カテゴリー「社会」の記事

2024.01.01

「たつ年」あけましておめでとうございます

新年あけましておめでとうございます。

ブログも1年ぶりの更新になってしまいました。

ここ数年、仕事自体は順調にすすめているものの、私の生き方の根幹にかかわって思い悩む要素が根深くあり、どこで何を決断するのか、難しい状況が続いています。

2024年は、たつ年。

行動に立つ、不正を絶つ、時が経つなど、さまざまな「たつ」と向きあう年になります。

今の仕事も、2月下旬で25年の節目を迎えます。具体的なことは言えませんが、大きな選択をするかもしれません。

今、ハラスメントなど人権侵害がさまざまな分野で明らかになっています。

私もその対策の専門家の一人として、できることをやりきる決意です。

今年もよろしくお願いします。

2022.12.24

ハラスメント防止にむけて 講義を踏まえて認定試験を受けました

久しぶりの更新になります。

セクハラやパワハラなど、ハラスメントが社会問題になり、連日のように関連する報道が続いています。

芸能界や自衛隊など、今まで声をあげにくかった分野でも、勇気をもって告発する動きが広がっています。

私の所属する労働組合にも、保育や介護などの福祉現場でパワハラなどに悩んでいる職員から、相談が寄せられています。

私も電話やメールで相談に応じることがあります。

そのようななかで、公益財団法人21世紀職業財団のハラスメント防止コンサルタント認定試験を11月に受けました。

21世紀職業財団のこちらのページで試験の紹介がされています。
https://www.jiwe.or.jp/harassment/consultant

ハラスメント防止教育や事案解決の支援ができる人材を育成する講座が開設され、試験に合格するとハラスメント防止コンサルタントとして認定・登録されます。

9月中旬に講師レジュメが届きました。ほかに3冊のテキストと、分厚い判例集2冊をもとに、9月下旬から1カ月間、4テーマで計13時間の養成講座をオンデマンドで受講しました。

9月から11月は業務が多忙で、まとめて勉強に充てたい土日に会議などが入ることも多く、計画づくりに苦労しました。

そのなかでも、基礎知識だけでなく、カウンセリングとメンタルヘルス、裁判例の解説など、この講座でしか学べないことを深めることができました。

11月中旬に都内の会場で、択一式60問、記述式2問の試験が行われました。

12月23日の合格発表で、めでたくハラスメント防止コンサルタントに合格しました。

主には、社会保険労務士や企業の人事労務担当者などが受講・受験しているようです。合格された方は、ハラスメント問題の専門家として、社内の相談対応、企業の体制整備や事案解決の支援、研修講師などで活躍されているということです。

毎年1回で、第14回となった今回は、受験者341人に、合格者は77人、合格率22.6%という難関でした。

試験内容は難しすぎて、不合格だと思って、周囲にもその旨を話していました。

職場の協力、これまでの相談対応の経験・知識などと今回の受講があわさって、何とか合格できました。

来年は、学習会などでお話をさせていただく機会も増えそうです。

私にできることをやっていきたいと考えています。

2022.06.04

赤、青、黄、緑、桃、ジェンダーという壁を振り返ってみる

1975年生まれの私は、小学生の頃、再放送が繰り返されていたゴレンジャーに影響されました。

赤、青、黄、緑、桃の5人のレンジャーのなかで、キレンジャーはカレー好きの面白キャラ、青と緑はかっこよくて人気があり、赤はリーダーシップの魅力がありました。

でも、リーダーの赤が一番人気かと言えばそうではなく、赤色は当時の男子の中に一定の抵抗のある色なので、青や緑の方が好きという男子も多かったです。

それでも、アカレンジャーも人気があり、男子が赤を選ぶようになったことに貢献したはずです。

青色や緑色は男子、赤色や桃色は女子という色分けが、文字通り色濃く残っていた中で、変わっていく一つのきっかけになったと思っています。

その後、私のまわりで起きた変化は80年代後半になるでしょうか。

ミキハウスの服を子どもに着せるブームがあり、赤と紺の色が入った服を小さい子どもに着せて「かわいい」と喜ぶおとなの姿が増えていきました。男の子に着せるケースも目立って、これが赤を男子が着てもいいという決定的な変化につながったのではないでしょうか。

さまざまなジェンダーが指摘され、多様性を認め合う社会を求める動きが広がってきています。

一人ひとりが身近な過去を振り返って、変化を語っていくことが今求められているのではないでしょうか。

2022.05.22

11人の教師が関与し53件のパワハラが認定された北海道立高等看護学院の闇を追ったテレメンタリー「やっぱり、看護師になりたかった...」

テレビ朝日系のドキュメンタリー番組「テレメンタリー」で、5月17日(この日はテレビ朝日、放送日程は地方局によって異なる)に「やっぱり、看護師になりたかった…」が放送されました。

 

北海道立の高等看護学院で長期にわたって続いた多くの教員によるパワハラ指導。

 

これによって、看護の道を絶たれた学生が多くいます。

 

病気になったり、休学したり、自殺に追い込まれたり。

 

少なくとも11人の教師が関与し、53件ものパワハラが認定されました。

 

パワハラと認定されなかったケースもあります。その一つ、自殺に追い込まれた学生の母親は「悔しいし、この学校に行かなかったらこんなことにはならなかったのにという思いしか残らなかった」と、思いを語っています。

 

用事があっても聞いてくれない、質問しても「自分で考えろ」、考えて持って行っても「やり直し」などと...。

 

どうしていいかわからないのは当然で、これが教育、指導でしょうか。

 

この学校に限らず、さまざまな教育機関や職場、組織において、教育・指導のあり方と実践を見直し、権利侵害を問い、確認しあえる体制や問題を通報できるしくみも必要です。

 

問題を追い続けてきたHTB北海道テレビが制作したこの番組、公式動画の視聴ができます。ぜひご覧ください。

 

【公式動画】テレメンタリー「やっぱり、看護師になりたかった…」(テレビ朝日2022.5.17放送 制作:HTB北海道テレビ)24分44秒
https://youtu.be/gtZkdug-g20

 

 

2022.04.16

就職したばかりだけど、職場がおかしいので退職したいという人へ

4月も半分が過ぎました。

 

3月に学校を卒業して、4月から新しい職場でがんばり始めた人も多いですね。

 

ただ、入職してみたら、休憩が取れない、不払い残業がある、パワハラがあるなどの問題に直面する場合もあります。

 

不安で誰に相談していいかわからない、仮に相談できる人がいても、相談された側もどうしていいかわからないという状況も…。

 

退職したい場合、どうしたらいいのでしょうか。

 

期間の定めのない雇用(無期雇用)による労働者側の退職は、民法という法律で、原則として2週間前に通知すればいいことになっています。

 

宮城労働局の資料でも示されています
https://jsite.mhlw.go.jp/miyagi-roudoukyoku/library/miyagi-roudoukyoku/window/img/kiso_04.pdf
ただし、冒頭に示したように、休憩が取れない、不払い残業があるなどの場合は、違ってきます。

 

雇用契約書などの労働契約と実際の労働条件が異なる場合は、契約違反ですので、労働基準法15条により即時解除が可能となります。2週間前などの要件は必要ありません。

 

☆彡☆彡☆彡
労働基準法(労働条件の明示)
第十五条 使用者は、労働契約の締結に際し、労働者に対して賃金、労働時間その他の労働条件を明示しなければならない。この場合において、賃金及び労働時間に関する事項その他の厚生労働省令で定める事項については、厚生労働省令で定める方法により明示しなければならない。
2 前項の規定によつて明示された労働条件が事実と相違する場合においては、労働者は、即時に労働契約を解除することができる。
3 前項の場合、就業のために住居を変更した労働者が、契約解除の日から十四日以内に帰郷する場合においては、使用者は、必要な旅費を負担しなければならない。
☆彡☆彡☆彡

 

労働基準法の15条3項によれば、就職のために引っ越して、契約解除をしてから2週間以内に帰京する場合は、かかった旅費を請求すれば、法人の負担が義務となります。

 

そもそも、休憩が取れない、不払い残業があるなどは契約違反でもありますが、法律違反ですよね。

 

また、休憩は取れるし、不払い残業はないけど、パワハラがあるので退職したいというケースもありますね。

 

平均的な感覚から見てこれはおかしいと思える暴言などのパワハラがある場合は、使用者(事業所)として安全配慮義務(労働契約法第5条)を果たしていないと主張ができ、これも労働契約の即時解除が可能性が高いと言えます。

 

☆彡☆彡☆彡
労働契約法(労働者の安全への配慮)
第5条
使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする。
☆彡☆彡☆彡

 

でも、新卒で就職した場合は、退職の経験がないわけですから、退職の手続きをどうしたらいいか、わかりませんよね。

 

「退職届」というタイトルで、上記の理由をもって退職する旨を記載し、職場・法人の責任者に提出すれば、それで十分です。受け取れない・受け取らないということは許されません。職場に行けない場合は、郵便局で配達証明の手続きをとって郵送すれば、相手に届いたことが証明できますので、送った・届いてないなどになりません。

 

「退職願」を出す人もいますが、願いは相手の許可がいるという解釈ができるので、「退職届」にしましょう。

 

今年3月に始まったマクドナルドのテレビCMで、部下(木村拓哉)が退職願を上司(段田安則)に渡そうとしているのに、上司はごまかして受け取らず、食事に誘うという場面があります。あれが「退職届」であれば、受け取らないことは許されません。

 

短期での退職は、のちの経歴に響くのではないかという心配をする人もいます。契約内容や法律を守らない職場で無理して続けるよりも、がんばれる土壌のある職場を探すほうがいいのではと思います。

 

 

2022.04.10

2022年4月パワハラ対策義務化 指導に大切な視点を考えあいたい

パワハラが社会問題になっています。

 

象徴的には、芸能やスポーツ、政治、官庁などでの出来事が報じられ、衝撃をもって受け止められています。

 

消防や自衛隊、役所など、公務員の処分の報道も相次いでいます。

 

保育園での管理職によるパワハラで、大量離職につながったケースも出ています。

 

私の所属する労働組合にも、保育園の職員などからパワハラ相談が多く寄せられています。

 

長時間叱責される、必要がないのに人前で叱責される、以前のミスを持ち出される、人格を否定される、聞いても答えてもらえないなど、精神的な攻撃が多いのが特徴です。

 

2022年4月、パワハラ防止法が全面施行され、法人の規模にかかわらず、パワハラ防止にむけた法人・事業所の方針の明確化、就業規則等への規定整備、相談窓口の設置などが義務化されました。

 

しかし、義務化にもとづく対策がおこなわれていない職場もまだまだあります。

 

厚生労働省は特設サイト「あかるい職場応援団」で、規定の整備にかかわる資料の提供や指導の改善にむけた動画の配信などをおこなっています。

 

厚生労働省 特設サイト「あかるい職場応援団」
https://www.no-harassment.mhlw.go.jp/

 

ただ、このサイトだけでは指導のあり方を見直す視点がわかりにくいと感じています。

 

ここ数年、私はパワハラ防止にかかわる研修を積極的に受講してきました。また、パワハラにかかわる労働相談も電話などで受けてきました。

 

研修内容や寄せられる相談事例からも、パワハラにならず、指導を効果的なものにするには、育成、改善、目的、配慮が必要だととらえています。

 

 

自分の感情を優先しないで、短所とともに長所にも気づいてもらう育成の視点、

 

抽象的でなく具体的な改善点を示して事後のフォローもおこなう改善の視点、

 

何のために指導をしているのか明確にする目的の視点、

 

人前での叱責は避ける配慮の視点、

 

この4つの視点を、職場で共有できているでしょうか。

 

これらを踏まえない指導では、うまくいかないのではないでしょうか。

 

一方で、若い職員が「指導を受けた」⇒「自分のやったことが否定されて傷ついた=パワハラだ」という受けとめも広がっています。

 

上記の4つの視点を踏まえつつ、人格を否定せずに行為に対する指導は徹底する必要があり、その指導はパワハラではないことを明確に打ち出すことも重要です。

 

パワハラは、被害を訴えている人の受けとめだけでなく、平均的な感じ方の人がどう感じるかという点が基準になります。

 

4月を迎え、多くの職員が新しい仕事に向かい、その職員たちへの指導が始まっています。

 

パワハラとは何か、指導で大切にする視点は何か、パワハラ防止対策の義務化を踏まえて、形式的なルールだけでなく、定期的に進捗や課題を話し合える体制をつくることが求められています。何のためにパワハラをなくしていくのか、指導を改善していくのかということも大切にしていきたいですね。

2015.01.02

節目のなかでの2015年に 「改革」「変化」を問い直す

戦後70年。日本の過去と現在をみつめ、未来を問う。

新聞の新年企画でもそんな記事が目立っています。

今年は戦後70年。また、賃上げや雇用のあり方が問われるなかで春闘60年でもあります。

施行は翌年となりましたが、法律の制定(1985年)でいえば、男女雇用機会均等法から30年。

阪神淡路大震災からは20年。

さまざまな節目を迎えるなか、政治は「憲法改正」を視野の中心に入れていこうとしています。

私も年末には40歳を迎えます。

岐路に立つ年、「改革」「変化」を問い直す1年にしたいと決意しています。

社会にむけても、所属の組織内にむけても、自分自身にむけても。

2015.01.01

あけましておめでとうございます 働き方を問い直す1年に

2015年、あけましておめでとうございます。

今年はひつじ年。 群れをなす習性があり、羊毛があたたかさを生んでくれる動物ですが、一人ひとり・メ~メ~の力と、「組」「織」の力をたいせつにする1年にしたいと思います。

昨秋、政府の産業競争力会議の委員でもあり、ワークライフバランスを提唱しているコンサルタントの小室淑恵さんの講演を聞く機会がありました。

日本の労働生産性(時間当たりの生産量、一人当たりの付加価値額)がいかに低く、仕事の成果は最低クラスで長時間労働がはびこっている。 少子高齢化・労働力人口の減少を迎えたなかで、出生率の向上と女性の継続就業が必要で、ワーク・ライフ・バランスのとれる組織への変革が急務だと指摘しました。 重要な会議ほど時間外におこなわれ、昇進するポストは残業・出張などが多く、残業ありきの業務量で、長時間残業が恒常化しているため、 「個人的事情も、時間制約もないごく一部の社員しかモチベーションがあがらない」「非効率な仕事プロセスを改善する意欲が生まれない」などの課題が示されました。 仕事だけの生活では「集中力を欠き、アイディアもわかない」「多種多様なニーズがイメージできない」などの率直な解説に、その通りだと思わざるを得なかったのです。

業務やスケジュールを共有し、自己流でなく効率よく働き、プレゼン力をあげるなどして、自分の働き方を見直そうと決意しました。 この2年半ほど、仕事中心の生活を余儀なくされ、ゆとりが奪われ、自分を見失うような日々をおくってきました。 さまざまな立場の考え方や人と向きあい、自分を見つめ直しながら、一人ひとりの力と組織の力をつけていく1年にしていきます。 このブログでも発信していけたら。

2014.01.02

読書をしない残念さが「読書の効用」で浮き彫りに

読書、してますか?

私は20代の頃は、新聞を毎日読んでいればそれでいいと確信を持っていて、新聞を含めて「読書」だという考えもあるようですが、書籍に限定すれば、ほとんどしていませんでした。

数年前、読書をするために本を買うということは「問題意識を手放さないこと」であり、「1か月に1万円分以上の自分への投資」をすることを、ある研究者の講演で勧められ、それからは読書観が変わり、ずっと続けています。

私は仕事柄、福祉関係者の書いたレポートを読むことが多くあります。人にかかわる仕事をしている人たちの一つひとつのエピソードは興味深いのですが、その描き方を含めた作文としては残念なものが少なくありません。自身が素晴らしい読み物に出会っていないからでしょう。

本を読まない理由を聞くと、「時間がない」「お金がない」「おもしろさを感じない」などの答えが返ってきます。文化で自分を高め、まわりと刺激し合うための工夫や投資がされていないと私は理解しています。

読書をしないことを責めても何も変わらないでしょう。3年前、サッカー日本代表の長谷部誠さんの『心を整える。』がベストセラーとなり、大切にしている読書を「自分の考えを進化させてくれる」とし、反響が広がりました。読書にどんな効用があるのかを深くみつめてみます。

***

平成21年度文部科学省委託事業
「学力調査を活用した専門的な課題分析に関する調査研究」
「学校図書館活用ハンドブック」学力向上のための読書活動
http://www.j-sla.or.jp/pdfs/material/gakuryoku_kojo.pdf

から「読書の効用」部分を抜粋してみる。

「読書の効用」

読書は新たな言葉、新たな知識、新たな情報を与えてくれる。今まで知らなかった言葉に出会うことができる。ここで大切なのは新しい言葉に出会ったとき言葉の意味を調べて考えなければならない。身近な辞書、あるいは高度な内容であれば百科事典を使って意味を確認する必要がある。出会った言葉の意味を辞書や百科事典で確認する作業をくりかえして言葉を獲得すると、読書という作業をとおして、言葉と言葉のつながり、結びつきを考えるようになる野矢茂樹著『論理トレーニング』(産業図書,1997)では、言葉と言葉のつながり、あるいは結びつきを「論理」と呼んでいる。言葉は互いに関連づけられ、より大きなまとまりを成し、ばらばらの断片から有機的な全体へと生命を与えられるのである。それゆえ、「論理的になる」とは、この関連性に敏感になり、言葉を大きなまとまりで見通す力を身につけることにほかならない。(同書, .)論理的というと難しく聞こえるかもしれない。あるいは、最近「論理力」が頻繁に使われているので、「論理」の意味を深く考えないで理解されているかもしれないが、野矢氏によると、論理的とは言葉と言葉のつながり、意味と意味との結びつきを考えることである。読書によって、言葉と言葉のつながりを、文章を書いた人の考えのつながり、結びつきを、「論理的に」理解するようになる。

●ミークの読書論
教師であり、児童書の批評家である英国のマーガレット・ミーク氏の著書『読む力を育てる:マーガレット・ミークの読書教育論』(こだま・ともこ訳.柏書房,2003)は子どもの読書について示唆に富む論点を提供してくれる。ミーク氏は、現代社会のしくみが複雑化して、日常生活のあらゆる場面で文字を読むこと(リテラシー)が要求されることを指摘して、「読むことは自分の体験や学習に直接結びつくもの、そして将来の自分に必ず役に立つもの」(同書)としている。
ミーク氏は、良き読者が「実用的な知識を得」るだけでなく、「幅広く奥深い人間の経験を読み取ることができる」と指摘して、「人は本を読むことによって、精神の世界に住むことができる」(同書)とも述べている。「読書は想像力を高める」といわれる。文字の連なりを見ただけでは場面の光景は思い浮かばない。想像力を導くためには、言葉の意味と読み手の経験した光景を結びびつける必要がある。想像力を高めるときも、言葉と経験、光景を結びつける論理力が関わっていると言える。

●人とのつながりを生む読書
作家の平野啓一郎氏は『本の読み方:スロー・リーディングの実践』(PHP 研究所,2006)で、遅く読みながら質を高める読書の手法を紹介しているが、「読書は、コミュニケーションの準備である」(同書)と述べている。読書をとおして、作者と読者の対話があり、読者と読者、あるいは未だ読んでいない者との会話へとつながる。読書によって、作者の言葉、考えを借りながら、自分の思いを他の人へ伝える準備ができると平野氏は述べている。

●言葉と言葉、想いと想い、人と人を結ぶ読書
読書によって読み手の中では言葉と言葉、事象と事象、意味と意味を結ぶ論理的理解を作りだす。読書は作者と読者の間で対話を生み、想いと想いを交換することができる。さらに著書を読んだ者が互いに感想を伝え合い、また読んでいない者にも紹介する機会を作る。読書はさまざまな意味でつながりと結びつきをつくる。

***

このように、読書は、言葉と人をつなぐ役割と意義を持っています。

数年前、仕事でつながりのある人が「その人の語彙や読み取る力は、メールを2、3度やりとりしたらわかってしまう」とこぼしていました。私も同感です。

最近はSNS(私もやっていますが)で、とにかく短くその場その場で伝えることが重宝される一方で、深く考えて言葉を紡ぐことがおろそかになっていないでしょうか。

私は周囲にも直接本をすすめますし、SNSでも本を紹介しています。

同時に、自分の言葉や関心を掘り下げる効用を持つ読書をしない人を専門職とするのは、疑問を持っています。それが福祉や保育といったコミュニケーション労働であれば、なおさらでしょう。

また、本の読み聞かせを仕事上の日課としながら、言葉をつづる連絡ノートを毎日書きながら、自らはまったく読書をしないという保育士を、子どもや保護者はどうして信頼できるでしょうか。どこで言葉の力を磨くのでしょう。比較的若い福祉関係の職員とかかわりを持ってきましたが、吸収力のある若い時に本を読む読まないの違いで、大きな差が出ることは否めません。

尊敬する先輩が引退する前に、「話が整理できない人、面白くない人は読書をしていない」と言っていましたが、実際にその傾向は強いと私も感じています。それは上記の「読書の効用」の力が発揮されないからでしょう。

書店に立ち寄ると、多くの本に出会えます。時間のない人でも最近はインターネットで購入することもできます。1週間や1か月に1冊千数百円・2時間を費やすことはできないのでしょうか。

私は人に変化を求める労働組合に携わっています。自分の言葉を磨かない、言葉のつながりを広げない立ち位置ではできないし、自ら変化する読書をせずに変化を求めることがどれだけの説得力を持つだろうかと危機感を持っています。

文部科学省の審議会(1999年 文化審議会国語分科会読書活動等小委員会)では、読書の重要性を、

『読書は人類が獲得した文化である。読書により我々は,楽しく,知識が付き,ものを考えることができる。また,あらゆる分野が用意され,簡単に享受でき,しかも安いという特色を有する。読書習慣を身に付けることは,国語力を向上させるばかりでなく,一生の財産として生きる力ともなり,楽しみの基ともなるものである。読書の習慣を若いうちに身に付けることが大切である。
   国語力との関係でも,既に,本年1月にまとめられた「審議経過の概要」にも示されているように,読書は,国語力を形成している「考える力」,「感じる力」,「想像する力」,「表す力」,「国語の知識等」のいずれにもかかわり,これらの力を育てる上で中核となるものである。また,すべての活動の基盤である「教養・価値観・感性」などを生涯を通じて身に付けていくために不可欠,というより,読書なしに教養等を形成していくことはあり得ない』

 とまとめています。

それでも読書をしませんか。2013年、心に響いた本はありましたか。

2014.01.01

2014年スタート 対話と尊重、新たな言葉の積み重ねの先に

あけましておめでとうございます。

うま年がスタートしました。

政治的には、秘密保護法、沖縄基地問題、首相の靖国参拝と、「騒」(うま偏)がしいなかでの年明けとなりました。

それらに反対する人たちは、経済対策への期待をもってきた国民の支持は離れると見たはずです。

しかし、いまだに多くの世論調査で5割以上の支持を集め、不支持は3割程度という状況です。

中国や韓国との対立は深まり、アメリカでさえ、靖国参拝に「失望」を示したにもかかわらず。

一方、昨年12月の世論調査では、原発を抱える福島、基地問題に知事が屈した沖縄、経済基盤が崩れつつある北海道では、内閣への不支持が支持を上回る事態となっています。

基地問題をみても、私の周囲やフォローしているツイッターの世界では、「知事は公約を守れ」「辞職しろ」という声が目立ちます。

私もそう思います。

が、知事に対する怒りの声をあげるとともに、周囲と対話をすすめなければ、事態は変わらない。むしろ矛盾が深まるのではないかと考えるのです。

普天間基地の辺野古移設に多くの県民が反対する沖縄に対し、全国世論調査となれば、賛成が約5割、反対は3割台にとどまっています(共同通信2013年12月末 賛成49.8%、反対33.6%)。

移設反対派は、沖縄県民の声を代表しているかもしれませんが、国民の声からみれば、少数という現実を直視する必要があるでしょう。

私自身もこれらの動きに歯がゆい思いもしながら、迎えた新年1月1日の朝日新聞に、これだ!と気づきを得た記事がありました。

◇2014年1月1日付 朝日新聞
(異才面談:2)元サッカー日本代表監督・岡田武史さん リアルな中国知って考えた
http://www.asahi.com/articles/DA2S10906682.html

ネットで全文を読むには会員登録(無料会員は1日3本まで読めます)が必要ですが、日中関係が対立の方向に揺らぐなか、元サッカー日本代表監督の岡田武史さんが中国のクラブチームの監督を務めた経験を振り返っています。

このインタビューで岡田さんは、反日デモでの暴動はごく一部の現象だとした上で、

「ぼくは、どんな問題があっても自分の子どもを戦場に送りたくない。中国の親だって、同じだよ。答えは簡単だ。話し合いしかない。国と国、文化と文化がぶつかれば、接点をさぐるしかない。政治家は分かっているはずだけど、引くに引けない。日本だったら支持率が下がる、中国なら政変がおきる、と。結局、国民自身が大事なものは何かを考えるしかない。サッカーの選手が監督の指示を待たず、自分で考えなければならないのと同じだ」

「だけどね、こんな風に話すと、あいつ、どうしちゃったんだ、国を売ったのか、と言われかねない危険な空気があるよね、いまの日本には」

と語ります。

その「空気」について、岡田さんは続けます。

「口を開けなくなる空気だよ。草の根で多くの人が感じていても、世の中のムードと違うことを言えない。とても危うい」

 

「ぼくは日本代表の監督もやった。日の丸をつけて、ものすごい誇りを持って戦いましたよ。でもね、相手もすべてをかけて戦っていることは尊重している。ナショナリズムは自分たちだけのものじゃない。どちらも国を愛する気持ちを持っていることを理解しないと、ね」

私は記事を読んであらためて考えました。

この2~3年、尊重なき言葉が飛び交っていませんか。

たとえば、大阪の橋下市長について、人気絶頂の頃は批判すらしにくい「空気」がありました。

同時に、「あんな独裁を支持するヤツはバカだ」「いや、支持しないヤツこそ死ね」というような汚い言葉が、それぞれの「上から目線」(と感じられてしまう)をもって口やネットで発されています。言葉になっていない心の内にはもっと激しい表現があるかもしれません。

岡田さんの記事が出たばかりですが、「あいつバカ左翼」「中国に行ってればいい。日本に来るな」など、攻撃的で失礼な言葉が発されないでしょうか。

全体とまでは言えませんが、一部にそのような不毛な対立の空気も強まっていると感じます。賛否双方の立場に言えないでしょうか。流れに対して意見が言いにくい空気や、「またやってるよ」という入っていけない空気がないでしょうか。

たとえば、怒りをもって、「○○やめろ!」と切実さをもって攻撃的にシュプレヒコールをあげることは、国会や地方議会、不祥事を抱えた企業の前などではアリでしょう。

しかし、相手が権力ではなく、近くにいる一人ひとりや、不特定多数となるネットでも、自分の意見が絶対で、それ以外を認めない人を切り捨てるような一方的な言葉と発信では、共感は広がらないどころか、理解が狭まっていくのではないかと強く懸念します。

少数意見でもしっかり声をあげ、その声のあげ方を含む表現は、もっと丁寧で多様でなければ。相手を尊重することを前提に。

対立すべきは、相手自身ではなく、相手の考え方なのですから。その変化を求めようとするときに、その人自体を否定しては、溝は深まるしかありません。

アメリカ在住の映画監督で、最近は橋下批判で知られる想田和弘さんが著書『日本人は民主主義を捨てたがっているのか』(岩波ブックレット No.885)が、橋下氏を支持する人たちと議論していて「馬の耳に念仏を唱えているような空虚さ」を指摘しています。橋下氏の発する言葉を支持者がそのまま使っていることを示しながら、同時に批判している側の「僕らの繰り出す言葉も、だいたい語彙が決まっている」と自戒しているのです。

「独裁」「ヒトラー」「強権政治」「戦前への回帰」など、確かにそうです。「考えてみれば、実は僕らにも戦後民主主義的な殺し文句に感染し、むやみに頼りすぎ、何も考えずに唱和してきた側面があるのではないでしょうか」と警鐘を鳴らし、「紋切り型でない、豊かでみずみずしい、新たな言葉を紡いで」いくことを提言しています。

昨年末にこのブックレットを読み、そして、岡田さんの言葉を受けて、2014年は、対話と尊重をもとに、言葉を紡ぎ、積み重ねていく必要を心に留め、実践していくつもりです。

対立で攻撃し合うのではなく、また遮断してしまうのでもなく。さらに、これまでと同じ言葉を重ね続けるのでもなく。

岡田さんは同じ朝日新聞の記事で、「国民自身が大事なものは何かを考えるしかない。サッカーの選手が監督の指示を待たず、自分で考えなければならないのと同じだ」とも語っています。

監督のせいだけにする選手がいいプレーをできるはずがありませんし、それでは真に強いチームにはなれないはずです。

今年は、うま年です。

「馬の耳に念仏」は、言葉が響かない「馬」に責任を負わせるのが一般的な意味合いですが、「念仏」にこそ響かない原因があるのではないでしょうか。飽きられてしまう表現や嫌悪されてしまうスタイル、誰が言っても一緒の言葉では、変化は生まれにくいはず。

対立と無関心を乗り越えて、新たな視点を含めて考え合っていきたい2014年です。

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