カテゴリー「スポーツ」の記事

2012.08.12

ボクシング村田選手の金メダルを支えたものは

日本人は通用しないと言われてきたボクシング重量級。

そこでの金メダルの快挙。

経歴、挫折、恩師とのエピソード。

今回の快挙でプロからの強い誘いもあるようで。

お読みください。

村田諒太(1)高校5冠達成のエリート
http://www.sponichi.co.jp/olympic/yomimono/2012deai/kiji/K20120509003274440.html

村田諒太(2)活動自粛から現役復帰 再び夢へ
http://www.sponichi.co.jp/olympic/yomimono/2012deai/kiji/K20120509003274460.html

村田諒太(3)ルール改正追い風 手数とスタミナで勝負
http://www.sponichi.co.jp/olympic/yomimono/2012deai/kiji/K20120509003274480.html

2012.07.27

宮間が言葉と背中で引っ張る

キャプテン・宮間あやの活躍、プレーだけじゃないですね。

各紙、取り上げていて。

澤も絶賛していて。

今後も見逃せないです。

宮間主将、泣いた泣かせた!試合前ロッカーで選手鼓舞…サッカー女子
(2012/7/27スポーツ報知)
http://hochi.yomiuri.co.jp/soccer/japan/news/20120726-OHT1T00326.htm

宮間の言葉で白星発進 ノリさん「ジーンときた」
(2012/7/26サンケイスポーツ)
http://www.sanspo.com/london2012/news/20120726/soc12072610510025-n1.html

宮間主将、言葉と背中で引っ張る=厳しい闘い「大切に」
(2012/7/26時事通信)
http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=2012072600135

2012.07.26

22センチの足、ヘッド、そしてコメントの力

小さな宮間がヘッドで2点目。

足をつかった正確なバスだけでじゃないですね。

ロンドン五輪、カナダとの初戦、勝ち抜きました。

足のサイズが22センチの宮間。

五輪を前にした時点でのコメント力。圧巻です。

宮間あや、周囲の期待を力に変えて<前編> なでしこ主将インタビュー (1/2)
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/special/london/soccer/japan/text/201207170009-spnavi.html

宮間あや、周囲の期待を力に変えて<前編> なでしこ主将インタビュー (2/2)
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/special/london/soccer/japan/text/201207170009-spnavi_2.html

2012.06.18

最後の夏 壁を乗り越えて 大きな一歩へ

最後の夏、大きな一歩を踏み出す球児がいる。

すでに開幕した沖縄大会。

練習を重ねて、つかんだ夏。

壁を乗り越えて。

3人いるキャプテンの一人。

続報によれば、彼の初戦は23日だという。

甲子園に行くチーム、選手だけでなく、一人ひとりに物語があって。

私は、彼とそのチームに注目したい。

***
◇特支校の照屋君、中部農高野球部で県大会へ
(沖縄タイムス2012/5/25)
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-05-25_34170/
 日本高等学校野球連盟は24日、沖縄高等特別支援学校3年の照屋陽(よう)君(17)=うるま市=の全国高校野球選手権沖縄大会(6月)への出場を認めた。照屋君は沖縄特支の中部農林高校分教室に在籍、中部農林高の野球部員として出場する。分教室の生徒が、同大会に出場するのは全国で初。沖縄特支は日本高野連に加盟していないため、同高野連は今回のケースを「特例」と位置付け、今後も同様のケースで要望があれば条件次第で許可するという。全国の特別支援学校の大きな一歩になりそうだ。

 沖縄高等特支には野球部がなく、照屋君は1年から中部農林高の野球部で練習してきた。実力もあり、キャプテンの一人としてチームをまとめてきたが公式戦への出場資格がなく、両校の校長や県高野連などが、日本高野連に要請を続けていた。

 日本高野連によると、特支校に籍を置き、他校から地方大会に出場した事例は1、2件あるが、分教室の制度が始まって以降は初めてのケース。

 たとえ分教室の生徒が試合への出場を望んでも、分教室を受け入れる学校側が、試合などでけがする場合などを懸念して難色を示し、出場が認められないケースも多々あるという。

 日本高野連は今回「在籍校と受け入れ先の学校長、野球部監督の強い要望や、安全性などが確認でき、必要な条件が整った」と判断。竹中雅彦参事は「中部農林で部活に参加してきた実績を重視した。照屋君の周囲の理解があり、特例という形で承認できた」とした。

 県高野連の志良堂芳男会長は「両校の校長の熱意が伝わった。照屋君自身も3年間頑張り、全国の特別支援学校の生徒に、頑張れば大会に出られると、夢と希望を与えてくれた」と喜んだ。県大会は6月5日に抽選会、16日開幕。

***

◇最後の夏 初の公式戦 特支校・照屋君
(2012/5/25沖縄タイムス)
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-05-25_34187/

「初の公式戦。みんなと楽しんで、勝てたらいい」―。高校最後の夏、同じグラウンドで一緒に汗を流す仲間と共に甲子園を目指すチャンスを得た、沖縄高等特別支援学校3年の照屋陽君(17)は24日、日本高野連からの出場許可の知らせに、うれしそうな笑み。「陽がいれば、戦力も上がる。一緒に出られてよかった」と喜ぶチームメートに胴上げで祝福され「もっと練習を頑張って、一つでも勝ちたい」と意欲を見せた。(儀間多美子)

 軽度の知的障がいがある照屋君は、沖縄高等特支の中部農林高校分教室1期生。小学3年まで野球、中学校はテニス部に所属、高校入学後は野球部で仲間と汗を流してきた。

 走攻守に力があり、体格にも恵まれた。センターを守り、3人のキャプテンの1人としてチームをまとめる存在だ。だが沖縄高等特支は日本高野連に加盟しておらず、1、2年の県大会はベンチにも入れずにスタンドで声援を送ってきた。

 中農高野球部の具志堅興律監督は「まじめで力もあり、後輩指導にも熱心。いい球を投げ、打撃力もある。だが正式な選手ではないのでエースナンバーも付けられなかった」と振り返る。

 それでも腐ることなく練習を続ける姿に、中農高や沖縄高等特支、県高野連の関係者は再三、日本高野連に要請。当初は「中農に転学を」と許可を拒んでいた同連盟も県内の支援体制や関係者の熱意を重視し、出場を認めた。

 「毎日一緒に練習しても自分だけ出場できず悔しかった」と明かした照屋君は前日、分教室で担任の稲福京子教諭に「多分、無理だと思う。せめて抽選会には出たい」と話していたという。今回、参加が認められたことを仲間に報告、「初の公式戦、みんなと一緒に最後を楽しもう!」と呼び掛け、拍手を浴びた。

 父親の照屋守長さん(64)は「悔しかったろうが愚痴も言わず、よく頑張った。尽力してくれた皆さんのおかげ。本当にありがたい」と感謝。中農高の具志堅三男校長、沖縄高等特支の與那覇広次校長は「今回のケースが全国に良い影響を与えると思う。照屋君は堂々と胸を張って、参加してほしい」とエールを送った。

2012.02.12

あきらめない-石巻工高・震災乗り越え甲子園へ

寒さ厳しい冬ですね。

あと1か月で震災から1年を迎えます。

徐々にあたたかくなっていくはずで。

今年の春のセンバツに21世紀枠で出場を決めた宮城県石巻工業高校。

歌手のクミコさんらは、出場にかかる費用を集めようとよびかけています。

私は先日、2月6日、仙台にいて、宮城で一番読まれている河北新報を手に。

石巻工業高校野球部の特集が組まれていました。

以下は2月6日~8日までの連載です。

あきらめない-石巻工高・震災乗り越え甲子園へ
(上)つなぐ思い/街の希望、市民に力 http://www.kahoku.co.jp/spe/spe184/rensai/20120206_01.htm
(中)悔しさばねに/先輩の姿、胸に努力http://www.kahoku.co.jp/spe/spe184/rensai/20120207_01.htm
(下)被災地枠と言わせない/白星で実力証明をhttp://www.kahoku.co.jp/spe/spe184/rensai/20120208_01.htm

2012.01.28

石巻工業センバツ出場決定 常識にとらわれない采配 大切なメッセージ

石巻工業が21世紀枠で、初のセンバツ出場を決めた。

宮城県、石巻地域の野球関係者の10年近い努力によって、球児たちが地元に根差したことが大きいようだ。

監督に野球経験はない。

セオリーにこだわらず、サインが出て硬くなって失敗につながることを避け、委縮しないようにと、盗塁のサインはない。

それでも、平均で1試合2つを成功させてきた。

震災で、全校生徒の約4割が自宅の全半壊という状況となったそうだ。 そして台風被害で、9月には地盤沈下したグラウンドが浸水もした。

あきらめない姿勢がある。 グラウンドのベンチには、30以上の教訓が貼られているとも。 「あら探しをするよりも改善策を考えよう!」「決して倒れないのが良いのではない。倒れたらすぐ起き上がるのが貴いのである」など。 そして、大きく「あきらめない街・石巻!! その力に俺たちはなる!!」と。

大切なメッセージ、前を向く姿勢から、学ぶべきものが多い。

2012.01.22

復興へと被災地で取材をつづけるスポーツニッポン

震災後、ずっと追い続けているのはテレビや一般の新聞だけではありません。

スポーツニッポンがすばらしいのは、岩手県陸前高田市の高田高校野球部を1年間追うという企画を先に決めて、実際に記事にしているということ。

そして、野球部を通じて、被災地の状況を、球児の心、進学、地域文化などにふれながら報じているということです。

被災地は復興までは至ってないはず。

下記記事とは違いますが、現地を何度も訪れているジャーナリストによれば、復旧の途中なんだという話も、先日聴きました。

忘れることなく、その道の途中をしっかり知ろうとしながら、その知るきっかけを大事に、私なりに背景に迫っていきたいと思っています。

同紙の連載も、大切にしながら。

この3日だけでも↓

復興へのプレーボール~陸前高田市・高田高校野球部の1年~
http://www.sponichi.co.jp/baseball/yomimono/takata/index.html

一回り大きくなった体と強くなった故郷への思い[ 2012年1月21日 ]
FM局開局 被災者の精神的フォロー  [ 2012年1月21日 ]
パソコンあれば世界中で聴ける  [ 2012年1月21日 ]
12月明大野球部が訪問 広島・野村も来た  [ 2012年1月21日 ]
3年生9人は全員進路決定  [ 2012年1月21日 ]
伝統行事「スネカ」にも参加 国の重要無形文化財  [ 2012年1月21日 ]
「五葉おろし」ニモ負ケズ…白球追い春を待つ  [ 2012年1月20日 ]
「希望の灯り」…神戸から届いた絆の証  [ 2012年1月20日 ]
高田松原第1球場、解体作業始まる  [ 2012年1月20日 ]
「46会」で現状報告、伊藤コーチ支援に感謝  [ 2012年1月20日 ]
悲しみと決意…原稿用紙に記した「夢は捨てられない」  [ 2012年1月19日 ]
書くこと迷った…それでも「区切りつけるきっかけに」  [ 2012年1月19日 ]
3月11日の記憶 瓦礫の中から見つかった“甲子園”  [ 2012年1月19日 ]

2012.01.08

たむけんが「焼肉一生タダ」を日ハム中田に約束

人気焼肉店の経営者でもあるタレント・たむらけんじ。

1月8日のスポーツ新聞が彼の術中にハマッタ。

高校時代から超高校級のスラッガーとして騒がれ、昨年ようやく主力として活躍した、

北海道日本ハムファイターズの中田翔外野手に、今シーズン30本のホームランを打てば、店舗で一生焼肉をタダにすると約束したという。

それを日刊、報知、スポニチがいっせいに報じた。

お店の宣伝としてこれ以上の費用対効果もないだろう。

実際に中田選手が30本以上を打ったとしても、何十回も通うはずもなく。

シーズンオフでネタがないなか、

今日の紙面で各社は大きくこれを扱った。

お店の宣伝広告になっている。

さらに、1本打てば「30本」「焼肉一生食べ放題」への道となり、

10本、15本、20本、節目ごとにまた紙面になるはず。

20本をこえれば、カウントダウンとしてさらに扱われる。

テレビだって取り上げるはず。

ねらってやっているはずの宣伝戦略。

橋下・大阪市長と会合を持ったというたむらけんじ氏は、今月に入って、政界進出をほのめかす発言も行った。

スポーツ新聞にあれほどの広告を打てばどれくらいの費用がかかるか。

その意味で、コストゼロで最大限の広告を生み出したというしたたかさ。

「焼肉一生食べ放題やて、たむけん、すごいなぁ~」で話題になれば儲けもん。

それで終わらない、戦略と展開がまだまだあるはずというのは読みすぎか。

http://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/npb/news/20120107-OHT1T00227.htm

http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20120108-886597.html

http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/01/08/kiji/K20120108002386630.html

バレーボール界の重鎮・松平氏逝去のニュースにふれて 「常識の延長には・・・」

私が小学校高学年の頃、バレーボールはあこがれのスポーツだった。

バレーボール=女子のスポーツのイメージはあったけれど。

テレビでは、富士フイルムのCMが流れ、徳永英明の「輝きながら」がやさしく響く中、

富士フイルムの緑のユニフォームのバレー選手が輝いていた。

代表でも、富士の選手が主力で、センターは川合、エースは熊田かな。

意表をつく三橋の一人時間差やBクイックに何度も驚かされた。

その後、残念ながら日本の男子バレーは世界の高さの前に通用しなくなっていった。

一昨年、女子日本代表が世界選手権で3位になり、ふたたびバレーボールが注目されるようになってきた。

その躍進の立役者、眞鍋政義監督の著書が昨年2冊刊行された。

『精密力~日本再生のヒント』、『チームのスイッチを入れる。 カリスマじゃなくてもできる組織を変える55の戦略』

どちらも興味深く読めた。実社会での自らの成長にも「精密力」を生かしたいと。

そんな読後感が覚めやらない状況で、

日本バレーボール界の重鎮・松平康隆さん(元バレーボール男子日本代表監督)が亡くなった。

飛び込んでの「フライングレシーブ」では、あごの骨を痛めた選手も多かったそうだ。

また、一人時間差やクイックなどを生み出したのもこの監督のもとだという。

非常識を採用することを前提とするなかでの選手のアイディアと試行錯誤があったそうだ。

眞鍋監督も著書で、アニメ「アタックナンバーワン」の「木の葉落とし」や、サッカーのオーバーヘッドキック、そして「一人時間差」などにふれ、

ロンドンオリンピックにむけて「非常識を常識にするプレーを絶賛募集中」だとしている。

松平さんは、現在の男子バレー植田監督に「常識の延長には常識の結果しか出ない。非常識の延長に、とてつもない結果がある」と諭していたという。

眞鍋・植田両監督も、その影響をうけてきた。

松平監督率いる日本男子代表がミュンヘン五輪で金メダルをとったキーポイントになったひとつの時間差攻撃は、松本清張の推理小説「点と線」で松平さんがヒントを得たもの。

心に残るオリンピックシーン(JOCサイト)
ミュンヘン 男子バレーボール
『金色の夢舞台』への道のり ~長田渚左
http://www.joc.or.jp/scene/200904.html

昨年末に眞鍋監督の著書を読み、偶然とはいえ、年始に松本清張記念館を訪ね、そして松平さん逝去のニュースにふれた私。

何ともいえないつながりを感じる。

メディアにのせて、国際大会を日本で行い、人気を定着させようとした手腕の一方、そのワンマンぶりや金銭面で負の部分もあったとも。

いずれにしても、常識を疑うということの大切さと難しさ。

「常識の延長には常識の結果しか出ない。非常識の延長に、とてつもない結果がある」という言葉、意識していきたい。

◇時間差、クイック…ニッポンバレー築いた松平康隆さん死去
(2012/1/6スポーツニッポン)
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2012/01/06/kiji/K20120106002374600.html

2011.12.22

やめたら保育士になるのも一つの道 その道の途中で

「心を整える。」

さすがの姿勢、前の向き方。

言動に説得力と謙虚さがあって、本当にすばらしい。

***
◇長谷部 被災地に幼稚園を再建、印税など9500万円寄付
(スポーツニッポン2011/12/22)
http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2011/12/22/kiji/K20111222002289890.html

 サッカー日本代表の主将を務めるMF長谷部誠(27=ボルフスブルク)から被災地にビッグなクリスマスプレゼントが贈られた。東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県南三陸町を21日に訪問し、日本ユニセフ協会に4500万円を寄付。すでに寄付した5000万円と合わせ、津波で流失した同町のあさひ幼稚園の園舎の建設費に充てられることになった。

 長谷部が南三陸町の復興を託したのは、無限大の可能性を秘めた被災地の子供たちだった。

 「地道な復興作業がまだまだ続いている。自分ができることは何なのか。お金を寄付するというのではなく、僕の本を買ってくださったりイベントに来てくださった方の気持ちを何かの形にしたかった。今回の幼稚園には日本中の皆さんの思いが詰まっている」

 私立あさひ幼稚園は1964年(昭39)に創立。震災前は74人の園児の笑顔に包まれていた。だが、周辺一帯が津波にのまれ、元の敷地はがれきの山と化した。幸い園児に被害はなかったが、小島孝尋園長は「このまま廃園になるのか」と絶望の縁に立たされた。夏頃に知人の日本ユニセフ協会の関係者に相談したところ、関係者を通じて長谷部に話が伝えられた。

 避難などにより園児も47人に減少。子供の頃の夢が「保育士」だったという長谷部は心を痛めた。「復興には地元の人の力が欠かせない。教育施設を元に戻すのは町に人を戻すことでもある。一番小さな世代が、この幼稚園で育って、南三陸を復興に導いてくれれば」。再建のためにミリオンセラーとなった自身の著書「心を整える。」(幻冬舎)の印税と故郷の静岡県藤枝市で開いたチャリティーイベントの収益計9500万円の全てを日本ユニセフ協会を通じ寄付することを決めた。

 来年1月中には着工し、3月の完成を目指している。「完成したら(幼稚園に)行きたい。そして、一緒にサッカーをしたりしていっぱい遊びたい。サッカーをやめたら保育士になるのも一つの道かな」。今は更地の建設予定地だが、新学期が始まる4月には“長谷部幼稚園”は子供たちの笑い声に包まれているはずだ

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