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2014年1月の記事

2014.01.13

若者が9条改憲に肯定的との先入観は誤り

このブログで何度も指摘してきたことがあります。

若者が改憲、特に9条改定に積極的だという先入観は改めたほうがいいということです。

十数年、さまざまな話を聞いてきましたが、「若者は保守的」「9条ぐらい変えてもいいと思ってる」そのような先入観・印象論で語る人が少なくありません。

1月13日付の東京新聞に掲載された世論調査(東京都民対象)を読んで、あらためて考え直すべきです。

調査の項目は、「憲法9条について、どのように考えますか」です。

全体の結果はこのように。

「改正したほうが良い」31.6(男40.8 女22.8)

「改正しないほうが良い」56.9(男54.5 女59.2) 

「わからない・無回答」11.5(男4.6 女18.0)

記事の分析は以下のとおり。

☆☆☆
 今回の調査では、憲法九条の改憲に反対する人の割合が半数を超え、二〇一二年の前回都知事選前の調査から20ポイント以上増えた。また、脱原発を望む有権者の割合も依然高かった。

 安倍政権は戦争放棄と戦力不保持を掲げた憲法九条の解釈変更を目指すが、調査では、九条について「改正しない方がよい」と答えた人が56・9%に上り、前回調査の35・1%を大幅に上回った。一方、前回46・2%を占めた「改正する方がよい」は、31・6%にとどまり、改憲容認と反対が逆転した。

 年齢別では、全世代で反対が多数を占めたが、特に二十代では反対が七割近くに達し、改憲への異論が強かった。

 支持政党別では、自民支持層は47・7%が賛成し、38・4%が反対。民主支持層は反対が62・5%で、賛成は29・4%。無党派層では反対が67・7%、賛成が22・9%と、大きく差が開いた。

☆☆☆ここまで

ただ、20代をめぐって心配なことが2点あります。

一つは原発政策です。

「政府方針で良い」9.2%(男14.7、女3.8)、「原発は極力減らしていくが、ゼロにはしない」24.9%(男25.0、女24.7)、「ある程度時間をかけて原発ゼロにする」53.0%(男50.8、女55.1)、「すぐに原発ゼロにする」11.8%(男8.9、女14.5)となっています。

『年代、性別でみると20代男性だけ原発維持が原発ゼロを上回り、ほかは原発ゼロが大幅に多かった』としている点です。

もう一つは、デモや集会、署名活動へのとらえ方です。

「東日本大震災の後、デモや集会、署名活動などで政治に直接働きかけようという動きが続いています。あなたはこうした動きに共感しますか、共感しませんか」という問いに対し、「大いに共感する」20.9%(男19.7、女22.0)、 「どちらかといえば共感する」46.6%(男48.5、女44.7)、 「どちらかといえば共感しない」19.5%(男19.3、女19.7)、「共感しない」10.7%(男11.1、女10.3)。

この項目について、記事は「年代別にみると、60代以上では、大いに共感するだけで3割を超えるが、20代は1割に満たない」としていることです。

指摘した2点については世代の傾向としてみつめるべきと考えます。

先入観や印象論で語るのではなく、全体の傾向、個別の状況、さらに個々の事情や考えを丁寧にとらえていくべきではないでしょうか。

☆調査結果の一部が下記に掲載されています。

◇【関連記事】都民調査 「投票行く」93% 都知事選 舛添氏、細川氏、宇都宮氏に支持
(2014/1/13東京新聞)
 
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014011302000127.html

2014.01.12

1人ひとりがバラバラな踊りと笑顔で参加している動画

同じことをそろって行なうことが重視されるのが団体。

だと思って生きてきました。

小学校の運動会などでも、とにかくそろえること、同じ動きをすることを教育された場面も多くありました。

最近テレビで何度か放送されている某体育大学の「団体行動」も、恐ろしいほどまでにそろっていました。

ところが、2014年。

この動画を観て、その考え方を変えなきゃいけないことになりました。

【動画】恋するフォーチュンクッキー
岩手県 三陸鉄道南リアス線 Ver. / AKB48[公式]
http://youtu.be/5MX51ICp2pA

2014年春に全線開通を予定する岩手の三陸鉄道南リアス線。

そのPRを目的にした3分半の動画です。

自治体や地元企業、子どもたちなど、みんなが参加しています。

踊りはバラバラ、表情はみんな笑顔で。

動画は2013年12月29日に公開されて、再生回数は2週間で15万回以上に。

参加して、共感され、それが循環されていく。

震災から3年を迎えようとするなか、震災関連報道が激減したもと、メディアをたたくのではなく、自ら発信していく。

そんなヒントもあるのではないかなと。

連日報道も続いています。動画、ご覧ください。

「恋チュン」三陸鉄道、動画再生10万回を突破 (2014/1/8読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20140108-OYT1T00638.htm

三鉄PR動画が再生10万回 沿線住民や企業参加(2014/1/9岩手日報)
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20140109_6

動画:三陸鉄道、「恋チュン」再生12万回突破!! 
社員や沿線住民が踊り披露 南リアス線、全線復旧をPR(2014/1/10毎日新聞岩手)
http://mainichi.jp/area/iwate/news/m20140110ddlk03040111000c.html

2014.01.03

読書をしながら言葉を磨いて、保育者の待遇改善をアピールしていく

2013年は、1月から保護者による保育園の増設を求める動きがクローズアップされ、メディアと行政を動かし、一定の緊急対策につながりました。

中盤から後半は、保育士不足をめぐる報道が相次ぎ、社会的にも保育士の待遇改善の必要性が理解されるようになってきました。

2014年は、待遇が改善されるのかどうか、せめぎあう年になると私は考えています。

ただ、課題も多くあるはずです。

最近、学校の教員の先生の話を聴く機会がありました。子どもたちや職員同士の会話が盛り込まれている上、物語になってるんですね。たった数分の話でも。他に聴いたことのある教員の話を振り返っても、やはり一定のレベルがあります。

もちろん口下手な教員もいるのでしょうが、1日に1時間近い授業をいくつも持って、子どもや保護者、職員と向き合っている経験と努力の積み重ねだと実感しました。

一方、保育者はどうでしょう。教員ほどうまくないのは当然かもしれませんが、話の途中で迷路にハマってしまったり、日々素晴らしい変化の体験をしているはずなのに伝わってこなかったり…。

もったいないですね。

福祉関係の仕事をしている中で、保育園の保護者の方と話す機会もこれまでにありましたが、「先生の連絡ノートの書き方が…」「お話がわかりにくい」という声が出されたことも。

また、園長経験者とこの手の話題(保育者の作文や会話の力の課題)になった時に「あまりきつく言うと、今の子は辞めたり、無視したりするから、厳しく言えない」と言われたこともあります。

読み書きが苦手な人が教師になることはほとんどなく、保育者なら結構あるようにも感じます。

それはやむを得ないにしても、克服する努力がされていないのではないでしょうか。

たとえば、読書をしているでしょうか。

学校の先生が「読書をしてない」と言えば、児童・生徒・保護者は「えっ?」と驚き、信用しなくなるでしょう。

保育者ならそれが許されているとすれば、イコール「子どものことを好きでやってくれているから」という程度にとどまっている社会的評価の到達点を示しているのです。

私立保育園の保育士であれば、今年度から手当などの形で月数千円の処遇改善がされたはずです。「時間がない」「お金がない」「苦手で興味がない」などと言わず、せめてその一部を月1冊の読書に充ててはどうでしょう。

最近、「自分の言葉で語る」ことを強調する人が増えています。でも、自分以外の人が丁寧につづったものを得ようと、自らの興味と選択で読書をしていない人が、自分の言葉をどうやって紡げるのでしょう。

ここ数日、私に最も響いたのは塩崎義明さんという学校の先生がつづった下記の文章です。

届けよう『言葉』を!~『言葉』との出会いを大切に~
http://shiochanman.com/essay/nenga14.html

これを読んで、SNSの軽さ(もちろん利点もありますが)と読書の重要性を感じました。

保育者が読書を含む文化的な生活をするなかで、自らの言葉を磨きあい、待遇の改善をまわりの人に社会に政治にアピールしていく。そのことなしには実現しない。

確信をもって、私もあらためて読書をすすめていこうと決意しています。

2014.01.02

読書をしない残念さが「読書の効用」で浮き彫りに

読書、してますか?

私は20代の頃は、新聞を毎日読んでいればそれでいいと確信を持っていて、新聞を含めて「読書」だという考えもあるようですが、書籍に限定すれば、ほとんどしていませんでした。

数年前、読書をするために本を買うということは「問題意識を手放さないこと」であり、「1か月に1万円分以上の自分への投資」をすることを、ある研究者の講演で勧められ、それからは読書観が変わり、ずっと続けています。

私は仕事柄、福祉関係者の書いたレポートを読むことが多くあります。人にかかわる仕事をしている人たちの一つひとつのエピソードは興味深いのですが、その描き方を含めた作文としては残念なものが少なくありません。自身が素晴らしい読み物に出会っていないからでしょう。

本を読まない理由を聞くと、「時間がない」「お金がない」「おもしろさを感じない」などの答えが返ってきます。文化で自分を高め、まわりと刺激し合うための工夫や投資がされていないと私は理解しています。

読書をしないことを責めても何も変わらないでしょう。3年前、サッカー日本代表の長谷部誠さんの『心を整える。』がベストセラーとなり、大切にしている読書を「自分の考えを進化させてくれる」とし、反響が広がりました。読書にどんな効用があるのかを深くみつめてみます。

***

平成21年度文部科学省委託事業
「学力調査を活用した専門的な課題分析に関する調査研究」
「学校図書館活用ハンドブック」学力向上のための読書活動
http://www.j-sla.or.jp/pdfs/material/gakuryoku_kojo.pdf

から「読書の効用」部分を抜粋してみる。

「読書の効用」

読書は新たな言葉、新たな知識、新たな情報を与えてくれる。今まで知らなかった言葉に出会うことができる。ここで大切なのは新しい言葉に出会ったとき言葉の意味を調べて考えなければならない。身近な辞書、あるいは高度な内容であれば百科事典を使って意味を確認する必要がある。出会った言葉の意味を辞書や百科事典で確認する作業をくりかえして言葉を獲得すると、読書という作業をとおして、言葉と言葉のつながり、結びつきを考えるようになる野矢茂樹著『論理トレーニング』(産業図書,1997)では、言葉と言葉のつながり、あるいは結びつきを「論理」と呼んでいる。言葉は互いに関連づけられ、より大きなまとまりを成し、ばらばらの断片から有機的な全体へと生命を与えられるのである。それゆえ、「論理的になる」とは、この関連性に敏感になり、言葉を大きなまとまりで見通す力を身につけることにほかならない。(同書, .)論理的というと難しく聞こえるかもしれない。あるいは、最近「論理力」が頻繁に使われているので、「論理」の意味を深く考えないで理解されているかもしれないが、野矢氏によると、論理的とは言葉と言葉のつながり、意味と意味との結びつきを考えることである。読書によって、言葉と言葉のつながりを、文章を書いた人の考えのつながり、結びつきを、「論理的に」理解するようになる。

●ミークの読書論
教師であり、児童書の批評家である英国のマーガレット・ミーク氏の著書『読む力を育てる:マーガレット・ミークの読書教育論』(こだま・ともこ訳.柏書房,2003)は子どもの読書について示唆に富む論点を提供してくれる。ミーク氏は、現代社会のしくみが複雑化して、日常生活のあらゆる場面で文字を読むこと(リテラシー)が要求されることを指摘して、「読むことは自分の体験や学習に直接結びつくもの、そして将来の自分に必ず役に立つもの」(同書)としている。
ミーク氏は、良き読者が「実用的な知識を得」るだけでなく、「幅広く奥深い人間の経験を読み取ることができる」と指摘して、「人は本を読むことによって、精神の世界に住むことができる」(同書)とも述べている。「読書は想像力を高める」といわれる。文字の連なりを見ただけでは場面の光景は思い浮かばない。想像力を導くためには、言葉の意味と読み手の経験した光景を結びびつける必要がある。想像力を高めるときも、言葉と経験、光景を結びつける論理力が関わっていると言える。

●人とのつながりを生む読書
作家の平野啓一郎氏は『本の読み方:スロー・リーディングの実践』(PHP 研究所,2006)で、遅く読みながら質を高める読書の手法を紹介しているが、「読書は、コミュニケーションの準備である」(同書)と述べている。読書をとおして、作者と読者の対話があり、読者と読者、あるいは未だ読んでいない者との会話へとつながる。読書によって、作者の言葉、考えを借りながら、自分の思いを他の人へ伝える準備ができると平野氏は述べている。

●言葉と言葉、想いと想い、人と人を結ぶ読書
読書によって読み手の中では言葉と言葉、事象と事象、意味と意味を結ぶ論理的理解を作りだす。読書は作者と読者の間で対話を生み、想いと想いを交換することができる。さらに著書を読んだ者が互いに感想を伝え合い、また読んでいない者にも紹介する機会を作る。読書はさまざまな意味でつながりと結びつきをつくる。

***

このように、読書は、言葉と人をつなぐ役割と意義を持っています。

数年前、仕事でつながりのある人が「その人の語彙や読み取る力は、メールを2、3度やりとりしたらわかってしまう」とこぼしていました。私も同感です。

最近はSNS(私もやっていますが)で、とにかく短くその場その場で伝えることが重宝される一方で、深く考えて言葉を紡ぐことがおろそかになっていないでしょうか。

私は周囲にも直接本をすすめますし、SNSでも本を紹介しています。

同時に、自分の言葉や関心を掘り下げる効用を持つ読書をしない人を専門職とするのは、疑問を持っています。それが福祉や保育といったコミュニケーション労働であれば、なおさらでしょう。

また、本の読み聞かせを仕事上の日課としながら、言葉をつづる連絡ノートを毎日書きながら、自らはまったく読書をしないという保育士を、子どもや保護者はどうして信頼できるでしょうか。どこで言葉の力を磨くのでしょう。比較的若い福祉関係の職員とかかわりを持ってきましたが、吸収力のある若い時に本を読む読まないの違いで、大きな差が出ることは否めません。

尊敬する先輩が引退する前に、「話が整理できない人、面白くない人は読書をしていない」と言っていましたが、実際にその傾向は強いと私も感じています。それは上記の「読書の効用」の力が発揮されないからでしょう。

書店に立ち寄ると、多くの本に出会えます。時間のない人でも最近はインターネットで購入することもできます。1週間や1か月に1冊千数百円・2時間を費やすことはできないのでしょうか。

私は人に変化を求める労働組合に携わっています。自分の言葉を磨かない、言葉のつながりを広げない立ち位置ではできないし、自ら変化する読書をせずに変化を求めることがどれだけの説得力を持つだろうかと危機感を持っています。

文部科学省の審議会(1999年 文化審議会国語分科会読書活動等小委員会)では、読書の重要性を、

『読書は人類が獲得した文化である。読書により我々は,楽しく,知識が付き,ものを考えることができる。また,あらゆる分野が用意され,簡単に享受でき,しかも安いという特色を有する。読書習慣を身に付けることは,国語力を向上させるばかりでなく,一生の財産として生きる力ともなり,楽しみの基ともなるものである。読書の習慣を若いうちに身に付けることが大切である。
   国語力との関係でも,既に,本年1月にまとめられた「審議経過の概要」にも示されているように,読書は,国語力を形成している「考える力」,「感じる力」,「想像する力」,「表す力」,「国語の知識等」のいずれにもかかわり,これらの力を育てる上で中核となるものである。また,すべての活動の基盤である「教養・価値観・感性」などを生涯を通じて身に付けていくために不可欠,というより,読書なしに教養等を形成していくことはあり得ない』

 とまとめています。

それでも読書をしませんか。2013年、心に響いた本はありましたか。

2014.01.01

2014年スタート 対話と尊重、新たな言葉の積み重ねの先に

あけましておめでとうございます。

うま年がスタートしました。

政治的には、秘密保護法、沖縄基地問題、首相の靖国参拝と、「騒」(うま偏)がしいなかでの年明けとなりました。

それらに反対する人たちは、経済対策への期待をもってきた国民の支持は離れると見たはずです。

しかし、いまだに多くの世論調査で5割以上の支持を集め、不支持は3割程度という状況です。

中国や韓国との対立は深まり、アメリカでさえ、靖国参拝に「失望」を示したにもかかわらず。

一方、昨年12月の世論調査では、原発を抱える福島、基地問題に知事が屈した沖縄、経済基盤が崩れつつある北海道では、内閣への不支持が支持を上回る事態となっています。

基地問題をみても、私の周囲やフォローしているツイッターの世界では、「知事は公約を守れ」「辞職しろ」という声が目立ちます。

私もそう思います。

が、知事に対する怒りの声をあげるとともに、周囲と対話をすすめなければ、事態は変わらない。むしろ矛盾が深まるのではないかと考えるのです。

普天間基地の辺野古移設に多くの県民が反対する沖縄に対し、全国世論調査となれば、賛成が約5割、反対は3割台にとどまっています(共同通信2013年12月末 賛成49.8%、反対33.6%)。

移設反対派は、沖縄県民の声を代表しているかもしれませんが、国民の声からみれば、少数という現実を直視する必要があるでしょう。

私自身もこれらの動きに歯がゆい思いもしながら、迎えた新年1月1日の朝日新聞に、これだ!と気づきを得た記事がありました。

◇2014年1月1日付 朝日新聞
(異才面談:2)元サッカー日本代表監督・岡田武史さん リアルな中国知って考えた
http://www.asahi.com/articles/DA2S10906682.html

ネットで全文を読むには会員登録(無料会員は1日3本まで読めます)が必要ですが、日中関係が対立の方向に揺らぐなか、元サッカー日本代表監督の岡田武史さんが中国のクラブチームの監督を務めた経験を振り返っています。

このインタビューで岡田さんは、反日デモでの暴動はごく一部の現象だとした上で、

「ぼくは、どんな問題があっても自分の子どもを戦場に送りたくない。中国の親だって、同じだよ。答えは簡単だ。話し合いしかない。国と国、文化と文化がぶつかれば、接点をさぐるしかない。政治家は分かっているはずだけど、引くに引けない。日本だったら支持率が下がる、中国なら政変がおきる、と。結局、国民自身が大事なものは何かを考えるしかない。サッカーの選手が監督の指示を待たず、自分で考えなければならないのと同じだ」

「だけどね、こんな風に話すと、あいつ、どうしちゃったんだ、国を売ったのか、と言われかねない危険な空気があるよね、いまの日本には」

と語ります。

その「空気」について、岡田さんは続けます。

「口を開けなくなる空気だよ。草の根で多くの人が感じていても、世の中のムードと違うことを言えない。とても危うい」

 

「ぼくは日本代表の監督もやった。日の丸をつけて、ものすごい誇りを持って戦いましたよ。でもね、相手もすべてをかけて戦っていることは尊重している。ナショナリズムは自分たちだけのものじゃない。どちらも国を愛する気持ちを持っていることを理解しないと、ね」

私は記事を読んであらためて考えました。

この2~3年、尊重なき言葉が飛び交っていませんか。

たとえば、大阪の橋下市長について、人気絶頂の頃は批判すらしにくい「空気」がありました。

同時に、「あんな独裁を支持するヤツはバカだ」「いや、支持しないヤツこそ死ね」というような汚い言葉が、それぞれの「上から目線」(と感じられてしまう)をもって口やネットで発されています。言葉になっていない心の内にはもっと激しい表現があるかもしれません。

岡田さんの記事が出たばかりですが、「あいつバカ左翼」「中国に行ってればいい。日本に来るな」など、攻撃的で失礼な言葉が発されないでしょうか。

全体とまでは言えませんが、一部にそのような不毛な対立の空気も強まっていると感じます。賛否双方の立場に言えないでしょうか。流れに対して意見が言いにくい空気や、「またやってるよ」という入っていけない空気がないでしょうか。

たとえば、怒りをもって、「○○やめろ!」と切実さをもって攻撃的にシュプレヒコールをあげることは、国会や地方議会、不祥事を抱えた企業の前などではアリでしょう。

しかし、相手が権力ではなく、近くにいる一人ひとりや、不特定多数となるネットでも、自分の意見が絶対で、それ以外を認めない人を切り捨てるような一方的な言葉と発信では、共感は広がらないどころか、理解が狭まっていくのではないかと強く懸念します。

少数意見でもしっかり声をあげ、その声のあげ方を含む表現は、もっと丁寧で多様でなければ。相手を尊重することを前提に。

対立すべきは、相手自身ではなく、相手の考え方なのですから。その変化を求めようとするときに、その人自体を否定しては、溝は深まるしかありません。

アメリカ在住の映画監督で、最近は橋下批判で知られる想田和弘さんが著書『日本人は民主主義を捨てたがっているのか』(岩波ブックレット No.885)が、橋下氏を支持する人たちと議論していて「馬の耳に念仏を唱えているような空虚さ」を指摘しています。橋下氏の発する言葉を支持者がそのまま使っていることを示しながら、同時に批判している側の「僕らの繰り出す言葉も、だいたい語彙が決まっている」と自戒しているのです。

「独裁」「ヒトラー」「強権政治」「戦前への回帰」など、確かにそうです。「考えてみれば、実は僕らにも戦後民主主義的な殺し文句に感染し、むやみに頼りすぎ、何も考えずに唱和してきた側面があるのではないでしょうか」と警鐘を鳴らし、「紋切り型でない、豊かでみずみずしい、新たな言葉を紡いで」いくことを提言しています。

昨年末にこのブックレットを読み、そして、岡田さんの言葉を受けて、2014年は、対話と尊重をもとに、言葉を紡ぎ、積み重ねていく必要を心に留め、実践していくつもりです。

対立で攻撃し合うのではなく、また遮断してしまうのでもなく。さらに、これまでと同じ言葉を重ね続けるのでもなく。

岡田さんは同じ朝日新聞の記事で、「国民自身が大事なものは何かを考えるしかない。サッカーの選手が監督の指示を待たず、自分で考えなければならないのと同じだ」とも語っています。

監督のせいだけにする選手がいいプレーをできるはずがありませんし、それでは真に強いチームにはなれないはずです。

今年は、うま年です。

「馬の耳に念仏」は、言葉が響かない「馬」に責任を負わせるのが一般的な意味合いですが、「念仏」にこそ響かない原因があるのではないでしょうか。飽きられてしまう表現や嫌悪されてしまうスタイル、誰が言っても一緒の言葉では、変化は生まれにくいはず。

対立と無関心を乗り越えて、新たな視点を含めて考え合っていきたい2014年です。

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