時々寄る、ちょっと大きな駅ビルで。
9階まであるエレベーターへ。
1階で待っていた。
まっさらになったその中に、見知らぬ4人のあとをやや追いかける形で、一番後ろから乗り込んだ。
私は7階でおりるつもりで、乗ってすぐ振りむき、右側にみえるボタンの位置を確認すると、「7」「9」のボタンが点灯していた。
だから押す必要はなかった。
7階につくまでは降りる人もいない。
10人以上は乗れるなか、空間的なゆとりもあった。
乗り込むタイミングがやや遅れていた私は、安心した。
ホッとした。
いや、ホッとしすぎた。
そう気づいたのは、それからまもなくのこと。
エレベーターの左前に後ろ向きに寄りかかってしまった私。
すでに7階と9階にむけて動き出したなか、
反対側のさっき見たボタンの位置をみると、
「3」「5」まで点灯していた。
私の背中にも、同じボタンがあったのだ。
「9」「7」のならびの下に「5」と「3」があり。
もしかしたら、復習的に、「9」「7」、さらに「1」までダブりで押していたのかもしれない。
背中で語る人がいるとは聞いたことがあった。
また、背中を押してくれる人がいることも。
私はその尊敬される人たちとは違った。
背中で押したのだから。
エレベーターを出れば、全体として買い物客でにぎわう駅ビル。
その密室で私が買ったのはヒンシュクという恥。
背中で押す男がいたのだ、そうここに。
そんなことを、その居合わせた4人がツイッターやmixi、ブログで書かないか、
不安ばかりが募る。
私がそれを押したあとすぐに、
「すみません。たくさん押しました~~~~~(若干伸ばしめ)」
と謝ったのに、まったく反応がなく、笑いもとれなかったことがとても悔やまれる。
すぐそばにあった「6」「8」は押していないということも忘れないでほしい。
押した押さないのシメで終わる、押したけど幼かったところもある話なのでした(冷笑)。
笑いはとれなかったけれど、迷惑かけ、電気もムダにつかったけれど、空気としての打ち水効果はあったのではないか。そう思いたい。
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