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2014.01.01

2014年スタート 対話と尊重、新たな言葉の積み重ねの先に

あけましておめでとうございます。

うま年がスタートしました。

政治的には、秘密保護法、沖縄基地問題、首相の靖国参拝と、「騒」(うま偏)がしいなかでの年明けとなりました。

それらに反対する人たちは、経済対策への期待をもってきた国民の支持は離れると見たはずです。

しかし、いまだに多くの世論調査で5割以上の支持を集め、不支持は3割程度という状況です。

中国や韓国との対立は深まり、アメリカでさえ、靖国参拝に「失望」を示したにもかかわらず。

一方、昨年12月の世論調査では、原発を抱える福島、基地問題に知事が屈した沖縄、経済基盤が崩れつつある北海道では、内閣への不支持が支持を上回る事態となっています。

基地問題をみても、私の周囲やフォローしているツイッターの世界では、「知事は公約を守れ」「辞職しろ」という声が目立ちます。

私もそう思います。

が、知事に対する怒りの声をあげるとともに、周囲と対話をすすめなければ、事態は変わらない。むしろ矛盾が深まるのではないかと考えるのです。

普天間基地の辺野古移設に多くの県民が反対する沖縄に対し、全国世論調査となれば、賛成が約5割、反対は3割台にとどまっています(共同通信2013年12月末 賛成49.8%、反対33.6%)。

移設反対派は、沖縄県民の声を代表しているかもしれませんが、国民の声からみれば、少数という現実を直視する必要があるでしょう。

私自身もこれらの動きに歯がゆい思いもしながら、迎えた新年1月1日の朝日新聞に、これだ!と気づきを得た記事がありました。

◇2014年1月1日付 朝日新聞
(異才面談:2)元サッカー日本代表監督・岡田武史さん リアルな中国知って考えた
http://www.asahi.com/articles/DA2S10906682.html

ネットで全文を読むには会員登録(無料会員は1日3本まで読めます)が必要ですが、日中関係が対立の方向に揺らぐなか、元サッカー日本代表監督の岡田武史さんが中国のクラブチームの監督を務めた経験を振り返っています。

このインタビューで岡田さんは、反日デモでの暴動はごく一部の現象だとした上で、

「ぼくは、どんな問題があっても自分の子どもを戦場に送りたくない。中国の親だって、同じだよ。答えは簡単だ。話し合いしかない。国と国、文化と文化がぶつかれば、接点をさぐるしかない。政治家は分かっているはずだけど、引くに引けない。日本だったら支持率が下がる、中国なら政変がおきる、と。結局、国民自身が大事なものは何かを考えるしかない。サッカーの選手が監督の指示を待たず、自分で考えなければならないのと同じだ」

「だけどね、こんな風に話すと、あいつ、どうしちゃったんだ、国を売ったのか、と言われかねない危険な空気があるよね、いまの日本には」

と語ります。

その「空気」について、岡田さんは続けます。

「口を開けなくなる空気だよ。草の根で多くの人が感じていても、世の中のムードと違うことを言えない。とても危うい」

 

「ぼくは日本代表の監督もやった。日の丸をつけて、ものすごい誇りを持って戦いましたよ。でもね、相手もすべてをかけて戦っていることは尊重している。ナショナリズムは自分たちだけのものじゃない。どちらも国を愛する気持ちを持っていることを理解しないと、ね」

私は記事を読んであらためて考えました。

この2~3年、尊重なき言葉が飛び交っていませんか。

たとえば、大阪の橋下市長について、人気絶頂の頃は批判すらしにくい「空気」がありました。

同時に、「あんな独裁を支持するヤツはバカだ」「いや、支持しないヤツこそ死ね」というような汚い言葉が、それぞれの「上から目線」(と感じられてしまう)をもって口やネットで発されています。言葉になっていない心の内にはもっと激しい表現があるかもしれません。

岡田さんの記事が出たばかりですが、「あいつバカ左翼」「中国に行ってればいい。日本に来るな」など、攻撃的で失礼な言葉が発されないでしょうか。

全体とまでは言えませんが、一部にそのような不毛な対立の空気も強まっていると感じます。賛否双方の立場に言えないでしょうか。流れに対して意見が言いにくい空気や、「またやってるよ」という入っていけない空気がないでしょうか。

たとえば、怒りをもって、「○○やめろ!」と切実さをもって攻撃的にシュプレヒコールをあげることは、国会や地方議会、不祥事を抱えた企業の前などではアリでしょう。

しかし、相手が権力ではなく、近くにいる一人ひとりや、不特定多数となるネットでも、自分の意見が絶対で、それ以外を認めない人を切り捨てるような一方的な言葉と発信では、共感は広がらないどころか、理解が狭まっていくのではないかと強く懸念します。

少数意見でもしっかり声をあげ、その声のあげ方を含む表現は、もっと丁寧で多様でなければ。相手を尊重することを前提に。

対立すべきは、相手自身ではなく、相手の考え方なのですから。その変化を求めようとするときに、その人自体を否定しては、溝は深まるしかありません。

アメリカ在住の映画監督で、最近は橋下批判で知られる想田和弘さんが著書『日本人は民主主義を捨てたがっているのか』(岩波ブックレット No.885)が、橋下氏を支持する人たちと議論していて「馬の耳に念仏を唱えているような空虚さ」を指摘しています。橋下氏の発する言葉を支持者がそのまま使っていることを示しながら、同時に批判している側の「僕らの繰り出す言葉も、だいたい語彙が決まっている」と自戒しているのです。

「独裁」「ヒトラー」「強権政治」「戦前への回帰」など、確かにそうです。「考えてみれば、実は僕らにも戦後民主主義的な殺し文句に感染し、むやみに頼りすぎ、何も考えずに唱和してきた側面があるのではないでしょうか」と警鐘を鳴らし、「紋切り型でない、豊かでみずみずしい、新たな言葉を紡いで」いくことを提言しています。

昨年末にこのブックレットを読み、そして、岡田さんの言葉を受けて、2014年は、対話と尊重をもとに、言葉を紡ぎ、積み重ねていく必要を心に留め、実践していくつもりです。

対立で攻撃し合うのではなく、また遮断してしまうのでもなく。さらに、これまでと同じ言葉を重ね続けるのでもなく。

岡田さんは同じ朝日新聞の記事で、「国民自身が大事なものは何かを考えるしかない。サッカーの選手が監督の指示を待たず、自分で考えなければならないのと同じだ」とも語っています。

監督のせいだけにする選手がいいプレーをできるはずがありませんし、それでは真に強いチームにはなれないはずです。

今年は、うま年です。

「馬の耳に念仏」は、言葉が響かない「馬」に責任を負わせるのが一般的な意味合いですが、「念仏」にこそ響かない原因があるのではないでしょうか。飽きられてしまう表現や嫌悪されてしまうスタイル、誰が言っても一緒の言葉では、変化は生まれにくいはず。

対立と無関心を乗り越えて、新たな視点を含めて考え合っていきたい2014年です。

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