でしょう。したがって生活者目線を(「生活者目線!」と訴え
るだけでなく)体現している人が望ましい。
   ②加えて、グローバル化が進行する中、グローバルな競争関係にいかに対処する
か、という知見も必要です。とりわけ巨大都市で一人勝ち状態の東京では、「東京
が牽引役」と漠然と感じている人が多いと思われます。直線的なグローバル批判よ
りも、多様性(ダイバーシティ)、普遍性(ユニバーサル)をキーワードに、「グ
ローバルとは競争の激烈化とイコールではない」「多様性と普遍性の尊重が発展と
成長につながる」という主張を説得的に展開でき、それを体現するグローバルなキ
ャリアを持った人が望ましい。
   ③石原新党や橋下維新の諸政策を「新自由主義」と断じる人たちは、どんな対抗
馬でも票を入れる。しかしそれだけでは数十万票規模にしか達しないだろう。むし
ろ問題は「あのマッチョな感じについていけない」と肌感覚で違和感を抱いている
人たちの共感を得られるかどうか。ソフト・柔軟・親しみといった対極的な諸要素
を併せ持つ人が望ましい。
   ④知名度や実績は高ければ高いほどいい。ただ、仮にそれほどの高い実績や知名
度がなくても、諸分野の専門家のバックアップや候補者に欠けているものを補う態
勢の担保を選挙戦中から示すことで、知名度不足からくる不安感、不信感をできる
かぎり払拭することは不可能ではない。
   その他、政党人でないことなど、さまざまな要素がありますが、ここでは割愛し
ます。

  4)そのようなイメージから、私は今回、都知事選には「生活者としての立ち位
置とグローバルなキャリアを併せ持ち、猪瀬さんや東国原さんとは対極的なキャラ
クターを持つ女性」が望ましいのではないかと考え、それに当たる人を探しました
。幸い、お一人おられたので、11月頭に急遽お会いしてお話してみましたが、残念
ながらお子さんが小さいことなどから固辞されました。この時点で、私にとってベ
ストの候補はいなくなり、あとは誰がベターかという話に移りました。
   5)「勝つ」ことが困難でも、「勝てない可能性が高いが、オルタナティブを提
示し、一定の票を獲得することで、異なる民意を示す価値のある選挙戦ができるか
」という次元もあり得ます。理想的な形は作れなくても、意味のある選挙戦ができ
れば、それは都知事選に続く衆議院選挙、都議会議員選挙に向けて、オルタナティ
ブを望む少なからぬ都民の存在を可視化できる(それは、都知事選を、次の総選挙
で自分の政党の得票数増加に結びつけようといった個々の政党の思惑とは別のレベ
ルの話として)。そのラインは、過去2回の選挙で次点候補が獲得した169万票だろ
うと思います。対戦候補によってはそれだけ取っても勝てないかもしれない。しか
し、次点候補がそれ以上の票数を獲得したのは1975年以来ありません。オルタナテ
ィブを提示しつつ、それだけの票を獲得したとしたら、仮に選挙で勝つことができ
なくても、一定の民意を示したと言えるのではないか、と思います(もちろん「選
挙なんだから勝たなくては意味がない」という言い方もありますが…)。
   6)そのためには、いわゆる「左派」系の政党を支持している人の数では到底足
りません。それ以外の100万人近い人たちが支持してくれないと、その数には至りま
せん。これは、投票する人たちの5人に1人という気の遠くなるような数です。現在
の社会運動の広がり具合、浸透具合を冷静に見るかぎり、その人たちが仮に現在の
石原新党、橋下維新といった流れに何らかの違和感を抱いているとしても、同時に
社会運動や市民活動にも違和感や拒否感を抱いている可能性は少なくない。「どち
らを選ぶか」と問われれば「まあ、どっちもどっちだろうけど、まだ前者のほうに
実績と勢いと展望があるのではないか」「後者では、東京がどうなってしまうかわ
からず不安だ」と感じる人も少なくないのではないかと推測します。危ないのは「
石原新党、橋下維新に違和感を抱いている人は少なくないはずだ」という点に重き
を置きすぎて、「自分たちに違和感を抱いている人も少なくない」という点を軽視
したり忘れてしまうことです。
   7)そうだとすると、目指すべき戦略は、①社会運動や市民活動に対する不安や
不信感をいかに払拭し、②相手候補に対する違和感にいかに明確な言葉を提供でき
るか、ということになります。②は社会運動や市民活動が比較的ふだんからやって
いることで、相対的な得意分野と言えるかもしれません。①は比較的ふだんから忘
れられがちなことで、相対的な不得意分野です。しかも①と②はバーター関係にあ
り、どちらかに偏りすぎると他方を失いますから(先鋭化すれば広がりを失い、広
げすぎれば無原則となる)、両者が得票数最大化に向けて絶妙のバランスを取るよ
うに工夫する必要があります。それは容易なことではありません。選挙の事務局内
でも「ここが均衡点」の判断は分かれるでしょう。容易ではないから、今まで勝て
ませんでした。そして、①が不得手で②が得意なのだとすれば、当面力を入れるべ
きは、当然不得意分野である必要があります。
   8)そのためには、自分たちにないものを補っていく布陣が必要です。実績不足
については実績のある人を、不安に対しては安心感を与えられる人を、不信感に対
しては自分たちと対極にいるような人でチームを構成し、応援団に配置できること
が望ましい。もちろんそれも容易なことではありません。ないものを補ってくれる
ような人たちが、社会運動や市民活動に不安や不信感を抱いている可能性も少なく
ないからです。だからこそ、対話と調整の技法が必要です。それができなければ、
結局選挙戦も広がりを欠くものになります。そして選挙が組織戦でもある以上、社
会運動や市民活動に携わる一人ひとりがそれを身につけていかなければ、候補者だ
けにその広がりの獲得を期待しても、無理な話です。結局、草の根ベースで一人ひ
とりがそれをできるかどうかが、選挙でも問われることになります。その点は、社
会運動や市民活動の日々の現場と変わりません。『ヒーローを待っていても世界は
変わらない』ゆえんです。タテに突き抜けるような一点突破型の手法だけでいける
なら、そもそも苦労はありません。
   9)諸般の事情から、今回の都知事選で私自身がそれを担うことは不可能になり
ました。当初から自分自身についてはきわめて消極的でしたが、現在では完全にゼ
ロです。「諸般の事情」については、いずれご説明する機会も来るかもしれません
が、いま詳細を述べることは差し控えます。ご了承いただければ幸いです。

  最後に、蛇足ながら一つだけ。11月4日の朝日新聞紙上(東京都版)で、私のこ
とについて以下のように報じられています。「『失敗した。石原氏がここで辞める
なら、東京にいた』。10月末、立候補を求めにきた脱原発運動の関係者に漏らした
という」。これは事実無根か、またはかなりの歪曲があると思います。そもそもカ
ギ括弧付の一人称で紹介されていますが、朝日新聞からこの発言を確認されたこと
はありません。「脱原発運動の関係者」という匿名の者からの伝聞を私の第一人称
の発言として紹介するのは初歩的なルール違反ではないかと思います。そもそも大
阪でも活動を始めた目的は、私にとっては上述した都知事選で焦点化されている課
題と同根であり、石原氏が辞任するまで、このタイミングで辞任する可能性がある
ことを予期していなかったことはうかつだったと思っていますが、大阪に来たこと
を「失敗だった」とは考えていません。この点、当日のシンポジウムの記録が残っ
ているようですので、自分自身の正確な発言内容を確認した上で、朝日新聞に対し
て、しかるべき対応を取りたいと思います。

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