カテゴリー「2013震災」の記事

2013.02.24

わすれない~原発と牛飼い それから~

3月で東日本大震災から2年。

去年の3月11日は、福島で過ごしました。

今年の夏も、福島へ行きました。

最近、都内で開催された福島にかかわる2つの写真展で、厳しい実情を目にして。

また行きたくなりました。

3月は、テレビでも震災関連番組が続きます。

注目のひとつが以下の番組です。番組ホームページから。

***

フジテレビ「ザ・ノンフィクション」
わすれない~原発と牛飼い それから~

3月3日 14:00~14:55
http://www.fujitv.co.jp/b_hp/thenonfx/
全村避難の福島・葛尾村。故郷に戻り再び酪農の暮らしを取り戻すために奮闘する一家。しかし進まぬ国の除染活動。ついに独自である除染実験を行う。結果は驚くものだった

2011年8月に放送した「わすれない~原発と牛飼い」、そしてその後も含めた630日に渡る長期密着取材から、私たちは放射能と闘うひとつの家族の物語を追った。

福島第一原発から20~30km圏に位置する福島県・葛尾村。人口1500人あまりの小さな"牛飼いの村"だ。全村避難中の村人たちが直面しているのは、放射能により汚染された故郷、長年連れ添ってきた家族や家畜、土地との別れ、そして終わりの見えない「見えない脅威」への不安…。皆がこの状況にどう取り組んでいるのか、行政に、社会にそして自然に対し、どのような想いを抱きながら生きているのか。その現在を追い、将来の可能性を考える。
                  ◇
葛尾村で酪農を営む佐久間信次さん(61)。妻と息子・哲次さん(35)、娘・ルリ子さんの一家全員で約100頭の乳牛を育ててきた。「佐久間牧場」は信次さんの父が土地を開拓し、苦労して今の牧場に築き上げた場所。そのため家族全員の想いが強く、特に生まれた時から一緒に育った牛たちに対して哲次さんもルリ子さんも深い愛情を抱いていた。しかし、そんな佐久間一家も村が計画的避難区域に指定されたことにより、辛い決断を余儀なくされる。牛たちは、成牛は食用肉として売却、子牛は県外の牧場に引き取られることに。生活を支えてくれた牛を死なせなければならない悲しみ、生まれ育ち築いてきた自分たちの土地を離れなければならない切なさ、行政に対する怒りが次々とこみ上げる。
自ら入手した放射線量計が示す高い線量の値を見つめながら、それでも村に戻る熱意を失わない佐久間家。哲次さんは、意を決し村会議員選に立候補する。そして村会議員になり、村の除染作業に関わって分かる除染作業の厳しい現実。自分たちの力で何か…と哲次さんが着手したある取り組み、それは4000ベクレルにも達する畑を除染して農作物を作るという実験だった。そして、驚きの結果が…

放射能の除染は可能なのだろうか?汚された故郷は本当に甦るのだろうか?

2013.02.10

キ・ボ・ウ~全村避難 福島県飯舘村二年の記録~

先日、東京都内で開催されていた、福島県飯館村の様子を写した写真展を観てきました。

撮ったのは、プロではなく、自らも飯館村の被災者の長谷川健一さん。

その長谷川さんも登場し、「地元福島テレビが、徹底的に地元からの目線にこだわり、その700日を追うドキュメント」が放送されます。

2月11日(月)10:30~11:25(テレビ朝日) 
キ・ボ・ウ~全村避難 福島県飯舘村二年の記録~

※地域で放送日時が若干違います。

番組ホームページ
http://www.minkyo.or.jp/01/2012/12/002727.html
で注目の内容と日時をご確認ください。

2013.02.04

飯館村で何が起きたのか 写真が語る震災の傷跡

2/2~2/12森住卓写真展「風下の村」新宿コニカミノルタプラザ

新宿駅東口すぐにあるコニカミノルタプラザ。

今までも何度か写真展を見に行ったことのある場所です。

福島の飯館村で何が起きたのか。

説明責任も果たされないまま、避難が指示されたときの人々の表情が、

出荷できない中で収入が減り、飼料も減るなかで痩せ細りながらも乳を必死に出す牛の姿が、

そこにありました。

あと1カ月で未曾有の東日本大震災から2年を迎えます。

忘れないように、条件のある方はぜひ。

森住卓のフォトブログ
http://mphoto.sblo.jp/

コニカミノルタプラザ ウェブサイト ギャラリー(写真の一部をみることができます)
http://www.konicaminolta.jp/plaza/schedule/2013february/gallery_c_130202.html

2013.02.01

福島の女子高生の叫び、農家の今 2つのドキュメンタリー

***
2月3日(日)24:50~ 日本テレビ系NNNドキュメント’13
3・11大震災 シリーズ 今、伝えたいこと(仮) 福島・女子高生の叫び
http://www.ntv.co.jp/document/

原発ある福島県民は放射能まみれ。ワロタ~」「福島県民は放射能の中に閉じ込めとけ!放射能うつすんじゃねーよ」原発事故以来、そんなネットの書き込みが被災地の若者たちを絶望の淵に追いやった。福島第一原発から45kmの所にある県立相馬高校の女子生徒たち。「将来子どもができて、放射能のことを言われたら、全部私たちのせいにされる」「でも私たちは、何も悪くないじゃない!」様々な悩みを抱え、苦しんでいた彼女たちは、やがて演劇「今、伝えたいこと(仮)」を通じて思いの丈を伝え始める。それは、復興に向かう大人たちが言葉にしない福島の現実。女子高生たちのストレートな思いが詰まった舞台が、観客の胸に突き刺さっていく。
***
asahi.comの2012年8月31日でも、

福島・相馬の高校生ら慟哭の舞台「今 伝えたいこと(仮)」
http://www.asahi.com/showbiz/stage/spotlight/OSK201208310042.html
が掲載されています。

他のメディアにも注目された舞台です。

ぜひ観たいドキュメンタリーです。

***

2月3日(日)25:20~25:50
TBS 報道の魂(放送エリア:首都圏)
「それでも希望のタネをまく~福島農家2年めの試練」
http://www.tbs.co.jp/houtama/
1年前の2012年2月。記者である私は福島県内各地に住む、以前取材したことのある人たちを訪ね歩いた。親しくしてくれた人たちが、あの震災の後どうしているのか、ずっと気になっていた。中には連絡が取れないままの人も少なからずいた。
その中のひとりが有機農家の菅野さん一家だ。菅野さんが暮らす二本松市東和地区は東京電力福島第一原発から約50キロのところにあり、全村避難を強いられた飯舘村とは車で30分ほどの距離だ。この東和地区は避難地域ではないが、それでも集落の所々には空間放射線量が周辺より高い場所が存在した。その環境の中で菅野さん一家は地区の人たちと一緒に農業を続けていた。
地区に有機農業を広めてきたリーダーでもある菅野さんは、震災後の混乱の中で有志の研究者と力を合わせて試行錯誤を繰り返していた。そうした中、農人としての勘で、ある手ごたえを感じていた。菅野さんは決意に満ちた表情でこう言った。「二年目のコメ作りを見ていてほしい」。そこから取材が始まった。
電力だけでなく、農業県として首都圏に食料を供給し続けてきた福島県。原発事故の後、「それでも」安全なコメを作る努力を続けている本当の福島の姿を伝える。
***
この報道の魂で取材をしている菅野さん、

2012年2月11日に東京・代々木公園で開催された「さようなら原発1000万人アクション」で、原発のない社会と農業をめざす発言をしていました。

私は会場の最前列で聴いていました。

発言動画も残っています。
http://youtu.be/tu8cDKqhwyk

その実際の農業がどうなのか、注目したい番組です。

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